幼い頃の記憶が何の脈絡もなく浮かび上がる。私の育った家から一軒おいた隣に住む一家の主は、見るからにとても頑固そうなおじさんだった。このおじさんはときおり我が家の前に来ては少し立ち話をしていたので子供心にも多少の記憶と印象が残っている。もっともこのおじさんだけが特別頑固なのではなく、父も含めて当時の家の周りのおじさんたちは誰も彼も初老といえる年齢なのだが野良仕事や力仕事で鍛えられて筋骨たくましく、とてもいかつくて怖そうな印象だった。
このおじさんがある日突然事故で亡くなった。交通事故だと言う。それも国道の真ん中をほろよいで歩いて帰る途中に跳ねられた。このおじさんは国道(旧西国街道)を車が頻繁に行き交う前から、往来の真ん中を歩く習慣だったのだろう、新参者の車を避けて歩道を歩くという事がついぞ理解できなかったのだ。車の方で避けろと固くなに考えていたようだ。この習慣を何十年も守り通して無事だったのが不思議なくらいだが、ついにある日事故死してしまったという訳だ。
自らの頑固をつらいたあげく死んでしまうとは、頑固もきわまれりだが、なんだか憎めないおじさんだった。この種のおじさんがとにかく近所にはごろごろいた時代、今では遠くなった昭和20年代の記憶の断片だ。
追記
このおじさんは父の葬儀には参加しなかった。父が彼の息子の葬儀に参加しなかったためだという。それをさかんに母に述べていた。このおじさんの家に入ったことがある。深い地下室があり、そこに食料などが備蓄されていたことが印象に残っている。その家の裏庭は我が家の庭ともつながっていてそのさきには広場があった。4,5歳の記憶か、普段見ている風景の奥に意外な光景を見出し不思議な思いを抱いたことを覚えている。