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シュピースは舞踏創作以外に絵を描いた。ガムランを西洋譜で演奏したこともあり、小説のゴーストライターを務めるなど多彩で多才な男だ。同時期にバリに集った画家と比べてみることでシュピース絵画の特徴を眺めてみよう。
下記の絵は1931~1957年までサヌールに住んだル・メイヤーの作品だ。私はサヌールに住んだがビーチ沿いに彼の美術館が立っていて原画を楽しんだ。
見ているだけで心が浮き浮きしてくる、楽しくて明るくて生を楽しんでいることが直接に伝わってくる。8枚目はル・メイヤーの夫人がサヌールのビーチでポーズをとる写真だがル・メイヤーのバリに住む喜びがこの写真から伝わってくる。
以下はボネ。シュピースの自然に対してすらりとした人物画が多い。
By Rudolf Bonnet - Own work Linus80 1 April 2012, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18919683
ル・メイヤーの作風と異なる。シュピースはレゴンダンスなど通常興味を覚えて描きそうな女性を描いていない。ケチャにラマヤナを取り入れたのはシータ姫を救出するラーマ王子が主役のためだろう。
1930年 ドイツの彫刻家alias Gela Forsterとの2ショットをボネが撮影。
さらにはチャップリンと同行した際も闘鶏に関心をもたなかったようだ。犬をはじめ動物好きのシュピースは鳥を含め多くの動物を邸に飼っていた。闘鶏は残酷に見えて興味がなかったように見える。
ボネがたてたシュピース記念碑1930年から1940年までバリに住んだことが記されている。
By Tropenmuseum, part of the National Museum of World Cultures, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8607788
チャンプアン邸のプールでペットの猿と遊ぶシュピース(左)。
クビャール・トロンポンの名手マリオだろうか。
使用人ハビースだろうか。
シュピースが思い出の中で今でもバリ人にトウアン・サペ シュピースの旦那と慕われるのはなぜだろう。圧倒的な活動もさることながらゲイであることがおおきい。シュピースがバリ人女性を妻にしていたらバリ人男性の嫉妬を潜在的に買っていたことだろうと思う。(バリ人男性も嫉妬心が強いのはバリに住んでよくわかった。)
素晴らしい絵を描いたル・メイヤーがシュピースほど人気がないのも説明がつく。ボネはオランダ人なのでバリ人から見たら敵国人であり、回顧展もインドネシア政府が乗り気にならなかった。
シュピースの死生観。
シュピースは輪廻転生を信じている。これはバリ人の死生観となじみウラル以来の住みやすい環境を提供した。
「僕は現在の暮らしを楽しむだけです。それがどんなものであれ、現在にはいつもいいこ とがあります。明日はもう生きていないかもしれないというのに、何で将来になど煩わされましょう。」書簡集より
立て続けに二つの大戦を経験したシュピースならではの言葉だろう。
「この神に憑かれた自然の中 では人は簡単に死んでいきます。・・・何故なら死は繰り返し生に注ぎ込まれるからです。」 書簡集より
超常現象もそのまま受け入れている。火の玉を見た経験をチャプリンに話している。ダヤンの修業を通じてあの世とこの世を行き来できたかもしれない。つきあいのあったバリ人はそう信じている。(私の妻もバリで不思議な火の玉がある家に入っていったのを一度目撃している。
「年に1度、スミニャックでレヤックの呪術の戦いがある。火の玉が上空でぶつかりあう。」私が友人のバグースから聞いた話だ。この日はレストランも早々に店を閉めると言う。
火の玉が左右の方向から闇の空中を舞い、火の玉がぶつかり最後に左の火の玉が残った。残った火の玉は1度大きく光り天に向かって消えたという。信じられない話だがバグースは日ごろから冗談は言うが嘘をつく男ではない。
祈りの文句や念仏は一心不乱になるには効果がある。マントラやタントラを唱えれば力が漲ったように感じられるのと同様にケチャでトランスに入る者、バリアンも日常の世界だ。
バリ人の信仰が静かな「諦め」をもたらしププタンを引き起こすこともある。
バリ人の信仰に教義はない。その点が伝統的規範を嫌うシュピースの好みと一致する。
宗教の英語religionは語源がラテン語のreligare(束ねる)に由来する。村寺に集いトランスに入るとバリ人に名状しがたい束ねられた感で深い安堵をもたらす。
宗教はラマヤナ物語やマハーバーラタの英雄伝説でもある。魔王や猿や鹿が登場する物語はバリ土着の呪術や魔女レヤックと親しいものとして結び付いている。
次のような話をブログ(ウブド極楽通信)で見たこともある。こうした話が今でも日常茶飯で特に珍しくもない。
ウブドの西・チャンプアン橋を渡ったところにあるホテル・チャンプアンはヴォルター・スピースの住居あとを利用したホテルで、なだらかな坂を上りホテルのエントランス前を通り過ぎると道は右に少しカーブしているところにワルン(簡易食堂)があった。
「ワルンのおばちゃんがレヤックで、お客にマジックをかけていた」
「サヌールのバリアンで修業した欧米人女性がレアックの戦いで亡くなった」
リズムとダンスは宗教と結びつき、宗教が昂奮可能なものであることを体感させ、また深い諦めの表現ともとれるププタンもバロンのクリスを胸に指す行為と思い合わせて近い関係にあることも教えてくれる。
シュピースはレヤックの実在を信じて描いているように思える。
Calonarang (1924) チャロナラン
病気や禍いの原因がレヤックにあると信じるバリ人は、レヤックという言葉を口にすること怖がる。レヤックは雄のパパイヤの木の下に居て仮埋葬された墓地に現れ火の玉となって飛び回り埋められた死体を掘り起こして貪る。猿や鳥やさまざまな動物に変身し人を傷つけ病気にし。若い女性に姿を変え吸血鬼のように人の血を吸う。大好物は胎児の内臓で妊婦を狙っている。妊婦はむやみに他人にお腹を触らせない。
ばあちゃんがその呪術師レヤック
「わたしが病気で寝こんでいる時、いつのまにか、おばあちゃんがベッドの横に坐っていたことがあったの。内側から鍵のかかっている部屋によ」
「おばあちゃんは、わたしの左手に両手を軽くのせ『心配いらないからね』と念を押すように話しかけてきたわ。わたしは、疲れていたので寝返りをうっておばあちゃんに背を向けてしまったの」
「しばらくして振り返ってみると、おばあちゃんはいなくなっていたわ。きっと、壁を抜けていったのよ。生きているうちにレヤックの正体を明かすと自分が死ぬと言われていて、今まで言わなかったの」
シュピースの舞踏好き。
1920年代のウブド王宮では毎日のようにシュピースの住むガムラン倉庫までガムランの練習音が聞こえてきた。毎日の練習は例えば次のようではなかったか。
月曜日:レゴン・クラトン
火曜日:ラーマヤナ舞踊劇
水曜日:スンダ・ウパスンダ舞踊劇
木曜日:ガボール民族歌劇
金曜日:バロン&クリスダンス
土曜日:レゴン・クラトン
ガムランからピアノでのガムラン演奏、採譜へと至る。シュピースがモスクワ時代に神とも崇めたスクリャービンの音楽はどこかガムランを連想させる。
ワヤン・クリッは、ジャワやバリの伝統芸能で影絵芝居のこと。水牛の皮を透かし彫りして彩色した人形を白布の裏で操り、背後から椰子油ランプで照らす。ダランとは、その人形遣いのこと。ひとりで数多くの人形を操り、人形ごとに声音を使い分け物語りを語る。ダランは呪術師でもありシュピースは相当真剣に修業をした。
「多くの民族芸能は作者が知れないものこそ真実を隠し持ってい る」「もし人間にもっと空の空間があったら神がその空間に注ぎ込むものがどれほど多い ことでしょうか。」作者を持たずただ神々と人々のために繰り返し捧げられるバリの芸能を述べているが土台はウラル地方で築かれたようだ。