まさおレポート

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なぜインドで仏教が滅びたか

2024-04-20 | 紀野一義 仏教研究含む

バリでヒンドゥに接し、ジャワのボロブドール寺院の滅亡を見て以来の疑問がある。

なぜインドで仏教が滅び、ヒンドゥが圧倒的なのか。そして同じ時期に生まれたジャイナ教が今でも残っているのか。そしてなぜインドで滅びた仏教がスリランカや東南アジアで、そして大乗が日本に生き残っているのか。ずっとわたしの頭に疑問が残っていた。

カースト制度がどうもこの疑問をとく鍵のようだ。まだまだ不十分だが佐々木閑氏のYoutube講義でなんとか辿り着いた理解を少しメモしておきます。


紀元前5世紀ごろにインドで反カーストとして発生した仏教とジャイナ教だが絶大な勢力のバラモンに比べればマイナーな教団だった。それらが徐々に北東部で伸びてきた。そのうち仏教だけがインドでは1000年も持たずになぜ滅びたのか。同時期に発生し現代でも生き残るジャイナ教と比較するとそれがよくわかる。

インドで経済が起こり仏教の在家信者も富裕層として栄える。富裕層はどうしてもカースト的な考えの方が都合が良い。仏教教団も多くの布施をいただく富裕層在家信者の要望をいつしか取り込むようになる。仏教教団も厳格な反カーストが緩むようになる。三蔵法師玄奘の日記にもインドの仏教学院で象に乗って出かける記述があるそうだが、教団が富裕化しているのがみて取れる。

富裕層信者はカーストを説くヒンドゥに戻っていくことは容易に想像がつく。さらに仏教側ではヒンドゥの神々である梵天などの神々を仏教の神々として取り込んだため依然として巨大であったバラモンの流れを組むヒンドゥと教義の壁がなくなってきた。

さらに11から12世紀にかけて襲ったイスラム勢力がインドではカースト制度を容認する姿勢をとった。つまりヒンドゥとの融和策をとったためにいよいよ仏教側は立場がなくなってゆく。

18世紀になると英国がインド支配に乗り出し、彼らの植民地支配のテクニックとしてイスラム、ヒンドゥ、仏教が互いに敵対するように仕向けた。かくして仏教がインドから壊滅的に姿を消した。

しかしジャイナ教はやはり基本としていた反カーストを緩めずに厳しい生活を崩すことはなかった。(裸同然の生活をしている)だからヒンドゥに取り込まれることもなく現在でも生き残っている。

ではなぜ仏教が日本で生き残り続いているのか。まず中国人の三蔵法師たちがヒンドゥよりも仏教に興味を示さなかったなら日本に仏教は存在しなかった。ではなぜ中国人にヒンドゥが魅力的でなかったのだろうという疑問が湧くが今後の課題としたい。

いずれにせよ聖徳太子の頃に日本に伝来した仏教にはバラモンなどの定着した対抗宗教はなかったことが理由だろう。

 

 

 

 

 


1 コメント

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Unknown (tokinosekimori-kitaiwahara)
2024-04-21 10:08:42
とても考えさせられますね。
わかる部分もありますが、考えたこともなかったので、少し考えてみたいですね。
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