今の映画を見慣れた目にはこんな水の味わいのような作品があることと、それを受け入れる観客層があったことに思いがいく。物語はどこにでも有る親子のちょっとした出来事で、今の親子関係からみればそれも出来事と言うほどのことではない、むしろよくやっていると思うほどだ。それほど当時の親子関係が濃密であって急速に変わってきていることを示している。
映画の主な場面も長男、長女、戦死した次男の妻の家、東京駅、尾道の家、熱海、飲み屋、寺が思い浮かぶ程度で少ない。
この映画ではうちわが重要な働きをする。子どもたちが親の扱いをめぐって話し合う場面では兄と妹はうちわを早めにあおぎ、戦死した次男の妻(香川京子)の家では原節子は義母(東山千栄子)の肩を揉むだけでうちわを使わない。尾道の家では具合の悪くなって寝ている母を末の娘ががゆったりとあおぐ。そのピッチでそのときどきの気持ちを表しているのだろう。
危篤の母を娘がゆったりとあおぐ
尾道の家で倒れた妻が起き上がり、話す夫のうちわは動かない
お父さんたちどうすると相談する兄と妹 すこし早めにあおいでいるようにみえるが
熱海でうるさい宿泊客にいらつく周吉をうちわが表現する。笠智衆が15歳以上の老け役をやっている。山村聡などが変わったのに彼は「男はつらいよ」など変わっていない。