1917年ノーベル文学賞 カズオ・イシグロさん受賞、日本人受賞にカウントされるのかな。記念に「わたしたちが孤児だったころ」のメモを再掲。
孤児は親の愛が中断された存在であり、中断された母の愛の残余を求めてのこりの人生を生きていく。この作家の人生にこのような形の物語の片鱗でもあったのだろうか。恵まれた環境で育ちこの小説の舞台になるような親子の出来事はほんの少しもなかっただろうと思われる。それにもかかわらずこのような物語を紡ぐことができるのはどうしてだろう。それらしい話を聞いた、読んだ、見たことがあるのか、あるいはイギリスの歴史がそのまま空気のようにロンドンあたりに漂っていて作家イシグロはそれを鋭敏に感じ取り掬い上げた?
「捨身飼虎」釈迦が前世に飢えた虎の親子と出会い、我が身を投げ出して食わせ、虎の母子を救う説話がある。この物語の母親は息子のために中国人麻薬王ワン・クーに身をささげる。その背後にはワン・クーと同様におじさんの黒い欲望がある。このような経験をした息子は母親の愛が重荷になって普通の幸せな生活が営めない。
・・・記憶の断片だった。風に向かって全速力で走っている自分と、その横で笑っている母。 P320
「いや、お母様は上海で最も美しいイギリス夫人だと聞いたことがありますよ」 P331
突然失踪した両親を30年も経っているにもかかわらず探偵となって追い求めると言う、やや非現実な世界で描き、痛切な親子の愛情を描く。
カズオ イシグロのインタビュー記事に「どういうわけか、愛は、死を相殺できるほど強カな力になります。愛があるからと言って、永遠に生きることはできませんが、どういうわけか、愛があると、死がどうでもよくなるのです」とある。この小説の親子は愛のために死がどうでもよくなっていることを描くのに成功している。
しかし、オズボーンが言ったように、わたしが彼を尋問した、などとても考えられない。・・・p13
それよりも、意外におもったのは、わたしが学校でも変わり者だったとと彼が何気なくいったことだった。 p15
孤児は自分の立ち位置がよく認識されない。それだけまわりに背伸びして生きていく。
でも、ああなるのも無理はないよ、ほんとに」・・・「あんなことが起こった後ですもの」 p21
孤児は周りから特異な目でみられる。
わたしがみていたのは、肩までの長さの黒い髪をした、小柄な、どこか妖精を思わせるような若いおんなだった。 p28
サラとの出会い。孤児は不器用だ。最後までこの女性とは一緒になれない。
実際、このひとは著名な人びとがいる場所以外ではまともに息ができないのでは、という印象をもったことも何度もあった。 p35
サラもこのあと孤児に近いことが彼女の口から明かされる。極端なセレブ指向はその故かもしれない。
わたしはふたたび両親が旨としていた生き方を思いだし、・・・浮ついたことにはかかわらないでおこうと固く決心をしたのであった。 p40
孤児は両親を理想化する。実際の父は愛人を伴って失踪するにもかかわらず。
「ねえ、クリストファー、この会があなたに敬意を表して開かれるのもそれほど先のことではないと思うわよ」 p66
しかし、そのとき突然 なにが原因でそうなったのかは自分でもよくわからないのだが、不意に私は彼女に対して激しい怒りを感じはじめた。 p67
サラのセレブ指向はクリストファーの存在に目をつける。しかしクリストファーのどこか不器用で片意地な性格のために実を結ばない。
だが、そのとき、彼女がアキラのことを口にしたのが私に警戒心を抱かせた。 p87
この文章はよくわからない。孤児は疑い深いこと嫉妬深いことを示す?
母は中国阿片大龍の大敵として広く知られ、尊敬されているのだと、子ども時代ずっと、わたしは信じていた。 p107
罰せられるべき悪だと自分が考えているような活動をしている会社から自分たち自身が恩恵を受けているという事実は、母にとってまさに苦しみの根源だったに違いない。 p119
母は社会正義にあふれた聡明で美しい女性で、後にワン・クーの妾となり嗜虐される悲劇を一層強調する。この会社つまり父と家庭の関係は同時に息子を助けるために母が麻薬王にとらわれの身になることと二重写しになる。母が父にかぶさる。
どれほどフィリップおじさんのことが好きだったことか・・・あのようなことになろうとは私同様、彼も思っていなかったはずだ。 p135
君はこのあたりの地理をよくわかっている。・・・「いい子でな」 p206
フィリップに連れ出されている間に母はワン・クーに捉われる。ここにも明暗の対比が強調される。
ジェニファーになにか手助けがしたいのです。 p218
孤児は孤児を哀れに思う同情心が人一倍強い。
あたくし達、上海にいくのよ。ねえ、クリストファーー、どうしたの?」「・・・ぼくもずっと、いずれは上海に戻ろうと思っていたんですよ。・・・」 ・・・その微笑は悲しみに満ちており、強い非難も混じっているように感じられた。 p245
どうして余計なことをするのか、もっと自分の幸せを求めなさいと言う非難だろう。クリストファーの母親は彼の平穏な幸せのみを期待しているがその視線と重なる。
「世界中でどんどん混乱が大きくなってきているのですよ。私は行かなくてはならないのです!」 P248
孤児は必要以上に自分の使命感を感じすぎる。そして自分の力を等身大に見ない。過大にみる。
アラブ諸国を旅する人々は、話をするときに現地の人が、こちらが当惑するほど顔を近づけてくることをよく話題にする。 P257
私自身は経験したことが無いが、かつて読んだみすず書房の「空間の心理学」にその話があった。相手の匂いで敵か味方を判断するという。
みなさん。わたしにも、ここでの状況が困難なものになってきているのがよくわかっています。・・・あと1週間かそこら、どうぞお待ちいただきたい。そうすれば、結果をお目にかけることができるでしょう」 P272
クリストファーが両親の探索を行っているのは明白だが、同時にこの台詞で彼が「何か大きな事件」を探偵していることがわかる。そしてそれが上海の人々に重大な関心を抱かせていると思わせる。この「何か大きな事件」はイエロー・スネークの関連だと後で示される。
「いや、実のところ、ぼくはこの犯罪と両親のこととは重要な関係があるとみているんです」・・・「イエロー・スネーク」 P284
後で両親の失踪とイエロー・スネークとは関連が無いことがわかる。このスピーチはクリストファーの思い込み、つまり孤児特有の思い込みを読者に示すためか。
ここにいる人々は、いわゆる上海のエリートだというのに、運河を隔てたところで隣人の中国人が戦禍にあっているのを蔑みの目でみているのだ。 P273
当時の上海エリート層批判の描写。麻薬王の罪悪にバランスを取っている。
急いでどこかに行くつもりはないわ。誰かが救い出しにでも来てくれない限りはね」 P275
サラのクリストファーへの求愛を示すが同時に「誰かが」とあるので別にクリストファーでなくてもよいとも読める。孤児は愛情に関して受け身なのだ。サラを助けるイコール母を救出することとダブる。
こうして妻というものについて話していて、自分が頭にサラのことを思い描いていることに私は気がついた。 P324
これはクリストファーが自らの愛情に鈍感なことを示す。両親とくに母への思いが鈍感にさせているとも思えるが。
「あなたと一緒にぼくもマカオに行けと?あなたと一緒に明日?」 P356
彼女がこんなことを言うのを聞いて、・・・はっきりと安堵の気持ちがこみあげてきたことだ。 P357
わたしは群衆の中にアキラの顔を見かけたのだ。 P279
後で、兵士になっているアキラ(じつは別人?)とも出会うが、この群衆の中のアキラも他人の空似で孤児の思い込みを示す。でもアキラの存在の意図がつかめない。
いや、はっきり言ってしまおう! わたしが訊きたいのは、他の人はわたしの妻を娼婦だとおもうだろうか、ということなんだ」 P290
サラは夫に大事にされていない。麻薬王と母との関係を連想させる。
私は彼女が笑ってなどいないことに突然気がついた。わたしが思っていたように彼女は笑いすぎて涙を拭いていたのではなく、本当に泣いていたのだった。 P352
「・・・あたくし、もうここにはいられない。できるだけのことはやったわ。でももうすごく疲れてしまった。あたくし、行くわ」 セシルは? あの人はあなたが何をしようとしているかを知っているのですか?」 P335
サラが本当に大事なものに気が付く。そしてまだそれに気が付いていないクリストファーを説得する。
「ああ、クリストファー。あたくし達二人ともどうしようもないわね。そういう考え方をすてなきゃいけないわ。二人とも何もできなくなってしまう。あたくしたちがここ何年もそうだったみたいに。ただこれからも寂しさだけが続くのよ。なにかは知らないけれど、まだ成しとげていない、まだだめだと言われ続けるばかりで、それ以外人生には何もない、そんな日々がまた続くだけよ。もうそういうことは置いておかなくては。仕事なんてほうっておきなさいよ、クリストファー。あなたはもう仕事のためにじゅうぶんな時間を過ごしたわ。明日行きましょう。これ以上一日だって無駄にするのはやめましょうよ。ふたりにとって手遅れにならないうちに行きましょう」
「・・・ただこれからも寂しさだけが続くのよ。・・・」ということにサラは気が付く。しかしクリストファーは孤児の鈍感さ故、次のような間抜けな問いかけをする。
「手遅れになるって、何がですか?」
・・・ただそこにあるもの、いつでもあるもの。ちょうど明日の朝みたいに。そういうものが今は欲しいの。・・・」 p358
ぼくはどこでもあなたの行くところについていきますよ。あなたがこの世のどこに行きたいと言おうとも」 p361
と急変してサラと出かける決意するのだが、やはりうまくいかない。孤児の捉われが決意を妨げる。
「あたしがおじさまを助けてあげるってことを」 p366
孤児は同じ孤児に愛情を注ぐ。
「アキラ。ぼくだよ。クリストファーだよ」「知るか。ブタ野郎」 p421
クリストファーは逃亡兵をアキラと思い込んだが実は違う。次の台詞でもそのことが感じられるが断定はできない。
「おれはここで戦っている。何週間も。ここのことならまるで・・・故郷の村のようによく知っている」「故郷の村ってどこのことだ?」・・・「租界の事を言ってるのかい?」・・・「そうだ」 p431
「アキラ」この話が長引けば長引くほど、ある種の危険が-大きくなっていくのを感じて、わたしは言った。 p445
ある種の危険とはアキラではないことが判明することだろうか。
「あの、大佐、わたしには子供時代がとても外国の地のように思えないのですよ。いろんな意味で、わたしはずっとそこで生きつづけてきたのです。今になってようやく、わたしはそこから旅立とうとしているのです」 p467
孤児の思いは長い跡を引く。
「サラには行くべきだとずっと言っておったんだよ。出かけていって、愛をみつけるべきだ、と。ほんとうの愛をね。・・・」 p473
サラの年の離れた夫の台詞。これは意外なセリフだ。虐待していると思ったが実はそうでもない。
「パフィン。きみのお父さんはある日、愛人と駆け落ちしたんだよ」 p483
お父さんはお母さんを崇拝していた。・・・で、自分の中にそれだけのものがないとわかった時、彼は出て行ってしまったんだよ。・・・」 p485
「やつらは中国人が混沌に陥り、薬物中毒になり、自分たちで自分たちの国をきちんとおさめることができなくなっていたんだよ。・・・」 p487
「簡単に言ってしまえば、彼はアヘンの積み荷を自分のものにしてしまおうと計画していたんだ。・・・」 p489
「文字通りやつを叩いてしまったんだ」 p490
「やつはお母さんを妾として湖南省まで連れて帰りたがった。・・・」 p491
「もしきみのことがなかったら、きみへの愛がなかったら、パフィン、お母さんはあの悪党がお母さんに指を触れる前に、一瞬のためらいもなく自ら命を絶っていたとおもうよ・・・」 p494
それはワン・クーのおかげだったんだよ。というか、むしろお母さんの犠牲のおかげというべきかな」 p495
「あいつは食事に招待した客の前で、お母さんをよく鞭で打った。・・・しかもそれだけではなかったんだ。わかるかい・・・・・・」 p497
苦界をこれでもかと描き出す。
「きみのお母さんは、きみに永遠に魔法がかけられた楽しい世界で生きてほしいと思っていた。・・・」 p498
わたしはワン・クーがきみのお母さんを連れ去るのを手助けした。 p501
人の心の不気味さをみよ。
彼女を見守り、耳を傾けていると、記憶の断片が蘇ってきた。風のある夏の日に我が家の家の前で、母がブランコに乗り、笑いながら大声で歌っており、わたしがその前でぴょんぴょん飛び跳ねながらやめてくれと言っている。 p514
つまり、母はずっと私を愛し続けてくれていたんだってことが、いついかなるときもずっとね。・・・そんなことは、それほど驚くべきことではないかもしれない。だがわたしは、そう気がつくのにこれだけの時間がかかったのだよ」 p517
それに、あなたにとっては、あの日わたくしと一緒に来ない決断をなさったのは正しかったんだと、今ではわたくしも信じています。 p529
わたしのようなものにとっては、消えてしまった両親の影を何年も追いかけている孤児のように世界に立ち向かうのが運命なのだ。
p530
2014-08-04
日の名残り カズオ・イシグロ