まさおレポート

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「シーザーの晩餐」 ローマ人は何を食っていたか

2017-02-27 | 小説 音楽

宮尾登美子が「シーザーの晩餐」の解説を書いている。食を通してクレオパトラの時代が目に浮かんだとある。そして小説「クレオパトラ」を書くことができたと謝辞を書いている。

以下は「シーザーの晩餐」西洋古代飲食奇談 朝日文庫 塚田孝雄 からの抜粋メモです。

攻略の方法を間違えているのか一向に手ごたえがなく、ほとんど絶望しかけていたころ、突然であったのが、この塚田さんの「シーザーの晩餐」だったのである。読み終えたとき、私はかつてヘレニズム世界に生きていた人間のような錯覚にとらわれており、だれに聞かれても、たった今の食卓の状況をつぶさに話してあげられるような気になっていたのだった 宮尾登美子「シーザーの晩餐」の解説 p372

作家の創作にあたっての手ごたえは日常の衣食住が見えてくるかどうかにかかっている。

一世紀の人気作家ペトロニウスの悪党小説サチュリコンには成り上がり者トルマルキオの精彩に富む豪宴が描かれている。 p15

『サテュリコン』 は、ペトロニウスによって書かれたと推定される、ネロ期の堕落した古代ローマを描いた小説。その内容の退廃性や登場人物の悪徳ぶりからピカレスク小説にも分類されるが、風刺的な内容もふんだんに含まれている。現在には完全な形では残っていない。 ウィキペディア

近海の牡蠣にあいたローマ人が、ロンドンに近い海港ルトウピアエから、三口グイという大型の牡蠣をいきたまま船に積み、何十日もかけてジブラルタル経由でローマの外港オスティアに運び p17

皇帝ドミティーアヌスは牡蠣を一口食えばイタリアのキルケイのものか、遠いブリタニアのルトウピアエかを見分けた。p106

皇帝ドミティーアヌスは妻の差し金で暗殺される。味覚の鋭敏な日本の政治家としては西園寺公望が。

カタツムリも大きくて美味なものを探し回り、モロッコのまださきの、ケープベルデ付近のソリタナから最上のエスカルゴをとりよせ p17

我平安朝宮廷のしきたりなどから考えてみると、例の悲運の最期を遂げた長屋王のオンザロックは疑わしい。 p20

 昭和63年、平城京で長屋王邸跡で大量の木簡が発掘されました。その中に「都祁氷室」のことが書かれた木簡が含まれていました。これにより、福住地方から平城京の長屋王邸宅に氷室の氷が運ばれたことが証明され、また、その記述内容には『日本書紀』と一致する部分がありました。

福住村(ふくすみむら)は奈良県北西部、山辺郡に属していた村。現在は天理市の東部、名阪国道福住インターチェンジ付近。ウィキペディア

ワインを済ませるには木灰を加えた。 p20

日本酒も奈良時代以前は濁り酒だったのが木灰で清酒になる。使用人が腹いせに入れたとされるのは誤伝だという。

神曲の地獄篇に登場するチャッコは大食の罪を問われている p20

「ねたむ心であふれんばかりのあなたの町フィレンツェで、私は美しい生を生きていました。フィレンツェの人びとは私をチャッコと呼びました。しかし、ご覧の通り、呪わしい大食らいの罪で、雨に打たれているのです。悲しく沈んだ心を持つのは私だけではなくて、ここにいるすべての罪人達は、私と同じ罪を犯し、同じ罰を受けているのです。」http://pocoapoco.way-nifty.com/mamego/2014/09/post-c4f6.html

彼はしばしばラクダのかかと、生きている雄鶏から切り取ったとさか、クジャクとピロメラの舌を食べたが、これはこのようなものを食べると疫病にかからない、といわれていた p80

程のよい温度の灰にころがしたゆでたまごもきっと出す めぶたの乳房 p82

 紀元1世紀にサーボーという新製品がゲルマニアから輸入され、これが次第に改良されて、・・・現代の石鹸の元祖 p88

ユリウス・カエサルは若いうちから頭髪と眉毛を除く体毛をすべて抜き取っていた p90

人畜の糞尿を歯の漂白 衣類の洗浄に p90

これは初めて聞いた。

犬にご用心 カウエ カネムと書き添えてある p92

シチリア島で家の玄関口に陶器で描かれた犬にご用心を見かけたことがある。

卵から初めてリンゴに終わる p97

古代ローマでは前菜の卵から始まって、最後にリンゴを出して終える。初めから終わりまで」の意

ローマ人ほどむやみにキスをする民族は珍しかった p101

キスの起源はローマ人か。

カエサルの市場やトラヤヌスの市場やティベリウス河岸の食品倉庫に p102

こうした場所に人々は買い物に出かけた。

当時の人々が食べていた海の幸 蛸や伊勢海老、ウツボ、イカなど。蛸が伊勢海老を捕食するのは当時から知られていたのだ。

途方もない大きさのキャセロールを焼き上げて p106

巨大な平目を煮たという。キャセロールとはモロッコのタジンと同じ土器鍋。

当時は肌色による偏見は存在しない p107

クレオパトラとアントニウスの結婚式に45センチの厚さにバラを敷いた p114

この書の別のところには天井からバラを落として数人が窒息したという。とにかく花をまくのが好きだったらしい。

ホメロスは塩に対して神々しいという形容詞を与えている p130

黄銅の盆の上にワインに合ったねぎをおかずとして差し出した p131

プラトンの時代、饗宴に客たちが横になれるように、奴隷が足を洗った p137

ホメロスはいつも椅子に座らせた p137

ギリシャ人は指だけを使った p139

ギリシャ人は指だけを使って食事をした。食事を取るときは、指先と2種類のスプーン(大きめのリグラ ligula と小さく柄がとても細いコクレアル cochlear)を使った。コクレアルは貝やカタツムリなどの軟体動物を突いて食べるときに現代のフォークのように使われた。wiki

ムサイオスは正義を行って世を去り冥界に赴いた人々は、善行の報酬として永遠の酩酊を楽しめると考えた p145 

山田風太郎「神曲崩壊」では酩酊の罪で古今東西の著名人がのたうち回るのだが。江利チエミ、平賀源内が大酒飲みだとは知らなかった。

  「19XX年2月30日正午ころ、人類は核戦争を起こし、地球全体を崩壊させてしまった。ちょうどそのとき『神曲』を読んでいた「私」は、地獄の門の前でダンテに出迎えられ、地獄めぐりの旅に出る。 「私」を乗せた馬車が行くのは、飢餓、飽食、酩酊、愛欲、嫉妬、憤激の六つの地獄。 酩酊の地獄 では 小栗虫太郎、若山牧水、稲垣足穂、種田山頭火、梶山季之、江利チエミ、黒田清隆、平賀源内、ロートレック、ゴッホ、ユトリロ、ヴェルレーヌ、ポー、横山大観、井伏鱒二、李白、古今亭志ん生。 山田風太郎 「神曲崩壊」

アテナイでは杯は常に右から左に回された。ローマのキケロがギリシャの流儀で飲む。相手の名を呼んで乾杯する。p147

小笠原流で挙措進退を規制された室町武士 p165

パクシという魔術師たちによる、飛杯の話 オドリコの旅行記にも登場する p167

マルコポーロの旅行記による。しかし飛杯を見てきたように書いているところから、彼の旅行記の内容もいまいち信用できないことがわかる。

信貴山縁起絵巻に出る命蓮法師の飛鉢、三国遺事にある飛倉、中国の天厨、阿じゃせ王経、文殊支利普超三昧経以下の方等部経典に頻繁に表れる釈尊の飛鉢、ギリシャではチュアナのアポロニウス伝に出る飛鉢、飛皿、サングラス伝説などと繋がる。仏典に八万余の飛鉢が香飯に満たされ虚空を雁行するさまp173

戒日王 「今、財宝を福田の中に蓄えることができました。願わくは生まれ替わる毎に財宝を積んで遍く衆生に施し、その善根によって十の自在力ならびに智慧と福徳を授かりますように」と合掌した。p174

ペトロニウス 千利休が茶道具の目利きをしたように、ペトロニウスの一言が万物の美醜を決める尺度になっていた。 p198

ペトロニウスの誕生年は14年や20年、27年など諸説があるが確定せず、その前半生もはっきりとしない。タキトゥスやプルタルコス、ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)はペトロニウスを皇帝ネロの宮廷での典雅の審判者(ラテン語:elegantiae arbiter)であったと記述している。wiki

ガイウス ヒッリウスはウツボの養殖池をこしらえた最初の人だった。独裁官のカエサルが凱旋式に続く饗宴を催したときに、六千匹のウツボを貸したのもこの人であった。 p284

カエサルはほとんど酒をたしなまなかった p330

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 


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