キリストの磔刑は頼まれてもいないのに人々の罪を償う。
日本の武将の死は部下を助けるために自分の首を差し出す。
日本人にとっては後者の方がピンとくる。
このあたりのメンタリティーの違いが日本でキリスト教が伸びない原因だとの説を検証してみる。
クリスマスを祝う日本でキリスト教が広まらない理由 中村圭志を参考に なぜ日本ではキリスト教が広まらないのかを勉強してみると日本は植民地化されなかったので、異教の定着が困難なのだったと。
明治以来、カトリック、プロテスタント、ロシア正教会の大勢の宣教師が日本にやって来て宣教を続けたが、信者数は百万人前後であまり伸びていない。
世界の土地に伝統的な宗教が。
大航海時代以降、ヨーロッパ人は世界各地に進出し、植民地化を推し進め、キリスト教の宣教師を送り込んだ。
軍事力で現地民を支配し他方で愛を説いてキリスト教。ダブルスタンダードでキリスト教を世界に広めた。
韓国にはクリスチャンが多い、日本の植民地となったあとで朝鮮戦争を迎え宣教団が人々の精神的な支えとなった。
日本にクリスチャンが少ないのは日本が植民地化を逃れたことが大きな理由。
「信仰」は個人の心の問題 政治的な次元がモノを言う。仏教にも、キリスト教にも、イスラム教にも、ぜひこれでなければ、というほどの絶対的説得性はないと中村圭志氏は述べる。
インドネシアをみるとバリ島のみがヒンドゥでその他の島ではイスラムが占める。確かに中村圭志氏の説があてはまる。
一方で梅原猛は日本に仏教を受け入れる土壌があったから広まったと述べる。
どちらか一方の説が正しいのではなく、両者の要因が複合的に絡み合った結果だと考えるのが妥当なのではないかと思う。