まさおレポート

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終戦記念日 上野千里氏を思う

2023-08-19 | 日常の風景・ニュース

終戦で上野千里氏を振り返ってみた。昭和24年3月にグアム島で戦犯として処刑された上野軍医中佐の詩を紀野一義に録画で教えていただいた。こんな人が実際にいたのだ。



 悲しみの尽きぬところにこそ  
 かすかなよろこびの芽生えの声がある
 熱い涙のその玉にこそ   
 あの虹の七色は映え宿る

 人の世の苦しみに泣いたおかげで 
 人の世の楽しみにも心から笑える
 打たれ踏まれて唇を噛んだおかげで 
 生まれてきたことの尊さがしみじみわかる

 醜い世の中に思わず立ちあぐんでも 
 見てごらん ほら あんなに青い空を
 みんなが何も持っていないと嘲っても 
 みんな知っている もっと美しい本当の尊いものを

 愛とまことと太陽と時々雨さえあれば
 あとそんなにほしくない
 丈夫な体とほんの少しのパンがあれば
 上機嫌でニコニコ歩きたい

 それから力いっぱい働こう
 そうして決して不平を言わずに
 何時も相手の身になって物事を考え
 いくら辛くても決してひるまずに

 どこかに不幸な人がいたら
 どんなことでも力になってあげよう
 もしすっかり自分を忘れてして上げられたら
 もうそれできっと嬉しくてたまらないだろう
 
 うつむいていればいつまでたっても暗い空
 上をむいて思いきって笑ってごらん
 さびしくてどうしても自分がみじめにみえたら
 さあもっと不幸な無数の人々のことを考えてごらん

 道はどんなに遠くても
 おたがいにいたわりあい
 みんな手をとり合って歩いてゆこう

 悲しいときはともに泣き
 楽しいときはともに笑い
 かたを組み合って神のみさかえをたたえよう

 朝 お日様が昇るときは
 あいさつに今日もやりますと叫びたい
 夕べ お日様が沈むときは
 夕焼雲をじっと見つめて座っていたい

 心にはいつもささやかな夢をいだいて
 小鳥のようにそっと眠り
 ひまがあったら古い詩集をひもといて
 ひとり静かに思いにふけりたい

 幸せは自分の力で見出そうよ
 真珠のような涙と太陽のような笑いの中に
 今日もまたあしたも進んでいこうよ
 きっといつの日か振り返って静かに微笑めるように

 偽って生きるより偽られて死に
 偽って得るよりは偽り得ずに失えと 
 天国からじっと見守っているお父さんに
 手をふってみんな答えておくれ

 なんどころんでもまた起き上がればいい
 なんだこれしきのことと笑いながら
 さあ みんなほがらかに元気一ぱい
 さわやかな空気を胸に大きくすいながら



上野千里は昭和20年終戦の年の夏軍医としてグアム島にいた。その終戦の直前に上野軍医は捕虜の米軍負傷兵を手術しようとしていた。ところが米軍の攻撃があり、いったんその場を離れて戻ってみると軍の命令で捕虜の米軍負傷兵は刺殺されていた。

戦後上野は米兵殺人の罪に問われ上野は実際に米兵を刺した上官の罪を被って死刑に臨んだ。処刑の日まで独房で詩を書いていた。(詩は新緑蔭漫歩のブログより転載させていただいた。)

確かに70年近い年月が流れたあとでも、この詩は凄い。

紀野一義は法華経寿量品の「常懐悲感 心遂醒悟」を引いて悲感を自分の胸にいだいているとその悲しみが心を浄化するという。

上野千里の心中も、その境地に達していたのだろう。

紀野一義はさらに道元の正法眼蔵・発菩提心の巻で「自未得度先度他」己いまだ渡らざる先にまず他を渡せ。上野千里は「天国からじっと見守っているお父さんに 手をふってみんな答えておくれ」と言っていることからキリスト者だったと想像するが仏教の「自未得度先度他」に達している。キリスト者も仏教信者もはたまた無信仰であろうとこういう心を持っている人はすでに悟っている。

だれでも自分が可愛いのは当然で正しいことだがだからこそ自未得度先度他は極めて難しい課題だ。

こんな人がいたのだ。

 


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