今日はバリ在住20年という女性と仕事の待ち時間によもやま話をした。そのうちバリの日本料理店の話になった。料理にとって大事なことは料理人の漂わせるオーラではないかということで話が合った。料理人の漂わせるオーラとは、要はその人が食べ物や酒、ワインに触れるだけで一層おいしくなる雰囲気をもつ方の漂わせる雰囲気をさしている。手にふれるものを何でも金に替えるミダス王みたいなものだ。昔、フランス料理の仕上げに唾をかけるシェフの話を聞いたことがあるが、真偽のほどはわからない。しかしこういうオーラをもつ人にかかると、唾でさえ料理になるということはわかる。
さて、自らの来し方つらつら思い浮かべるに、あの人、この人と指折り数えることができるが、決して10指を超えることがない。大阪の「もつ」料理店のAさん、神戸の寿司屋の老主人Bさん、経堂の寿司屋のおやじCさん、日本橋のてんぷらやの親父Dさん、おなじく日本橋の料亭の女将Eさんなどなど、その方々が扱うだけで、あるいは美しい手(そう、老主人の手は実に清潔で輝いていた)で握るだけで料理あるいは酒が魂を帯びてくるとでも言おうか、俄然食欲が刺激される経験をしてきた。そうそう、パリで滞在した駅前の小さなホテルの隣にあるイタリアレストランの親父やバリのイタリアン マッシモのオーナーもこの種のオーラを漂わせている。
バリでは日本料理店は、あくまでもビジネスである。なにをいまさらと言われるかもしれないが、上記の方々は確かにビジネスを超えた何かがある。しかし残念ながらバリの日本料理店では、この種のオーラを放つ料理人にいまだお目にかかれない。「漁師」をはじめとしたチェーン店が幅を利かせているが、いずれも料理人のオーラが感じられる場所ではない。うまいものを食わせるという気迫とうまいものを喰いたいという気迫のぶつかり合うたところに行きたいものだという話をこの女性にしたら、「この人には握って欲しくは無いという雰囲気の料理人もいますよね」という返事が返ってきた。料理には清潔さももちろん大きな要因だが、やはり全人格的ななにかが必要なのだ。
バリの日本食料理店は当然のことだが、バリ人が料理をする。彼らには日本料理はビジネス以外の何物でもない。彼らは日本料理は、料理はするが決して食べない。あるいは試食はするかもしれないが感動を持っては食べないと思う。そこに料理人のオーラの発生する余地は全くない。そんな話をしたら、バリでも料理人のオーラの感じられる店があるという。そんな店を紹介してもらった。是非行ってみようと思う。