まさおレポート

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紀野一義の研究70  薬草喩品 あっというまに信じてしまう

2022-02-23 | 紀野一義 仏教研究含む

紀野一義講演(youtube)メモです。


薬草喩品という名がついているが別に体の薬の話ではない。この名をつけたのが不思議な感じがしますね。


迦葉当に知るべし、如来は是れ諸法の王なり。若し所説あるは皆虚しからず。一切の法に於て、智の方便を以て之を演説す。其の所説の法は、皆悉く一切智地に到らしむ。如来は一切諸法の帰趣する所を観知し、亦一切衆生の深心の所行を知って、通達無碍なり。又諸法に於て究尽明了にして、諸の衆生に一切の智慧を示す。


智を法華経の立場からあきらかにする章だと。


彼の大雲の一切の卉木・叢林及び諸の薬草に雨るに、其の種性の如く具足して潤を蒙り、各生長することを得るが如し。


雨が大小の植物を育てるように人の智に応じて法華経の知恵を育てる。説法は一切種智に至るために説かれる。


如来の説法は一相一味なり。所謂解脱相・離相・滅相なり。究竟して一切種智に至る。


如来の説法はそれぞれの知恵に応じて説く。

一相は美しい心ひとつを意味する。汚いとか考えてもきりがない。

一味 味わう人によって異なるが本当は一つだ。

わたしが講義でした話で「この前のお話はわたしのことをおっしゃったんでしょう」と聞かれることがよくある。そんなことはないですよ。なんでもかんでも自分のことだと考えるのは少しいきすぎじゃないのと冷かすときがある。

解脱とは世の中のきずなから解放されることを言う。親子のきずなでも縛られる。

管理職なんて単なる約束事でひとつの束縛だからそれで自由に考えられなくなったらおしまいですよ。

どんなふうに自分が成長し変わったのかは自分ではわからないのが当然です。わたしの教え子が学生時代と一つも変わらないとぐちりにくる。そりゃわからないはずだよ、自分も変わってきているのだからいつまでたっても自分自身がわからないんじゃないでしょうか。


師匠に絶対服従して教えてもらう。これなくして仏法はない。亀井勝一郎は立派な方ですがおそらく亀井さんは師匠を持たなかった。親鸞を尊敬して客観的に研究していたが親鸞は亀井勝一郎の師匠ではない。

師匠なくして仏法を智だけでしらべればしらべるほど師匠というものは遠ざかっていく。絶対的に使える師匠があってはじめておもしろいものだなという深い世界がわかってくる。

女をしる。体の隅々まで1,2年で分かった気になる若い男がたくさんいますよ。しかし女性というものが神秘で奥深いもので奥深いところは男はしらないというのが本当なんです。玄牝という言葉であらわされます。


女性もまた、万物を生み出す源であり、その働きは尽きることがない。 老子はこれを玄牝“神秘なる母性”と呼んでいる。


キリスト教も仏教も自分のことは知らないんですね。互いに学びあわないとだめですね。戦後に山口県の津山でキリスト教図書館にふらりと入った。黙って持って帰って結構ですと言われて毎日本を借りるようになった。哲学、倫理学、宗教などあまり人が読まない本を借りて読んでいった。

東京に出てからも教会に通って勉強しました。その教会には椎名麟三も通っていた。


我は是れ如来は応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊なり。未だ度せざる者は度せしめ、未だ解せざる者は解せしめ、未だ安せざる者は安せしめ、未だ涅槃せざる者は涅槃を得せしむ。


わたしはこの如来の十号が好きですね。

善逝、正遍知は宮沢賢治が非常に好きだった。

「ねがわくは、妙法如来正偏知、大師のみ旨成らしめ給へ」 と願う賢治は仏を「善逝(スガタ)」と呼ぶ。


智あるは若し聞いては 則ち能く信解し
  智なきは疑悔して 則ち永く失うべし


六祖がお経を聞いたとたんに動けなくなりあっというまに

そのお経のありがたさを信じあっというまに母親を捨てて、あっというまに出家してしまった。道元はその早さに感動した。

そこで法華経の「則能信解」の「則」を「即」に替えてしまった。


六祖の話はいささか疑問に思わないでもないがしかし信に捉えられたらどうしようもないと言うことがわかる。

ある一時に見性しただけで「見性せんほうがいいわ」と思う人も多い。反対に見性していないけどほとけさまみたいな人がいる。

岡潔先生は数学者で文化勲章を受けた、わたしが出会った中でとびっきり風変わりで面白い方でした。

岡潔は「天上台風」の書で心解 情解 智解の順にわかったという。

信解は正法眼蔵いんもの巻で学んだと。本当はさらには薬草喩品に行き着くんですね。岡潔先生でもご存じないことがあるとは愉快ですね。


道元は智をだいじにした。しかし信解からはいれとも。一見矛盾だが。宿題に。

 

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