日本人旅行者がウマワカ渓谷で遭難の報に接し2016年9月8日の稿に追記した。
メンドーサ
朝11時にホテルをチェックアウトしスーパーへひとっ走りしてランチボックスの材料を買い上げ
13時発のバスへ乗車。バリローチェからメンドーサまで1530キロ、20時間近くの長旅だ。
こんな景色がはじまる。
ところどころに切り立った岩が突き出している珍しい光景だ。景色を見ながらランチ開始で今日のメニューは、サーモンとクリームチーズ、それにスーパーの惣菜コーナーで買ったマッシュルームの炒め物。ワインを飲みながら窓を眺めていると気持ちよくなり昼寝。
目が覚めると、既に5時過ぎになっている。遠くに雨が局地的に降っているのが見える。
大きなバス停に到着。バスのドライバーがスペイン語でアナウンスするがわからない。困った顔をしていると前の座席のお兄さんが、10分したら行くから近くにいるようにと説明してくれる。
あとは、ひたすら雲の面白さや木々のシルエットを眺める。南米の雲はいつもドラマチックだ。
夕暮れの地平線がオレンジに輝く。
夕焼け色も刻々と変化して飽きさせない。
夕闇が迫ると今度はブルーアワーのひと時だ。青い色調へと変化していく光景は見ていて飽きない。
神々しい雲間の太陽が作り出す森のシルエットに酔う。
朝、目が覚めるとバスの窓にはこんな光景が広がっている。遠くに雪を冠った高山が見える。アンデスの高峰アコンカグアかもしれない。
ふたたび高い山が遠くに見える。
朝8時半過ぎ、無事メンドーサのバスターミナルに到着した。早速明後日出発のバスチケットをその場で購入する。今度はカマコーチを取れた。丘の上から見たメンドーサの朝。朝、バスターミナルに到着してホテルを予約してなかった我々は、今回は地球の歩き方にあったホテルへタクシーで向かう。値段を聞くと1泊200ペソ、約65USドル。バスタブにつかりたいので、OK。久しぶりに風呂にゆったりと入りそのあとランチへ向かう。
アルゼンチンにはどこの町でもこういう革製品のお店がある。さすが牛の一大産出国だ。それにしてもショーウィンドウを眺めている女性の装いが店にコーディネートしているかのようだ。
看板には1883年からあると記された中央市場の中をのぞいてみる。なんといってもメンドーサはワインの産地だ。ワインに合う美味いものには事欠かないだろうと好奇心を抑えられない。
生ハム、サラミ、ベーコンが並ぶ。さすがアルゼンチンだ、充分に熟成された生ハム が塊のまま何本も吊るされている。内部の骨を感じさせる。
精肉店の豚。日本の肉屋と異なり肉塊がぶら下がる。彼らは日本人が鮮魚をみて美味そうと思うのと同じで耳付きの頭をみて食欲がわく。
椎茸を発見。名前もSITAKEと書いてある。この店には日本の角屋のごま油や亀甲満醤油まで売っていた。椎茸の奥にあるのは干した唐辛子チリだろうか。
ドライフルーツの店でデイツを発見。モロッコでデイツを食べて以来見つけると買う。モロッコの次はイタリアで見つけた。そのあとはアルゼンチン。しかし味はモロッコのデイツほどではない。他にイチジクのドライフルーツやくるみを買う。
メンドーサは地中海性気候のためワイン醸造が盛んでアルゼンチン産のワインの7割近くが作られメンドーサに集積される。見所はワイナリーぐらいかなと思いながらガイドブックを見ると、隅っこのほうにアンデスの高峰アコンカグアへのツアーとある。南半球における最高峰6960Mの山を見るツアーが人気だとのこと。ツアーに参加することにした。1人70ペソ20USドルちょっとで12時間のバスツアー。朝、7時30分にバスがホテルに迎えにきた。
ボリビア人はいつもマテ茶を飲んいでる。イェルバ・マテの葉に水または湯を注ぎ成分を浸出し砂糖を入れそれを先端に茶漉しがついた専用のストローで回し飲む。
この回し飲みがポイントだ。ビタミンやミネラルの含有量が極めて高く重要な栄養源となっているという。ガイドとバスの運転手も同じストローで飲むのが文化でかつての日本の献杯返杯と通じるものがある。飲むか?と聞かれノーサンキューと笑顔で答える。このマテ茶の器にはいろんな種類があり土産屋には高価な銀製品のものまである。伝統的な茶器が現地の言葉でマテと呼ぶひょうたんでできていることからマテ茶と呼ばれる。
かつての日本で酒を回し飲んだが、それを思わせる儀式めいた習慣だ。
しばらく行くと、ぶどうの木が続く。このあたりにワイン蒸留所ワイナリーがたくさんある。
遠くに立派な山が見えてきた。これがアコンカグアかとガイドに聞くと、違うという。まだまだ見えないらしい。
すでに雲より高いところを走る。車はしばらく行くと撮影用にストップする。きれいな湖だと思ったらメンドーサ川のポトレリージョス谷にあるダムだった。
ツアーバスは我々入れて8名でドイツ人女性が一人で参加していてあとは全部アルゼンチン人だ。このドイツ人女性はスペイン語もしゃべるので英語のガイドが必要なのは結局我々だけだった。このドイツ人女性は日本にも行ったことがあり片言の日本語もしゃべる。
ダム湖の反対側は赤い肌がむき出しの景色。とにかく景色がどんどん変わる。
途中でポトレリージョス谷のダム湖をみる。
メンドーサ川の水を飲む。1回飲むと、再びメンドーサに戻ってくる。2回飲むと、今年は最高の年になる。3回飲むと、反対になる。つまり最悪の年に?
下部の空洞はどうやって出来たのだろう。地下水に浸食されて出来た実に不思議な地形だ。
地層が縦にずれた跡だろうか。
石でできた橋は昔メンドーサがチリ側の土地だった頃にできた。
これがアコンカグアだ。アコンカグア(Aconcagua)はアンデス山脈にある南米最高峰の山で標高 6,960.8 m、アルゼンチンとチリの国境付近のアルゼンチン側にある。1968年2月5日に植村直己が登頂した。
さらに登る。九十九折の道が見える。
標高4200Mに到着。さすがにここまでくると少しでも急な動きをすると息が切れる。
チリとアルゼンチン国境、ウスパジャタの標高3854mに立つキリスト像はチリとアルゼンチンの1904年の終戦を記念し両軍の大砲をつぶして作られた。高さ10m、重さ4トン。風が強い。
泥がそのまま固まったような山 。イザナギとイザナミは天の橋にたち矛で混沌をかき混ぜ島をつくる。そんな風景を思い描く。
アコンカグアから流れるメンドーサ川 。
鋭い尾根を見せる。
紺碧 紺碧 紺碧!
氷河を頂く高山と紺碧の空の調和が素晴らしい。
断崖を走る。下を見ないようにする。落ちるとまずは助からない。モロッコのアトラス山脈越えで味わったと同じスリリングな道での対面交差だ。
「プエンテ・デル・インカ」インカの橋と呼ばれる。温泉に含まれる鉱物が固まってできた天然の橋だ。
いかにも硫黄色 。
小高いところまでリフトで行く。
帰りのリフトは急こう配で上から見下ろすと冷や冷やものだ。
下のほうに見える道路をみても、けっこう高いところまできているのがわかる。やっとイメージしていた南米の景色になってきた。それにしてもモロッコのマラケシュと同じ色調だ。ひょっとして同じ成分の鉱物からできているのか。
メンドーサ市内に帰ってきた。道の両サイドが並木になっていて気持ちがよい。都会なので車の数はもちろん多い。日が暮れるのが遅いので、仕事のあとでも公園でゆったりできる。レストランがオープンするのは夜9時から。
ある店でワインのセレクトボックス(6本組)を日本に送るといくらか聞いてみると150USドルと送料のほうが高くなる。南米は遠い。
サルタ
2007年2月24日。今日はメンドーサからサルタへ1600キロの旅の移動日。夜8時出発のバスはカマコーチでしかも一番前の席が確保できた。
翌朝目覚めると緑の景色が続いている。
午後3時すぎ19時間かけてようやく1600キロ離れたサルタの町へ到着した。高台からみたサルタの街並み。
巨大な牧羊犬が三匹道を悠々と歩いている。
サルタのショップにあったポンチョと帽子。
ウマワカ
2007年2月26日。今日は世界遺産の文化遺産に登録されているウマワカ渓谷のツアーへ向かう。ウマワカ渓谷は2003年7月23日にユネスコによって世界遺産に登録された。植民地時代とそれ以前の時代の集落が、アンデス高地に住む人々の文化を伝えている。ウマワカはアルゼンチン北部フフイ州の河川浸食によって出来た渓谷でパラグアイ川の支流の一つリオグランデ により形成された。
この谷には、岩肌の剥き出た荒漠とした景色があり、南北に点在する文化的に貴重な遺産が残されていて七色の丘 で有名なプルママルカ などがある。
朝8時にホテルへ迎えが来て車に乗り込む。今日は合計4名のツアーで私たち以外は一人旅のカナダ人のおじさんと、同じく一人旅のオランダ人の女子大生だ。
どんどん高地へ上っていくのが分かる。
この山だけにサボテンが乱立している。
岩が樹根に見える。南米で何度も見る。 河川浸食によって出来た深く狭い渓谷で七色の丘と呼ばれる色彩の変化に富む、しかし荒涼とした風景がある。
ウマワカ渓谷には観光地として旅行客が訪れる村が4つあり、プルママルカはその一つだ。そのプルママルカに到着する。標高2200mのプルママルカは渓谷で最も南に位置する村だ。この村には小さな教会と中央広場がある。この村の周辺は、特徴のある色調の山々が広がっている。後ろの山のグラデーションに注目だ。
村人が行き交う広場には土産店が並ぶ。
この辺りはサボテン以外の植物がまったくみられない。
砂利道を約15分歩く。
深い裂け目に赤土が傷跡のように見える。
次の場所へ移動するときに車の中から見えた景色。岩に突き刺さるようにして生えるサボテンに猛烈な生命の力を感じる。
七色の丘は赤、紫、茶色、オレンジ、白などの鉱物が削られたように露出して絵の具のパレットと言われている。岩は見る時間によって色の濃さが変わる。河川の浸食により形成された南北150kmに渡る渓谷で標高2000mを超える。
2019年9月1日の共同通信によるとプルママルカから、トレッキングに出掛けた日本人旅行者の女性がお気の毒にも滑落死した。足場は悪くしかも道に迷うと危険な場所だ。
村人の家。
中央の梁が先ほどのサボテンで出来ている。このサボテンはかなり頑丈な繊維でできているのか乾燥するとこのような梁に使える。
次の村ティルカラへ。この村はプルママルカよりは大きい。この美しい女の子の持っているリマのぬいぐるみを記念に買う。
赤い岩が門の入り口のように立ちはだかる。
ティルカラの砦 。
この女性は平和を祈っているようにみえる。
プカラ遺跡はプレ・インカの遺跡でピラミッドの上部を水平にカットした形だ。この後、フフイの町に寄ってツアーを終了する。フフイはデモをやっていて写真どころではなかった。
ツアーの車からバスターミナルでおろしてもらい、チケット売り場に行くと、予定していたチリへ抜けるバスが週3便しかなく次は日曜ならあいていると言われる。こんなところで足止めくらうとはと悩んだあげく、予定外のボリビアへ行くことにして翌朝のチケットを購入する。