紀野一義の講演(youtube)よりのメモです。
無生法忍 禅宗という宗派がおきるまえ釈尊の頃からあった言葉です。
命の座りよう さっぱりしている これが無生法忍を捕まえた人のありよう。
今の人は他人がどう見るかを考えすぎる。結局のところ、自己が自己を自己する。だから小細工をしない、根本をえることだ。枝葉末節はどうでもよいのだ。面倒くさいことをしない、でもやることはやる。こういう人は一発でポーンとさとりに入ってしまう。
普通の人がよいとか悪いとかと判断することとは違う。
こういうことをしていけば天に生まれると思ってやる。これだけ親切にしたら忘れはしないでしょうね。これは相手に圧迫感を与える、こういうひも付きの人になるな、けちなことを考えるな。こういう人は来世もあんまりろくなことはない。
無造作に座る。ただ座る。只管打坐そのままが仏さまだ。ただ座るといっても難しいですね。足が痛くなる、こんなことをして何になると余計なことを考え出す。手を合わしたら誰かがみているなどといちいちひっかかる。そんなことを考え出すと只管打坐でなくなる。
袈裟は身に着けるだけで立派なことだと道元は言う。お遍路さんの杖錫杖はほとけの後を踏んでいるのだ。
これ真か、これ妄か
妄といえばすべて妄だ 真といえばすべて真。妄を離れて真はない。
真と妄を生かす根底にあるのが空 空を離れると真は真、妄は妄。
俺はこれでいいんだ、真だと思えば物騒なこと大変なことになりますね。
明恵のお師匠は上覚でそのお師匠は文覚(遠藤盛遠)伊豆国蛭ヶ島に配流の身だった源頼朝と出会う。頼朝に亡父源義朝の髑髏(だれのものかわからないしゃれこうべ)を示して蹶起をうながした。
後鳥羽上皇のどんちゃん騒ぎに乗り込んで「こんな金があれば 」 流罪になる
明恵8歳のとき父の平重国が死ぬ。戦いの相手は頼朝。
明恵9歳で高雄山に上覚を訪ねていく。いまははや13になりぬ 今ははや年老いたり。
西行が文覚を尋ねてくるが実際は明恵に会いたかった。55歳の差。歌論を明恵にだけ話している。
西行 山深くさこそ心はかよふとも
すまであはれは知らむものかは
「心はかよふとも」は濁りという その奥にある澄んだ世界に入らなければもののあわれはわからない。愛情にとらわれるとものが見えなくなる。虚妄なるもの。
どこかひやっとしたものがある、溺れない西行の眼が光っている。
明恵は18歳まで歌に没頭した。西行が死んだあとはぴったりと歌をやめた。
慰めることなんてできない。だまってみてるやつが親切で背中撫でているやつはふりしているだけかもしれない。
虚空なるこころ、あはれは澄んだ世界で空。それがわからんと題目を唱えても念仏を唱えてもなにもわからんだろう。
お坊さんは親子の情に溺れてはいかんのです。こどもが可愛いので後を継がす。
宮沢賢治の「ほんとうのほんとうの神様」とは情に絡んだ神様ではない、虚空にとらえた神様。