物事に対して無理に道理をつけることはなぜいけないのか。善悪が双方バランスが取れているのに道理つまり善をたてすぎるとその善のみが強調されるためではなかろうか。
混沌は荘子に登場する。中央の帝の混沌は南海の帝と北海の帝を厚くもてなした。両帝は混沌の厚意に感謝して、のっぺらぼうの混沌に耳目鼻口の穴を開けてやることになった。作業が完成した七日目、逆に混沌は死に至った。
「混沌」とは、万物が形をなさず、もやもやとしたさま。宇宙・万物のはじめの状態をいう。
南海の帝を儵(しゅく)と為(な)し、北海の帝を忽(こつ)と為(な)し、中央の帝を渾沌と為す。儵と忽と、時に相与に渾沌の地に遇う。渾沌、之を待つこと甚だ善し。儵と忽と、渾沌の徳に報いんことを謀りて、曰わく「人皆七竅有りて、以て視聴食息す。此れ独り有ること無し。嘗試みに、之を鑿たん。」と。日に一竅を鑿つに、七日にして渾沌死せり。
渾沌または混沌は、中国神話に登場する怪物の一つ。四凶の一つとされる。その名の通り、混沌を司る。犬のような姿で長い毛が生えており、爪の無い脚は熊に似ている。目があるが見えず、耳もあるが聞こえない。脚はあるのだが、いつも自分の尻尾を咥えてグルグル回っているだけで前に進むことは無く、空を見ては笑っていたとされる。善人を忌み嫌い、悪人に媚びるという。
荘子には、目、鼻、耳、口の七孔が無い帝として、渾沌が登場する。南海の帝と北海の帝は、渾沌の恩に報いるため、渾沌の顔に七孔をあけたところ、渾沌は死んでしまったという。転じて、物事に対して無理に道理をつけることを『渾沌に目口(目鼻)を空ける』と言う。