なるほどなあ。「不可解さをそのまま受け入れる村上作品は、深く考えるべき未解決の神秘を読者に教えるのです」
読むとイライラしてくるので一旦うっちゃってあった村上春樹を再考してみるかな。要はそのまま考えずに受け入れてみれば良いのだ。受け入れてみると言うこととうけいれるとは全く別のものだから。
そして不可解さを味わってみるのだ。不可解を表現するには物語を持ってするほかない。そして不可解とは真実と同じくらい人生にとって重要なのだ。不可解は無意識と言い換えても良い。
考えてみればドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」も筋そのものが不可解に満ちている。そしてそのまま放って置かれている。
なるほどなあ。この年にしてようやくわかった。遅いぞお前。はい。
「互いに両立できない信仰システムである宗教が共有しているのは神秘性です。宗教が人生の意味を狭量的に主張しその意味を客観的な証明もないのに押しつけているからこそ、信徒たちは説明できない神秘性に、意識的にまたは無意識的に出合わなければいけない。不可解さをそのまま受け入れる村上作品は、深く考えるべき未解決の神秘を読者に教えるのです」
私のための作家 未解決の神秘カギ 村上春樹英訳の第一人者 ジェイ・ルービンさん
村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」では主人公が妻クミコの兄ノボルを撲殺する。これもクミコにおぞましい仕打ちをする兄ノボルへの嫉妬による怒りが原因だろう。
一読すると主人公は何故兄ノボルに嫉妬するのかは読み取れない。しかし妻クミコと兄ノボルには何か主人公が入り込めない秘密があり、それは村上春樹の例によって最後まで明かされない。これが主人公が妻クミコの兄ノボルを撲殺する理由だろう。
つまりクミコがおぞましいノボルを受け入れていることへの嫉妬が怒りを誘発した。 「1Q84」は青豆にそう言わせる奇妙な世界を描く。月も2つあるし。運転手にも「でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです。」と念を押されるし。パラレル・ワールドなのだが、「現実というのは常にひとつきり」という世界でもある。青豆と天吾は共通のねじれに似た奇妙な感覚をもっている。多世界宇宙を物語の力で飛んできたためだ。青豆はヤナーチェクのシンフォニエッタの時代から飛んできて天吾は本栖湖の銃撃戦の一派から飛んできた。ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」を通して青豆と天吾(駆り出されてヤナーチェックの「シンフォニエッタ」のティンパニーを打った)はつながっている
「たぶん新しい小説を書き始めたあたりだ。母親の亡霊はそのあたりを境にして、かれの周りをうろつくのを止めたようだった。」
「彼の論理と彼のルールに導かれている。そしておそらくは彼の文体に。なんと素晴らしいことだろう。彼の中に、こうして含まれているということは。」