まさおレポート

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恩愛 我を去りぬ

2022-11-12 | 心の旅路・my life・詫間回想

追記

恩愛を受けた人として下記の三方に加えて紀野一義先生を4人目にあげなければならない。
20代初めに一度切り講演を聞いただけだがその影響は、いや恩愛ははかり知れない。
その後の局面で氏の多くの著作から心を励まされ生き抜く事ができた。
 
以下初稿

恩愛も又人生の主要なテーマの一つで、さてこれをどう記すか、ありのままに買いてもうまく表現できそうにない。でもまずは書き出してみないことには始まらないとも思う。恩愛って北帰行の、恩愛我を去りぬ、だろと言われると確かにあの歌がすぐに浮かんでくる、でも恩愛我を去りぬだけではノスタルジックなメロディーだけで、何も人に伝えることはできない。

恩愛とは
1.
他人を恵み、かわいがること。情け。
2.
親子・夫婦などの間の愛情。

特に1の他人を恵み、かわいがること。情け。の意味が身に沁みる。

窓は 夜露にぬれて
みやこすでに 遠のく
北へ帰る 旅人ひとり
なみだ流れて やまず

夢は むなしく消えて
今日も 闇をさすらう
遠き想い はかなき希望
恩愛 我を去りぬ

いまは 黙して行かん
なにを また語るべき
さらば祖国 いとしき人よ
あすは いずこの町か
あすは いずこの町か

思えばこの北帰行でうたわれるように恩愛は遠い過去の思い出とともにあるようだ、そして今現在はそれが過去のものになっていることも恩愛の条件だ。もとより男女の愛とは一線を画す。

家族はもとより他人に節目節目で恩愛を受けて生きてきたが遠い過去を思い出すままに二人が思い浮かんだ。一人は入社後の初対面の医師で、入社後の研修期間中に倒れて医務室に担ぎ込まれた際に、尿検査すると蛋白がでているとのことだったが件の医師は「蛋白がでていると会社に報告すると君はいまだ研修中だから入社を取り消されるおそれがある。起立性蛋白かもしれないから(何も書かないので)どこかの医者に行って診断を受けなさい」と行ってくれた。もしこの医者がそのままカルテに書き記せばその会社に就職は叶わず、いずれにしても進路は(あまり良くない方に)大きく変化したに違いない。お陰で今の私があるのかもしれないなとも思う。

今ならこの医者のような勤務医も当時のような寛大なことは言わないだろう、思えば医者も寛大な時代だったのだ。いまだになぜかこの一回きりの出会いの医師の不思議な恩愛を忘れることができない。だがこれは行きずりの恩愛とでも呼べるもので、やはり本命は二人目の教師の恩愛だ。

二人目は小学校6年の担任教師で、さてこの教師の恩愛を書こうとすると長い物語になる、そんな気がするのはこの当時23歳の若い新任教師があまりに深く、純粋に子供ごころに恩愛を感じさせた存在であり、当時はそこまでとは思わなかったが後で振り返るとその後の我が進路を大きく変えた存在であり、この教師のことを思い出すだけで涙腺が緩んでくるほどの強い存在だからだ。

ここでこの教師の恩愛を書こうとするとあまりに自分の心を赤裸々に見せるということに気が付き、照れが出て来る、そして過度に感傷的になることもありそうだとも予測がつく。小説や物語の形のほうがよりいっそう真実に近いことを記せるのだろうとおぼろげながら想像がつく。自分の事を書くとどうしても必然的に美化意識が本能のように働き、思う存分に描くことを拒否するのだということには気がついていたが、他人のことであってもあまりに恩愛が深いと同様に表現を拒否する心があることに気がつくがこれの本質は照れだろう。書くことを妨げるものは「ええかっこし」であり「照れ」である。さてこの2つを乗り越えて何かのきっかけでこの教師の恩愛をかける日がくるといいのだが。

追記

3人目の恩愛は高知の中村にお住まいだった山中さんで、20代はじめにお会いしてからずいぶんと親切を受けた。心の恩愛は表現が難しいので、中村で味わった見事な寒ブリのごちそうでそれを表しておこう。

 

 

 

 

 


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