10歳の娘が朝食時に「お父さん 無知の知って知ってる」と問う。小学校で先生に聞いたのだろうか、あるいは購読している読売子供新聞で触れてあったのか。いずれにしても「なんでそんな言葉しってんだ」と返して間を取りこちらのまだぼんやりしている脳みその体制を立て直すほかはない。
人間はなんでも知っているようで実は知らないんだよ。生活に差し支えない程度に知ってるだけで、本当のところはよく知らない事が多い。ソクラテスが言ったんじゃないか。たとえばりんごはなぜ落ちるかなんてニュートンが引力を発見するまで誰も知らなかったみたいに。
娘はわかったのかどうか不明のまま学校に行った。しかし子供の質問てときになんて哲学的なんだと。まあ娘にしたらどこかで覚えたフレーズを何気なく使ってみただけなんだろうけど。
たしかショーペンハウエルは人はフィルターを通した知しか持てないと行っていた気がする。ようは人は世界の真理を知らないのだ。知らないことは極めて不安で、そのために西洋では神を創り出したとドストエフスキーはカラマゾフの兄弟でイワンに言わせていなかったかな。今年亡くなったホーキングも神ではないが死後の世界について同じ意味のことを言っていた気がする。世界の理解のための補助線として神を創り出したとイワンもホークングも考えたようだ。
ショーペンハウエルは仏教やヒンドゥ教に親しんだためか世界の理解のための補助線としてブッダのダルマを取り上げたように思う。「幼年期の終わり」のアーサー・C・クラークもどうも同じ考えをもったのではないかと作品から漂う言葉で勝手に思う。
10歳の娘の「お父さん 無知の知って知ってる」との問に朝の朦朧とした頭はとりあえず上記のことを頭に浮かべたのでメモをしておき、いずれまたじっくりと考えを深めて参ります。