スティーブン・ホーキング博士(76)死去に際しての各種ニュースを引用メモしておきます。
徐々に全身の筋肉が衰える難病に侵され、体の自由や言葉を失いながらも宇宙創成の謎に挑み続けた「車いすの天才物理学者」、スティーブン・ホーキング博士(76)が死去した。先進的な理論で学界に衝撃を与えた一方、著書や講演で一般の人にも宇宙の謎を魅力的に語りかけ、気さくな人柄も相まってファンが多かった。
大学院在学中に筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、車いす生活になったホーキング博士は1985年に気管切開手術を受け、声も出せなくなった。しかし、音声合成装置を介して会話しながら研究を続けた。
74年に発表した「ブラックホール蒸発理論」は学界に驚きを持って迎えられたが、現在では多くの科学者がこの理論を支持する。この年、史上最年少の32歳で英国王立協会会員に選ばれ、79年からはニュートン以来の伝統を誇るケンブリッジ大ルーカス記念講座の教授を務めた。
一方、ブラックホールが消失する際、「内部の情報は外に出てこず、ブラックホールを通って別の宇宙に移動する」と主張したことに対しては、30年後の2004年になって「SFファンには申し訳ないが誤りだった」と認め、話題になった。
00年に出版した著書で「人類は今後1000年以内に災害か地球温暖化のために滅亡する。唯一の助かる道は別の惑星に移住すること」などと警告。07年には急降下する航空機で無重力を体験するなど、将来の宇宙旅行にも興味を示していた。
16年には米ニューヨークで記者会見し、光速の5分の1の速さで飛ぶ小型探査機の開発計画を発表。地球から4.3光年離れた太陽系の隣の恒星系「プロキシマ・ケンタウリ」に送り込む構想を打ち出し、地球外生命探査に意欲を見せた。一方、人間の操作が不要な「自律型致死兵器システム」(LAWS)の開発禁止を他の研究者らと連名で訴えるなど人工知能技術の軍事利用に警鐘を鳴らした。
また、14年の英映画「博士と彼女のセオリー」のモデルとなったほか、米国のSFテレビシリーズ「スタートレック」のファンとしても知られ、ニュートンやアインシュタインとポーカーのテーブルを囲む本人役で出演したこともある。長女のルーシーさんと共著の児童書「宇宙への秘密の鍵」は日本でも100万部を超えるベストセラーになった。
何度も来日したことがあり、93年7月には国内での講演会の合間に仙台市を私的に訪問した。この際、仙台を案内した土佐誠・仙台市天文台長によると、博士は「昔、アインシュタインが東北大を訪れたことがあると聞き、仙台に来てみたかった」と話したという。
市内のホテルで東北大の大学院生や教員ら数人でホーキング博士を囲んで夕食をとったが、緊張していた院生たちを博士が冗談で笑わせた。「後に博士の妻となった付き添いの看護師が『博士はわがままで手がかかる』と言っていたことを覚えている」と振り返る。
土佐さんは「非常に強い重力の下でミクロの世界で何が起こるかについて、先駆的な理論を立てた。宇宙の始まりやブラックホールに関する現在の議論のスタートになった」と死去を惜しんだ。
30年以上の親交があった前田恵一・早稲田大教授(相対性理論)は「昨年9月に英国で会った時は体調も良さそうで、ブラックホールの蒸発に関する新たな理論について研究仲間と熱心に議論をしていただけにびっくりした」と話し、「宇宙理論の業績もさることながら、ユーモアと周囲への気づかいがある人だった」と惜しんだ。
重力波の検出で昨年のノーベル物理学賞を受賞した米カリフォルニア工科大のキップ・ソーン名誉教授(77)とは公私を通じた友人で、あるブラックホールの存在を巡って「存在しない」に賭けて負けたホーキング氏がソーン氏に男性誌「ペントハウス」を贈ったエピソードも知られる。ソーン氏は同大の追悼文にコメントを寄せ、「宇宙に向けられた彼の洞察は、今後何十年も彼に続く物理学者にインスピレーションを与え続けるだろう」としのんだ。
また、自身も08年にALSを発症した嶋守恵之(しげゆき)・日本ALS協会理事は「ホーキング博士は『ALSは自分の研究にとって障害にはならない』と言い切り、優れた業績を残された。博士の半生をつづった映画『博士と彼女のセオリー』からはたくさんの勇気をもらった。何も諦めなかった博士を見習い、私も自分らしく充実した人生を送りたい」と話した。