ようやく三本道につくとそこには農夫に見えるおじさんが待っていた。他のメンバーから羨ましがられながら、プエルト・ナタレスへ戻る途中で車からおろしてもらい、ロッジ・セロギドへ向かう。かなりポンコツなトラックの後ろの荷台にリュックを載せ、ロッジへ。大平原の中をどこまでも走る。しかし人には一人も会わない。時折羊の群れがのんびり草を半でいるのが見受けられるだけだ。
30分ほど走っただろうか、途中でウサギを見かけて眺めているうちに前方の小高い丘の上にロッジが見えてきた。迎えにきてくれたおじさんにお礼を言い、レセプションに女性がいたがスペイン語しか通じない。英語の通じる人を連れてきてくれて受付を完了する。7時半からディナーと聞きさっそく部屋へ向かう。
チェックイン後飲み物を摂るためにレストランに行くと窓からは雲と空と夕日が織りなす壮大な一幕が始まっていた。黄金色に染まる雲と稲妻のように横に走る日の光そして降りかかる太陽光線はバチカンでみたミケランジェロの天地創造の背景にも似合いそうだ。
雲の流れが速い。瞬く間に雲は沸いてきて空全体を覆いつくす。
彼方の方角では静謐と清廉の支配する空と雲。このくらいにスケールの大きいモノトーンだと夕暮れも寂しさとは無縁だ。
さらに別の方角では薄い茜色に空が染まり引き込まれるような桃源郷を連想させる。
かつてこの辺りを荷を積んで走った6頭立て幌馬車の巨大な車輪がオブジェとして置いてある。
最先端の水供給設備が設置してある。周りとの対比が面白い。
これが我々の部屋のあるロッジ・セロギド本館。
暖炉もある共同の居間。
我々の部屋。ただのほったて小屋を想像していたがイメージが違う。
窓からの眺め。
レストランの前のテラスからの眺め。
レストランに入ると、ソファーコーナーにはイギリス人の年配の方々のグループがすでに憩う。
おつまみの立派なオリーブとソーセージが美味しい。レベルの高さにびっくり。
フィレステーキを食べると、ちょっと物足りない感じがした。やっぱりここでは、ごついサーロインが似合う。デザートはカラファテの実のムース。
ソファーコーナーからの眺め。180度ナイスビューだ。
部屋に戻る途中に野生のスカンクを発見する。狂犬病を持つのでホテルなどで餌付けはしない。
スカンクは体長40〜68cm、体重は0.5〜3kgでネズミなどを食べる。スカンクの悪臭は肛門嚢から放出され肛門嚢には5〜6回分(およそ15cc)の分泌液が蓄えられている。
こんな橋を通って部屋へ帰る。
一夜明けての空は昨日の色彩の饗宴を忘れたかのように静かだ。白い雲と青い空のいつもの姿に戻っている。
2007年2月13日素敵なロッジの朝ごはんは、山並みを見ながら優雅に食べる。昨夜いたグループは、このロッジからパイネ1日観光にでかけていった。グループツアーがいなくなると、本当に静かだ。
チェックアウトしてロッジの周りをトレッキングしてみることに。簡単なランチをもって周辺の散策に出かけた。村の小さな民家の前からスタート。
ガウチート・ヒルGauchito Gilが祭ってある。日本のお地蔵さんのようだ。ヒルは19 世紀後半に活動したと伝えられるガウチョ(牛追い)で徴兵された後に軍隊を脱走して盗賊になり盗品を貧者たちに分け与えた。捕らえられ処刑される直前に刑執行人に対して息子はこの後病気になるが助けたければ私に祈ればよいだろうといった。刑執行人はヒルに祈ると息子は回復する。ヒルに祈れば願いがかなうという信仰が1878年からアルゼンチン広まる。
ガウチート・ヒルは映画 「明日に向かって撃て!」のもとになったプッチ・キャシディの物語とも重なる。
ロバート・ルロイ・パーカーは人なつっこい顔をした活発な少年だった。…18歳で、彼は自分の生来の敵が畜産会社や鉄道会社や銀行であることを悟り、正義の法の裏側にあることを確信した。
ロバート・ルロイ・パーカーはプッチ・キャシディと名乗り1896年から1901年にかけて、次から次へと完璧な強奪をやらかし、警察やピンカートン探偵事務所や鉄道会社をいら立たせつづけた…ときには貧乏な未亡人の代わりに、家主からから盗んだ金で家賃を支払った。農場の人々は彼を愛した。…プッチ・キャシディは決して人を殺さなかった…仲間が人殺しをすると、彼はひどく両親の呵責を感じた。…1901年の秋、プッチ・キャシディはニューヨーク゛でサンダンス・キッドとその情婦エタ・プレイスに出会う。…彼らはエタのためにティファニーで金時計を買い、…ブエノスアイレスへと船出した。…1909年12月、ボリビアのサンビンセンテで死んだというのが彼らの死に関する定説である。p90
これはセロギド小学校でただいま夏休み中。
夏でも薪の用意が必要だ。朝のレストランの暖炉では薪を燃やしていた。
トレッキングに出発する。3回とりかえて、やっといい感じの杖を確保した。それにしてもなぜ樹も生えていない山道に手ごろな枝がおちているのだろうと不思議だ。
歩きながらパイネの山波を見る。
野生の羊あるいは放し飼いか。我々の姿にびっくりしたらしくダッシュして逃げていった。
グアナコも子連れなのでかなり遠く離れていても警戒していた。威嚇の声をあげる。
ニャンドゥもいた。走るのが速い。
グアラニー語ではニャンドゥと呼ばれるダーウィン・レアは、90-100cmの背丈をもつ。時速は60kmで5-30羽の群れで生活をしている。ダーウィン・レアはパタゴニアやアンデス高原のひらけた草原地帯に生息するが、いずれの生息地でも絶滅寸前である。
一通り動物が去っていくと、横になり雲を眺めてリラックスする。
山があまりに美しいので山のほうへ向かって低い柵を乗り越えて入っていった。かなり先に馬の姿があったのが進んでいった。しばらくすると、馬が近づいてくる。馬も子連れだ。早歩きでもと来た方向に進んで後ろを振り返ると馬の数が増えている。さらに進んで振り返るともっと近づいてきている。馬の群れに襲われるかもしれないが岩陰など防御するものが何もない。2人で必死に走り、どうにか柵を出た。
グアナコやニャンドゥそれに多くのグアナコの白骨が丘に散在している。風が強いが寒いということはなかった。今日のトレッキングは終了だ。
村がかなり小さく見える。
ロッジまで下りていく途中に見つけた虫。
ロッジからバス亭までまたおんぼろトラックで送ってもらい、プエルト・ナタレス行きのパブリックバスを待つ手はづなのだがいつまでたってもパブリックバスは来ない。この道の向こうからくるはずだが心細くなる。
30分後にやっときた。トラックで送ってくれたおじさんは心配なので我々がバスに乗りこむまで見届けてくれた。2時間余りバスに揺られて無事プエルト・ナタレスへ到着する。