如来寿量品
爾の時に仏、諸の菩薩及び一切の大衆に告げたまわく、 諸の善男子、汝等当に如来の誠諦の語を信解すべし。復大衆に告げたまはく、汝等当に如来の誠諦の語を信解すべし。 又復諸の大衆に告げたまはく、汝等当に如来の誠諦の語を信解すべし。
誠諦の語とは真実の言葉の意味です。
信解すべし、信解とは簡単な言葉ではない。即座に無条件に信じるというときに信解。考えてはだめなんで、考えては智が働き、これは迷いの元となる。
商売していてもよく考えてうまくいくこともそうでないこともある。
薬草喩品でお話したと思うんですけど、道元の正法眼蔵恁麼いんもの巻で出てきました。いんもとは何々のような、如を恁麼と言っている。
ここで六宗の話は既出。aとbとcが接近したわけですね。ハツカネズミの円運動のように同じことを繰り返している。あっというときに背中を押される。すると次の軌道を描く。
即納信解の由縁なり。本来は羅什は則の字を当てたが道元は即座に、を強調するために即にした。
動きに捕まえられた、誰かの声を聴いて即捕らえられた。機がその人を捕まえているかどうかが大事で、捕まえられていない人が即行動すると身を亡ぼす。
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汝等諦かに聴け、如来の秘密・神通の力を。
この聴けは意思を持って耳を傾けることで聞くは音が受身で入ってくることです。
秘密 秘は現象の中に本体が隠れていることで、密は現象が本体に内在していることです。たとえていうとほとけとひと、現象の中にほとけが隠れている。
現象をみるとろくでもないことをしているひとがあるとき空しさを感じて出家したりする。
新潟で地震がきてなにがなんだかわからないうちに花嫁になる前の女性を背負って逃げた。非常に仲良く続いているそうです、一方、ぐらぐらときたときにそれまで仲良かった姑のばあさんを見捨てて逃げた。お前の本心が見えたとその後に分かれてしまった。
それで愛想をつかした。あさましい、あほくさいなかに如来秘密神通の力が働いている。そのことに感動する人こそが寿量品を読むにふさわしいということがこの如来寿量品でいいたいことなんですね。
(あるエピソードで)こういう独特の感受性が必要ですね。
ここで坂村真民の朴という詩集の大木を紹介する。略
大木
父が死んだ・・・大木があった・・・この木を仰いで大きくなった わたしは大木を見るのが大変嬉しい。
大木たちが教えてくれた一番大事なことは根の大切さであった。
真民さんは大木で充電できた。西行は旅に出た。
ある知り合いの奥さんの喜び、感動することを紹介する。略
これでなかれば如来神通の力を感じられないでしょうね。