はじめに
2006年3月に訪れたベトナムへの旅はすでに19年が過ぎわたしは喜寿と呼ばれる年になりました。ようやく旅の記憶を遡行して紀行文としてまとめてみました。
2006年につれあいと出発した世界漫遊の旅の始めにベトナムを選びました。若い頃に毎日のように新聞を賑わしたベトナム戦争の記憶は消えることなく脳裏に焼き付いています。そのベトナムに平和が訪れてどうなったのかをこの目で見たい。
長い歴史を持つこの国の遺産を眺めたい。メコンデルタの悠久の流れの中でどのような生活が営まれているのか。
写真はわたしが撮ったもので、紀行文は拙ブログ(まさおレポート)の文章を下敷きにChatGPTをアシストに使って編集しました。
2025年1月12日
はじめに
ハロン湾
水上生活
船室
街角風景
フエ
フンジャン河
フエ城
ティエンムー寺
ミンマン帝廟
カイディン帝廟
ミーソン遺跡
ダナン
ホイハン
ホーチミン市統一会堂
サイゴン大聖堂
サイゴン中央郵便局
ホーチミン市戦争証跡博物館
メコンデルタ
ライスペーパー
植物園
水上マーケット
では抜粋を以下にご紹介します。
ハロン湾
曇り空の下、観光船へ向かう桟橋を歩く。足元には雨粒が残した水たまりが広がり、空を映して薄い光を反射している。両側に並ぶ艀(はしけ)には、細長いマストが立ち並び、その姿はどこか懐かしく、世界中の港町で見られる風景を彷彿とさせた。
船の上には赤い旗がはためき、微かに潮の香りが漂ってくる。周囲の観光客たちは写真を撮り、笑顔で声を交わしながら進んでいく。しかし、自分の中には言葉にならない静かな興奮が芽生えていた。これから目にする光景は、この日、この瞬間のものだけ。ハロン湾に点在する奇岩群、霧の中に浮かぶ無数の島々の姿は、ただ一度きりの出会いだ。
艀を歩き切り、観光船に乗り込むと、木の甲板が足元に心地よく響く。船が岸を離れると、波の音と共に心の中の余分な思考が次第に消え去り、ただ静かに進む船旅に身を任せた。前方には霧に包まれた幻想的な岩々が見え隠れし、物語の始まりを告げているかのようだった。
「では、ハロン湾へ行ってきます。」
心の中でそう呟きながら、視界に広がる壮大な風景を胸に刻んだ。旅の新たなページは、今まさに開かれたばかりだ。
薄い霞が海面を包み込む早朝のハロン湾。水面は静かに広がり、遠くに点在する船影が淡いシルエットとなって浮かび上がる。朝日が顔を出す前の柔らかな光の中で、空と海の境界は曖昧になり、世界全体が一つの大きな夢のように見えた。
小さな手漕ぎ舟が波を立てずにゆっくりと進む。その姿は、遥か昔から変わらぬ日常の営みを思わせる。漕ぎ手のゆるやかな動きは、時間が止まったかのような静寂の中でさえも、確かに物語を紡いでいた。すぐ近くには観光船が浮かび、少し離れた場所には漁船が影を落とす。すべてが眠りと覚醒の狭間にあるかのような情景だ。
旅先の早朝は特別な時間だ。まだ世界が目を覚ましていないその瞬間、視界に映る光景はまるで誰も知らない秘密のように感じられる。湿った潮風が頬を撫でるたび、心地よい冷たさが意識をゆっくりと現実へと引き戻していく。
「これは夢の続きかもしれない。」そう思いながらも、目の前の現実の美しさが胸に広がる。曇り空に包まれたその風景は、音を立てず、ただ穏やかに漂っていた。ハロン湾の朝は、記憶の深い場所にそっと刻まれる静寂と幻想の一瞬である。
船内のカフェに立ち、木の柱に手を添えて外の景色を見やる。その視線の先には、静かなハロン湾の海上風景が広がっている。赤褐色の木で装飾された船内は、重厚な温もりを感じさせる。心地よい潮風が吹き抜け、木材の香りと相まって、どこか懐かしい安らぎをもたらしてくれる。
背後のテーブル席では、観光客たちが会話を交わし、旅のひとときを楽しんでいる。グラスの中の飲み物が揺れ、光を反射してきらめく様子が、船旅の特別な時間を象徴していた。
目の前に広がるのは、ゆったりと進む船の航跡に寄り添う水面の波紋。そこに浮かぶ奇岩やシルエットは、絵画のような美しさを持ちながら、確かに今、この瞬間の現実だということを思い出させる。
岸辺に静かに停泊する観光ジャンク船。濃い赤茶色の木製の船体と、緩やかなカーブを描く屋根のラインが印象的だ。その屋根は直線的で簡潔な形状を保ちながらも、端のわずかな反りがあることで、ベトナムらしい繊細な美意識を感じさせる。その形状は、一見すると中国風の屋根にも似ているが、直線を重視したデザインによって異なる趣を醸し出している。
観光客たちは船に足を踏み入れ、デッキから海の景色を楽しんでいる。外装の木材が使い込まれた風合いを見せ、歴史を刻むような重厚感を漂わせている。船の側面には「Hai Long Dream」の文字が白く浮かび、旅の期待感を高めている。
このジャンク船は、単なる移動手段ではなく、ハロン湾という神秘的な海の舞台で物語を彩る存在そのものだ。ベトナム文化が織り込まれたこの伝統的な船は、訪れる者に過去と現在を行き交う特別な時間を提供している。
波穏やかな水面に、木造船たちがゆったりと並び、航路を進んでいく。まるで呼吸を合わせた舞踊のように、船はそれぞれの道を描きながら、静かに出航を告げていた。
背景に広がる巨大な岩峰たちは、何百年、何千年もこの湾を見守り続けてきた証人だ。その間をぬうように進む船影が、時の流れを逆戻りさせるような錯覚を生む。
水面に反射する山の影、波間にゆらめく帆先の赤い旗。そのすべてが、ハロン湾の旅の始まりを彩る風景であった。どこか静謐でありながら、心を突き動かすものがあった。
この写真に映る一瞬は海と人々、そして旅人の心が交わる物語の幕開けである。
観光船のレストランに供された大皿の上には、見事な赤みを帯びた大きな蟹が鎮座していた。その姿は 料理そのものが芸術作品であるかのようだ。繊細に盛り付けられたレタスが彩りを添え、白いクロスの上に置かれた皿がフランス風の洗練された雰囲気を漂わせている。
この蟹は、ハロン湾の豊かな海が育んだ自然の恵みである。甲羅を割れば、ぎっしりと詰まった身が顔を出し、濃厚な海の香りが漂う。かつてフランス領であったベトナムの影響は、このレストランの空気にも感じられる。伝統と洗練が見事に調和し、食卓を贅沢な体験へと昇華させていた。
船窓の外に広がる湾の景色を眺めながら味わう蟹は、ただ「美味」という言葉だけでは語り尽くせない。この一皿には、歴史の香りと旅の思い出が詰まっているのだ。
海の静けさの中、遠くに響く波の音をBGMに、私は一口ごとにベトナムとフランスが交差する味わいを堪能した。風に揺れる帆とともに、この味もまた記憶の中で揺れ続けるだろう。
湾内の島の小高い丘に立ち、穏やかな水面を見下ろすと、そこにはまるで一幅の中国の墨絵のような風景が広がっていた。薄い霧が奇岩群を優しく包み込み、山影と船影が水面に淡く映り込む様は、筆先から滲み出た墨の濃淡のようである。
私はこの光景に、思い出の断片を見出した。子どもの頃、大皿に描かれた墨絵の山水画を見て、なぜか理由もなく懐かしさを覚えたことを思い出す。どこにも行ったことがないのに、そこにいる自分を想像できる不思議な感覚。その感覚は、いつしか「私は前世で中国の山水のような世界に生きていたのかもしれない」という夢想に変わっていった。
ハロン湾の風景は、まさにその記憶を呼び起こさせる。並んだ帆船の列と、岩山の緩やかな曲線が墨の余白を埋めるように景色を構成している。この静寂と広がりを前にすると、現代の喧騒を忘れ、ただ風と波の音に心を預けたくなる。
今、この場所に立つ私は、かつての墨絵の世界と重なり合い、記憶の中の旅人に戻っていた。懐かしさの正体を解き明かす必要はない。ただ、この風景を目にし、感じられたことだけで十分なのだと思った。
湾内の島に広がるティエンクン洞窟の入り口に立つと、目の前に広がる空間の壮大さに圧倒される。石灰岩が幾万年もの時をかけて形作った鍾乳石や石筍が自然の彫刻のように輝いている。
しかし、内部に照らし出された緑や青紫の照明は、どこか異質な装飾のように感じられた。自然の厳かな静けさと対照的で、少し興ざめする部分もある。だが、それでも洞窟全体が生み出すスケールの大きさは、疑う余地もない。
滴り落ちる水が長い年月をかけて岩を削り、針のような鍾乳石や巨大な石筍が生まれたのだろう。中には「カリフラワー」や「カーテン」と呼ばれる形状のものもあり、その奇妙な造形は自然の気まぐれが織り成した芸術だ。
かつてこの洞窟には、石器時代の人々が住んでいたのではないか、そんな想像が膨らむ。深く静かな場所で、外界の音が届かないこの空間は、人が初めて火を灯した場所であっても不思議ではない。
洞窟の奥に進むと、水の音が耳に届く。そこには間欠泉があり、地底から水が吹き上がっている光景に出くわす。自然が語りかける音と動きに、私は無言のまま見入っていた。
ティエンクン洞窟は、人工の照明を差し引いてもなお、その悠久の時間を感じさせる神秘の空間であった。
この景色を目にした瞬間、私は確信した。墨絵はまさにこのような場所で生まれたに違いない、と。静かに広がる水面、そしてそこにそびえ立つ奇岩群は、筆が描く一滴の墨のように、自然の中に溶け込んでいる。
ハロン湾を形作る1600もの島々は、それぞれに独自の形を持ちながら、共鳴するように並び立つ。その姿は、まるで竜が天空を舞い、宝玉を吐き出したかのような荘厳さだ。この伝説が「ハロン湾(竜が舞い降りた湾)」という名に結実しているのも納得せざるを得ない。
波間に映る影が揺れるたび、自然が織りなすその造形美は変化を見せる。岩肌の力強さと水面の穏やかさは対照的でありながらも一体となり、この湾全体が巨大な絵巻物のように広がっていた。
墨絵の世界に入り込んだかのようなこの風景を前に、私はただ静かにその時を味わった。筆を持つことなく、ただ目に焼きつけることで、この絶景を心の中に描き続けた。