はじめに
アンデス山脈を挟んだチリとアルゼンチン両国にまたがる南緯40度以南をパタゴニアと呼ぶ。1520年にフェルディナンド・マゼランがこの付近に住んでいた先住民がグアナコの毛皮でつくったブーツを履いていたために大足と思いパタゴン族と命名した。(パタpataはスペイン語の足の意)以来この地方をパタゴニアと呼ぶことになった。彼ら先住民はスペイン人よりかなり大柄であったためにパタゴン族と呼ぶようになったとの説もある。
南パタゴニア氷原からくる氷河の数は大小50以上ありその氷河のスケールは世界ナンバー3で南極、グリーンランドに次ぐ。そんなプエルトモレノの氷河を間近でにると圧倒された。フィッツロイやパイネの山々では精神の高揚を味わった。アシや野草と花の咲き誇るニメス湖やフリアス湖の湖面と山並みは生涯で最高の感動を与えてくれた。
バルデス半島の旅ではマゼランペンギン、オタリアを見ることができた。パイネでは野生のグアナコ、ニャンドゥ、鷲、レア 、スカンク、キツネ、ウサギを大平原で見かけた。こんなに野生の生き物を多く目にするのもパタゴニアの魅力だ。
2007年2月3日から21日まで、カラファテからバリローチェまでの旅を当ブログに掲載したものを再編集した。
目次
ブエノスアイレス
カラファテ
ペリト・モレノ
エルチャルテン・フィッツロイ
プエルト・ナタレス
パイネ国立公園
プエルト・マドリンからバルデス半島
バリローチェ・フリアス湖
ブエノスアイレス
カナダのトロントからサンチャゴを経由してやっとブエノスアイレスについた。地球の裏側にやってきたとの感を深めていた。日本の地面を垂直に掘り進めるとブエノスアイレスにたどりつくとよくジョーク混じりに言われるが、なんだか他の天体にやってきたような感覚に襲われていた。シンクの水は日本とは反対周りに吸い込まれる。空の色も異なる。アルゼンチンの国旗はブルーが地色だがあれはこの地の空の色の印象からとられていると合点する。
予約してあったホテルはマンションの一室のようで受け付けもマンションの一室風だ。なにも表示がなければ受付だとはだれも気がつかない。これまでに経験したことがない。ドアを開けると若い男女が何やら事務をしており、こちらが入って行ってもあまり愛想が良くない。英語もたどたどしく対応も要領が悪い、従ってファーストインプレションはすこぶる悪い。何やらおかしな所に紛れ込んだような感さえある。
何とかチェックインして写真の部屋に落ち着いた。部屋は案外きちんとしているので、長時間のフライトで疲れている我々はひとまず眠ることにした。一眠りの後に受け付けにもろもろの手配を頼みに行くと新たに一人の小顔で痩せた長身の男がいた。年は20代前半とみたがどうも主任クラスのようだ。他のスタッフと同様にあまり愛想は良くないが、話しているうちに親切な風にも思えてきた。
聞けば彼はカラファテの出身だという。今から行くので適当な宿の紹介を頼むと早速手配をしてくれた。カラファテは南米大陸の南端の地の果てのようなところだ。そこで生まれて大都会のブエノスアイレスでホテルビジネスをしている。それも普通のホテルではない。この若いスタッフたちが資金を出し合って運営している。
ホテルの窓から外を見ると向かいは巨大なマンション風のビルで、窓越しに人々の生活が垣間見える。掃除をする主婦、葉巻をくゆらす男、食事の準備に忙しいメイドなどがこの地に生きる人々の生活を絵巻物のように見せてくれる。道路を歩く人でさえ映画の一シーンのように想像力をかきたてる。何ということのない風景だが旅先でみると見ていて飽きない。
夕食を求めてブエノスアイレスの街そぞろ歩く。
ブエノスアイレスの明りよ、お前だけが友だった、この街の明りでわたしの生と死を歌うのだ。(「薔薇色の店のある街角」より) ボルヘスの初期3詩集
ブエノスアイレスの街。
ブエノスアイレスの街 5月広場。
ブエノスアイレスの街角。
アヒルが犬にちょっかいをだしている。犬は迷惑そうに去る。名残惜しそうなアヒル君。
アルゼンチンの国会議事堂 Palacio del Congreso Nacional。1906年に完成した。
その夜はアルゼンチンタンゴの店に入る。アルゼンチンタンゴはこの街のラ・ボカで発祥したとも言われている。
今から150年ほど前アルゼンチンは大いに繁栄しており、ブエノスアイレスは南米のパリと呼ばれていた。アルゼンチンタンゴは、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスではじまった。移民が故郷を思う切なさと哀愁がバンドネオン演奏とともに表現される。9年前のこの夜のステージはアルゼンチンタンゴの名曲「ラ・クンパルシータ」「エルチョクロ」「ジーラジーラ」「バンドネオンの嘆き」などなど、果たしてどの曲が踊られたか既に記憶は朧だ。
夜景が舞台の一部になっている。男性舞踏手の手をご覧いただきたい。アルゼンチンタンゴらしさが伝わってくる。
ワインを飲み、食事をしながらのショーが終わったのは11時半。
カラファテ
エル・カラファテ(El Calafate)は、アルゼンチンサンタ・クルス州にあるペルト・モレノ氷河への中継地だ。パタゴニア地方に生育する棘のある低木カラファテに由来する。アルヘンティーノ湖に面し人口は8,000人前後だ。
ブエノスアイレスの国内線専用空港「アエロバルケ」からカラファテまで、国内線で3時間半の旅。南米あちこちにフライトを持つLAN航空で飛んだが経験した内で最大の揺れを経験した。ジェットコースターで下に落ちるあの感じを想像してもらえればよい。無事に着陸すると乗客から名演奏が終わった後のような盛大な拍手が沸き起こる。
機の窓から見ると砂漠が広がりうっすらと灰色がかった緑が見える。「パタゴニア」を著したブルース・チャトウィンは次のように記す。
パタゴニアの砂漠は砂や砂利の大地ではなく、すりつぶすとつんとした匂いを発する灰色のイバラのやぶである。…チャールズダーウィンは、すばらしいとは言い難いこの砂漠を魅力的なものと感じていた。パタゴニア ブルース・チャトウィン 株式会社メルクマール(以下同じ) p30
ブエノスアイレスで手配してくれたカラファテの宿はホテルではなくてホステルと呼ばれるタイプだ。何が違うのか、ユースホステルを想像すればだいたい当たっているがあえて言うと山小屋風の感だ。この時期はハイシーズンでどこもホテルはいっぱいで部屋が確保できたたででもよしとする。
19時半部屋から夕焼けに染まるネメス湖が望める。この湖が素晴らしい。パタゴニアを撮った写真の中で最も好きなもののひとつ。
アルゼンチン最南端の街カラファテは冬は厳冬のために無人の街になる。ほとんどが夏の間だけ営業する。この店も夏は紫の花で彩られる。
電柱のペールミント色と後ろの看板がアルゼンチン国旗と同じ配色でいかにもアルゼンチンらしい。
レストランの窓からさばいた羊肉がぶら下がる。肉を張り付ける鉄製の十字架はアサドールと呼ばれる器具でアサード(焼肉)を作ることからこの名がついている。この後パタゴニアのレストランでたびたび見かけることになる。湿度の低いせいで肉がからりと乾いた色調が一層うまそうだ。
アルゼンチン名物アンガス牛ステーキがうまい。スコットランドのアンガスが原産地でやわらかい肉がステーキに向いている。この店のボーイが私に名前を漢字で書いてくれと。サルバドーレと自己紹介する。思いつくままに猿婆道礼と書いてあげたら笑顔になり非常に喜ぶ。
夏の間だけの別荘。マーガレット一色、実は白と黄の庭の手入れが行き届いている。
力強く空に突き上げて咲く紫のラベンダーが見事だ。強烈な香りを発する。
左にラベンダー、右手に紫の花。手入れが行き届いていて元気いっぱいに咲く。この地はいたるところにラベンダーが。
太陽光線のハレーションがカメラに入り、雲の白さが一層強調される。
ゴルフ場かと見まがう集合ビラの庭は芝生がよく手入れされている。庭にくちばしが長く湾曲した鳥が餌をついばむ。シギの仲間だろう。
ニメス湖の白鳥は白くない。ニメス湖はアルヘンティナ湖のラグナ(潟湖 外海と分離してできた湖)で深い緑と葦草それに白い花が美しい。水の色が深い緑でマーガレット風の草花が咲き乱れその配色の美しさにうたれる。
白い草花と湖面の青、そしてスカイブルー。
水の色に注目してほしい。透明感のある蒼色だ。
鷲がいた。鋭い視線をこちらに向けている。主にウサギやネズミを捕る。
湖を一周する。二匹の大型犬がついてきた。毛並みが非常に美しい。
白い花の饗宴。
屋根の傾斜が急だ。冬の積雪が凄いことを思わせる。今は2月の上旬でこの地は真夏だ。
朝4時半にカラファテの朝焼けをホテルから見る。薄い、濃いピンクに輝く空と山並みの下に見えるのがニメス湖だ。
9時にペリト・モレノ行きのバスが迎えにくる予定が30分過ぎても来ない。なぜかタクシーが我々を迎えにきてバスまで連れて行った。
バスでペリト・モレノへ向かう途中、鷲が柵の柱に乗り周りを見渡している。
カラファテの花は鋭い棘があり家畜が食べないため放牧地でも藪を作る。夏の終わりが来ると濃い紫色の実をつけジャムにすると美味しい。カラファテの実を食べた旅人は必ずこの地に帰ってくるという言い伝えがある。カラファテの地名はこの花の名前からとられている。
車中から雪の頂を残す山並みが望める。手前のきれいに成形された三角の山は印象に残る。これからもたびたび顔を出す。