まさおレポート

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イタリア紀行 12 ボローニャ ハム屋の記憶街の記憶

2024-08-31 | 紀行 イタリア・スペイン 

ふと視線が古い建物のファサードに止まる。そこに刻まれているのは、威厳ある表情で前方を見据えるひげをたくわえた男性のレリーフ彫刻だ。石の中に永遠に閉じ込められたかのようなその顔は、静かな威圧感を放ちつつも、どこか物悲しさを漂わせている。

この男性は誰だったのだろう。何世紀も前に生き、ここボローニャの街で重要な役割を果たした人物かもしれない。彼が見ていた世界は、今とはまったく異なるものであったに違いない。戦乱の時代にあって、人々の生活は常に不安定で、彼もまたその中で苦悩しながらも、自分の役割を全うしたのだろう。

石に刻まれた彼の顔は、時の流れと共に風雨にさらされ、周りから少しずつ削られていく。

彼のように何かを成し遂げ、誰かの心に何らかの影響を与えることができたなら、この場所に永遠に晒され続けていいのだろうか。石に刻まれた顔が語りかけてくる。「君もまた、自分の物語を生き、そして誰かの記憶に刻まれる日が来るのだ」と。その声が心に響く。「でも辛いもんだよ、こうして永遠に止まるのは。」

ボローニャの石畳の通りを歩いていると、ふと目を引く建物が現れる。温かみのあるオレンジ色の外壁に、アーチ状の窓が三つ並んだ古風な店先だ。この店が何を売っているのかを知るには、足を止め、ガラス越しに並ぶ品々をじっくりと眺めるしかない。しかし、その前に、この店が醸し出す雰囲気そのものに、心が引き込まれてしまう。

まるで過去からタイムスリップしてきたかのようなこの建物は、時代を感じさせる木製の格子窓と厚みのある石造りの柱に守られている。その重厚な佇まいが、この店に並ぶ商品が一筋縄ではいかないものであることを示唆しているようだ。おそらく、この店には歴史が宿っている。表に飾られた品々の一つ一つが、何世紀にもわたる物語を秘めているに違いない。

ここで売られているのは、骨董品かもしれない。古びた本、年代物の置時計、使い込まれた革のトランク…。それらがこの場所に収まると、まるでこの建物の一部であるかのようにしっくりと馴染んでいる。そしてそれぞれの品が持つ静かな佇まいは、かつての所有者たちの手によって受け継がれてきた時の重みを感じさせる。

ピアッツァ・ガルヴァーニに立つと、一人の偉大な科学者が静かに時を見つめている姿が目に入る。ルイージ・ガルヴァーニ、その名は物理学と医学の歴史に深く刻まれている。彼がその手に持つのは、科学の未来を切り開いた道具—実験器具だ。この彫像は、まるで彼の発見が今まさに生まれようとしている瞬間を切り取ったかのようだ。

ガルヴァーニは18世紀のイタリアで、医学者としてのキャリアを築く傍ら、電気の性質に魅了されていた。彼の研究は、生物学と物理学の境界を越え、新たな領域を切り開いた。彼が行った実験—カエルの脚に電気を通じて筋肉が収縮する現象を観察したこと—それは後に「ガルヴァニ電気」や「ガルヴァニズム」として知られるようになる。これが、後にバッテリーの発明や電気生理学の発展に繋がった。

頭を垂れ、慎重に実験器具を扱う彼の姿は、まさに発見の瞬間を捉えているようだ。その眼差しには、好奇心と探究心、そして未知の世界への挑戦が映し出されている。この静かな広場で、彼の手によって初めて目に見える形となった電気の力が、どれほどの驚きと喜びをもたらしたのかが感じ取れる。

背景に広がるボローニャの街並みと、この彫像との対比が、ガルヴァーニの発見がいかに時代を超越したものであったかを象徴している。彼の功績は、この街の歴史に深く根ざしながらも、世界中に影響を与える力を持っていた。

この広場を訪れる者たちにとって、ガルヴァーニの姿は単なる歴史的偉業を称えるものである以上に、科学の探究における情熱と粘り強さを教えてくれる存在だ。彼のように、何かを発見し、理解しようとする意志が、人類の知識の限界を押し広げる。

ボローニャの中心にそびえるアシネッリの塔とガリゼンダの塔(右端)。その姿を見上げるとき、私はふと塔が持つ意味に気づかされた。これらの塔は時を超えたあるメッセージを体現している存在だと。

アシネッリの塔の97.20メートルというその高さは、地上から空へと伸びる信仰や力の象徴だ。2.23メートル西に傾いているこの塔は完璧を目指して作り上げられたにもかかわらず、その体は少しずつ傾き、時間の流れに逆らうことができない。

一方、ガリゼンダの塔は、その傾きがさらに顕著であり、12メートルもカットされて48.16メートルにまで縮んでいる。北東に3.22メートルも傾いているガリゼンダの塔は、完成と共にその重さに耐えかねて傾き始めたが崩れ去ることなく、数世紀にわたって街を見守り続けている。その存在は逆境や困難に直面しても立ち続けることの意義を教えてくれる。

どんなに高くそびえても、完璧ではなく、傾きやすさを持ちながらも、その存在は揺るぎない。私たちが目指す高みや理想は少し傾いても、意味を持ち続けるのだ。

私たちが完璧を求めつつも、時にはその不完全さを受け入れ、逆境に立ち向かいながらも前に進むことの重要性を静かに語りかけている。そして近い将来の建築技術がこの傾きの矯正をなすことを悠然と待っている。

日曜の骨董市、街角に広がるのは、時を超えて集められた古い家具や雑貨たちあるいはがたくただ。この場所には、かつて誰かが大切にした物たちが、新たな持ち主を待ちながら、のんびりとした午後を過ごしている。

店番をする人々の姿もまた、商品たちと同じように古びた味わいを持っている。彼らの顔には、長い年月が刻み込まれ、その表情は、過去と現在の狭間に生きる者たちの哀愁と諦念が滲み出ている。彼らは、売り物の古い家具と同じく、時間の流れに身を任せているようだ。

中央に座る男と女。男は深く腰掛け、どこか遠くを見るような目をしている。彼が見つめる先には、今は亡き友人や家族の面影が浮かんでいるのかもしれない。時折訪れる客に商品を勧めることもなく、ただ静かに座り続ける。

隣の女は、椅子に腰掛けたまま無言で、手持ち無沙汰にテーブルの端を撫でている。その表情には、疲れと少しの倦怠が滲んでいる。彼女もまた、ここで過ごす時間が、どこか現実離れしたものに感じているのだろう。彼女が売っているのは過去の記憶や失われた夢の一部だ。彼女自身も骨董市の一部と化している。

日曜の午後、骨董市は人生の縮図だ。売り手も買い手も、皆が過去の断片を抱えながら、ゆっくりとした時間を共に過ごしている。この市場には、古い家具だけでなく、人々の心の奥底にある思い出や後悔、そして希望が静かに並べられている。こうして、時間の中で少しずつ風化しながら。

 

街角の古物商のウィンドウ、その向こうに並ぶ陶器たちはありふれたものに見えるが、それは大きな間違いだ。

ガラス越しに見えるのは、ただの模様じゃない。そこに描かれた花や鳥、風景は、実は異次元への鍵。ひとたびその陶器を手に取って、じっくりと眺めれば、不思議や不思議、あなたはその絵の中に吸い込まれてしまう。気づいたときには、千年前の中国の茶室にいたり、ルネサンス期の貴族の館でティーパーティーに参加していたり。

その店の主人、まるで一見ただの無愛想な古物商に見えるが、実は時空の案内人、旅の案内役だ。店に入った瞬間、彼の目がキラリと光り、「さあ、どこへ行きたい?」と問いかけてくる。もしもあなたが答えを迷えば、その選択肢は陶器たちが決めてくれる。彼らが選んだ旅先へ、あなたは導かれることになる。

そのウィンドウの中には、歴史の中の最もクレイジーでワイルドな瞬間が詰まっている。手に取った花瓶は、ナポレオンの戦場のど真ん中に連れて行ってくれるかもしれないし、あるいは古代ローマの円形競技場でライオンと対決する羽目になるかもしれない。すべてはその瞬間の運次第。

一度その陶器を手に入れたなら、あなたは二度と同じ世界には戻れないかも。それでも、その冒険は止められない。それは買い物じゃなくて、人生最大の冒険、未知なる世界への扉が待っている。

もしあなたがその店の前を通りかかったなら、ちょっと立ち止まって、そのウィンドウの向こう側にどんな世界が待っているかを、そっと覗いてみてほしい。

ボローニャの雨の日、湿った空気が街全体に漂い、過去と現在が静かに交錯する。濡れた道路に反射する街灯と車のライトが、まるで過去の記憶を呼び起こすように揺れている。ペパーミント色のビルが視界に入ると、心の奥底で眠っていた記憶が突然目を覚ます。1980年8月2日、その日、この街は一瞬で凍りついた。

爆弾が炸裂し、ボローニャ中央駅は混乱の渦に包まれた。85人の命が奪われ、200人以上が負傷したあの出来事。それは、平和な日常が一瞬で崩れ去る恐怖を、街の人々に刻みつけた。駅に集まった家族や友人、見知らぬ人々の笑顔が、一瞬にして悲鳴と涙に変わったあの日。ペパーミント色のビルの前に立つと、雨が窓を叩く音が、その時の鼓動を思い起こさせる。

時は流れ、街は復興し、日常が戻ってきた。だが、このビルの前を通るたびに、街の住民たちはあの日の痛みを思い出す。雨の日には特に、空気に漂う湿気が、その痛みをさらに濃密に感じさせる。街を包む霧のような雨が、過去と現在の境界線を曖昧にし、どこか現実感を失わせる。

イタリア当局は徹底的な捜査を行い、多くの容疑者を逮捕した。極右テロリストグループのメンバーが次々と裁かれ、事件の責任を追及された。街は再び立ち上がり、希望を取り戻した。しかし、爆破事件の記憶は消えることなく、雨の日のこの場所で静かに息づいている。

今日、このビルの前で足を止めると、現代のボローニャの喧騒の中に、あの日の静寂が蘇る。雨が窓を叩く音、足元を濡らす水たまり、そしてペパーミント色のビル。すべてが、過去の傷跡とともに現実を映し出し、街の記憶を呼び戻す。過去を忘れずに、しかし前を向いて歩み続ける街の姿が、この雨の日に浮かび上がる。

毎朝9時に私がこの店のシャッターを開けるたびに、目の前に広がる光景に心が躍る。熟成された生ハムの芳醇な香り、艶やかに輝くサラミ、クリーミーなチーズの山々。これが私の世界であり、ここで過ごす時間こそが至福のひとときだ。

店に入ってくるお客さんたちの目が、まずどこに釘付けになるか。大抵は、目線の高さに吊るされた巨大な骨付きハム。ピンクがかった肉質と、その周りを取り囲む白い脂肪が、ボローニャ特有の照明に照らされて輝いて見える。その光景を目にした瞬間、誰もがその味を想像し、食欲を刺激される。私はそんな瞬間を見逃さず、心の中で微笑む。

この店で一番人気なのはボローニャ名物のモルタデッラだ。モルタデッラは、私たちボローニャ人にとって、単なる食べ物ではない。これは誇りであり、伝統であり、地域の魂そのものだ。肉の滑らかな舌触りと、絶妙なスパイスのバランスが、口の中で一瞬で広がる。お客さんたちがその一切れを口に運んだ時の幸せそうな表情を見ると、私は報われた気持ちになる。

しかし、モルタデッラだけがこの店の自慢ではない。ランギラーノ産のモルタデッラや、フェリーノのサラミ、フェッラーラのガーリック入りサラミ、チッチョーリソーセージも取り揃えている。エミリア地方ではあっさりした味が好まれる一方で、ロマーニャ地方では脂っこい味が人気だ。そんな地域ごとの違いを楽しみながら、お客さんに最適な一品を見つけるのが私の仕事だ。

店の照明も計算のうち。肉の質感や色味を最大限に引き立てるように調整している。この照明の下で見ると、どのハムもサラミもチーズも、まるで芸術品のように見える。お客さんたちがその美しさに目を奪われるのを見るのが、何よりも楽しい。

私の店には、エミリア=ロマーニャ地方の歴史や文化、そして人々の食に対する情熱が詰まっている。お客さんたちにその一部を持ち帰ってもらい、彼らの食卓で新たな歓びの声が生まれることを願っている。

一歩足を踏み入れた瞬間、私は言葉を失った。これが郵便局だって?まるで宮殿じゃないか!見上げれば、天井には緻密な彫刻が施され、壁には荘厳な柱が立ち並んでいる。私は郵便局というものを、単なる手紙を出すための場所、事務的な空間としか思っていなかった。けれども、この光景は全くそのイメージを覆すものだった。

「見てよ、あの天井!」と、私は興奮して連れ合いに声をかけた。彼女もまた、驚きに目を見開いている。二人でしばし見上げたまま、天井の細部にわたる装飾を楽しんだ。こんな場所で郵便物を送ることが、まるで特別な儀式のように思えてくる。

窓口に並ぶ人々も、どこか誇り高く見える。彼らは、まるで歴史の一部として、ここで日常を営んでいるようだ。手紙を受け渡すその瞬間、きっと誰もがこの場所の威厳を感じずにはいられないだろう。この場所は過去と現在が交差する、文化と歴史が融合した場所なのだ。

「まるで美術館みたいね」と連れ合いが感嘆する。確かにそうだ。こんな豪華な空間で、郵便物を送る行為がアートになるなんて、誰が想像しただろう。この場所で働く人々は、日々その歴史の厚みに包まれながら仕事をしている。どれほどの重みを感じているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

ボローニャの中心に佇むポデスタ館、その堅牢な石造りの建物は1200年代初頭に建設され、市の政治と行政の中心として長きにわたり重要な役割を果たしてきた。ロマネスクとゴシックが融合したその建築様式は、ボローニャの多様な歴史と文化を象徴している。

中世イタリアにおける「ポデスタ」とは、都市国家の市長や行政官を指す。ポデスタ館は、こうした都市のリーダーたちが日々の政治活動を行い、司法の管理を行った場所だ。ボローニャの行政の中心として、この建物は数世紀にわたって都市の政治的な心臓部であり続けた。

ポデスタ館から望むボローニャの景色は、過去の栄光と繁栄、そして時の移ろいを物語る。12~13世紀、都市国家としてのボローニャは、独立した自治を誇り、数々の文化的、学問的な発展を遂げた。この都市の街並みは、その時代の名残を今も色濃く残している。塔と館が織りなす風景は、ボローニャの複雑な歴史を象徴しており、訪れる者に深い感慨を抱かせる。

 

 

ネプチューンの噴水(Fontana del Nettuno)ルネサンス期の噴水で、マッジョーレ広場のすぐそばに。 噴水は1563年から1567年にかけて建設され、バルトロメオ・アマヌアーティ(Bartolomeo Ammannati)によって設計されフランドル出身の彫刻家ジャン・ド・ブーローニュ(Giambologna)が手掛けた。

ボローニャ市民に水を提供するだけでなく、教皇ピウス4世(Pope Pius IV)の統治を記念し、都市の豊かさと権力を象徴するために建設された。海神ネプチューンの巨大な青銅像が立ち手にトライデントを持って海を支配する姿を表現している。

噴水の基壇四隅にいる4人のニンフが描かれ、彼女たちは4大河(ナイル川、ガンジス川、アマゾン川、ドナウ川)を象徴している。それぞれのニンフは、乳房から水を流す姿が描かれている。

ボローニャの街を歩いていると、ふと目に飛び込んでくるのは、古びた鋳物の街灯。その姿は、まるで過去からの使者のようだ。重厚な鉄の体を持つその街灯は、何百年も前からこの街を見守ってきたに違いない。その静かな佇まいには、言葉にできないほどの力強さと、時を超えた知恵が宿っているように感じる。

「今日はどうだい、ボローニャの街は?」と、私は心の中で街灯に問いかける。もちろん答えが返ってくるはずはない。でも、どこかで、鋳物の街灯がにやりと笑ったような気がした。

この街灯は、一度も休むことなく、日々の移ろいを見つめてきた。何世代にもわたる人々の笑い声、涙、囁き声を、その鋳鉄の体に刻み込んでいる。昔、この通りを歩いた人々も、この街灯を見上げ、同じように考えたのだろうか。彼らの思い出が、この街灯を通じて私と繋がっているのかもしれない。

「君も長い間、ここに立っているんだね」と、私は再び心の中で街灯に話しかける。すると、鋳物の冷たい感触が、まるで応えているかのように心に響く。「そうさ、ここにずっと立って、見守ってきたんだ。君も、また来るだろう?」とでも言っているかのように。

時が流れ、人々が入れ替わっても、この街灯は変わらずここに立ち続ける。未来の誰かがこの街灯を見上げ、私と同じように思いを巡らせる日が来るのだろう。


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