まさおレポート

パタゴニア紀行 2

 

 

ペリト・モレノ

 

ペリト・モレノ国立公園の入り口に到着した。ここで、トイレを済ませて入場券を購入する。入場券は30ペソ(約10USドル)。ガイドがお金を集めてチケット買ってきてくれる。

ペリト・モレノ氷河はロス・グラシアレス国立公園にある。ペリト・モレノは冒険家フランシスコ・パスカシオ・モレノ(1852~1919)にちなんだ名前で、彼はチリとアルゼンチンの境界線作成者ペリトperitoに任命されたためにペリトモレロと呼ばれる。彼はエル・チャルテンも発見し、ビーグル号の船長フィッツロイの名をとってフィッツロイと命名した。

 

氷河が大氷原から押し寄せてくる。地球温暖化で南パタゴニア氷原からの48本の氷河の多くが溶けて縮小していく中で不思議なことにこのペリト・モレノ氷河だけが氷量が増え続けている。

表面積約250平方km、氷の厚い場所は約700mある。アンデス山脈の南端部の南パタゴニア氷原から48本の氷河が流れるがその1本がペリト・モレノ氷河だ。ペリト・モレノ氷河はこの先のアルヘンティーノ湖へ流れ込む。南パタゴニア氷原からの氷河の長さは約30kmでこの終端の広がりは幅約5km、湖面からの高さは約60m、湖面下も含めた氷全体の高さは約170m。この氷塊が1日当たり約2mの速さで湖へと流れ込んでいる。 

 

ペリト・モレノはとにかく寒くて頭から大ぶりのマフラーをぐるぐる巻きにしジャンバーの下はインナー用ダウンを着込んでいる。

2,3分毎に過去に経験したことのない巨大な地響きがする。最前線の氷河が崩れ落ちる音だ。

 

この階段を下っていくと氷河の直前に出る。

 

氷河は垂直に崩壊する。

 

レストランでサラダ、スープ、カツレツのフルコースにワインでしっかりと腹ごしらえをして午後からのボートクルーズに備える。ボートクルーズのチケットを買うために並ぶと再び寒くなってきたのでインナーダウンを着込みボートへ乗り込む。

 

まぢかに見ると氷河は青い。海や空が青く見えるのと同じで氷河に閉じ込められた塵が波長の短い青を反射する為だ。小さな洞窟が右手に見える。

 

氷河ツアーも終了し帰りのバスでは寒さと長時間の歩行で疲れ熟睡していた。気がつくとホテルに到着していた。

日本からここまで来るのにトータル40時間かかる。それに12月~3月の夏の間しか来ることができない。今回、うまくタイミングがあって素晴らしい氷河を見ることができた。この旅の最大のイベントの一つが完了した。

エルチャルテン・フィッツロイ

 

今日はフィッツロイ山のあるエルチャルテンの村へ移動する。前日に街の中心にあるバスターミナルでホテル3泊とバス往復のプロモーションパッケージを確保した。大きな荷物はケクタ・ホステルに預けて、手軽に着替え数枚だけを持って行く。

 

バスの出発時間は午後13時でケクタ・ホステルのチェックアウトは10時。それまで時間が3時間あるのでケーキタイム。レモンパイとアップルケーキがでかい。しかも甘い。ランチ用にミートパイなどを買ってバスに乗り込む。

 

バスでの昼寝から覚めるとこんな景色だった。川の色と雲に見とれる。

 

しばらくするとバスが止まった。サイクリストがバスを止めたのだ。自転車を荷物入れに収めてサイクリストのカップルが当然のように乗りこんできた。日本のバスは到着時間が遅れるのでだめとか言われそうだがこんなところで置いていくと命にかかわる。

 

眼前に現れた山並み。俄然気分が盛り上がってくる。

 

国立公園の入り口に到着し山小屋で説明を聞く。とにかく、ごみを持ち帰るようにと説明され、持ち帰り用のごみ袋を下山時に持っていなかったら取りに帰ってもらうとの厳しい注文が説明員から出る。

ホテルにチェックインして西部劇の街並みのようなあたりを散策すると生ビールが飲めるお店があった。

ハイネの登山観光客が停泊するところで、西部劇のスタジオのような街のたたずまいが印象に残っている。舗装はされていない上に大平原からまともに吹いてくる風が強いので車が走り去った後は猛烈な砂埃が立って周りが見えなくなる。そんな道路沿いに間口の小さなレストランがあり、ガラス越しに生ビールが飲めることを確認して嬉しくなり思わず入った。

日本を出てから初めての生ビールに感激する。ここで明日のトレッキングのルートを検討し結果、ツアーには参加せず自分たちで行ってみることに決定した。旨そうなスープの匂いにたまらず豆のスープロクロを頼み、食べると味に体にしみこむような感動がある。料理法は簡単なもので、豆とスジ肉と岩塩くらいのものだろう、ただ柔らかく煮てあるだけのシンプルな調理で、片田舎の小さなレストランに実によく合う。

 

 これがこの夜の滞在ホテル。夜はストーブをたかないと寒くて寝られないほど冷える。

 

朝ごはんのときに前日にオーダーしておいたランチボックスを受け取る。サンドイッチと水とりんごとチョコレート数個でけっこう重たい。登山口を朝9時過ぎに出発する。

 

山道に入り、いきなり巨岩がお出迎えだ。

 

倒木とブナの林の中を平らな歩きやすい道が続く。

 

フィッツロイ展望台への道案内だ。左は往復2時間半コースのカプリ湖行き。右は往復6.5時間コースのフィッツロイ展望台行き。我々は右に行く。

歩きにくいところは木の歩道が設けられていて心配りが感じられる。

 

登山道のなかほどからの山並みを眺めているとトレッキングでも本格登山の雰囲気が味わえる。最高に気分が良い。凍った山肌が美しい。

 

低木のカラファテの林を歩く。カラファテはこの地の由来になった植物の名前。

 

突然フィッツロイ展望台の標識が現れる。標識中Miradorとは展望台の意だ。

 

これがフィッツロイの雄姿で鋭い歯のようなあるいは角のような尖った峰を持つ。中央の山がフィッツロイ(3,405m)、左がポインセノット(3,002m)、右がメルーモス(2,574m)。雲がかかっていたりして、全景がこのようにしっかり見えるのはめずらしいという。先日のペリト・モレノ氷河といい天気に恵まれている。このビューポイントで、しばらくフィッツロイを眺めながら休憩する。

ロバート・フィッツロイはイギリスの海軍軍人でチャールズダーウィンが参加した2回目のビーグル号航海で艦長を務めた。チャールズダーウィンがこの航海の経験から書き上げた『種の起源』は敬虔なクリスチャンのフィッツロイには衝撃的で罪の意識にさいなまれたという。

パタゴニアを現したチャドウィンも種の起源とダーウィニズムに対して原住民を動物並みに扱った思想的背景になったと批判的であった。

南アメリカ大陸の最南端、マウントフィッツロイはロバート・フィッツロイにちなみアルゼンチンの科学者フランシスコ・モレノによって命名された。

 

ランチボックスを取り出して、弁当タイムにする。目の前にブルーベリーかと見紛うカラファテの実がなっている。この時点で、午後1時半でそろそろ目的地のロストレス湖についている予定だがその手前のキャンプ場にさえ到着してない。だんだん寒くなってきて、天気も少し崩れそうだ。フィッツロイも眼前に仰ぎ見たということで引き返すことにする。

 

恐竜の白骨のように見える南極ブナの枯れ木の間を歩く。坂を下るときに、とうとうひざが笑い始める。

なだらかな道を延々と歩く。このような場所では歩くことが楽しい。雲と山並み。数千年来変わらぬ光景だ。

人っ子ひとりいない道を歩くといきなり巨岩が現れる。

カラファテの実。葉がサボテンのように厚ぼったい。

 

ようやく出発地の街並みがみえてくる。ハードなコースでかなり足が疲れた。エルチャルテンの村が見え、まるで遭難船から島がみえた気分で南米初トレッキングは終了した。考えてみると日本で富士山すら登った経験がない。それなのに南米まできてトレッキングしている。

 

ホテルから見る朝焼けが実に美しい。パタゴニアでの最高の思い出の一つだ。 

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