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まさおレポート

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「マハーバーラタ」メモ

2023-07-27 | バリ島 文化・風習・葬祭・ヒンドゥ・寺院・宮殿
角川武蔵野ミュージアムにある松岡正剛コーナーで見つけた書物に貴重な一節を見つけたのでメモしておきます。
ヒンドゥの本質は救いのなさであると理解した。あたかもマックスウェーバーの説くプロテスタントの倫理のように。

「マハーバーラタ」は、叙事詩とはいわれるものの、決して英雄たちが勇敢に戦い活躍するような 作品ではない。 登場する人物たちはいずれも、義人も勇者も高の士も、清廉の尊者も夫人も、 王者も神々でさえもが、 苛酷な運命に翻弄され続け、その運命を受け入れる以外に道はないので ある。どこを読んでも、ハッピーな気分には絶対になれない。

 上村氏は、「『マハーバーラタ』は人間 存在の空しさを説いた作品である」と断言している。 破壊と滅亡しかもたらさない戦争の悪の自覚 が、「マハーバーラタ』 全篇をおおっているのである。 上村勝彦訳 「マハーバーラタ」 第五巻 ちくま学芸文庫

和平交渉が決裂して、戦闘を命じることになった長兄ユディシティラが、 弟アルジュナに対し 言う。「それを避けるために私は努力して森に住み、苦難を経験したが、その最高の災禍がわれわれに近 づいて来る。 それはわれわれの努力によって消滅することはなかった。それを求めて努力したわけではないのに、大きな災禍がわれわれに近づいた。

『バガヴァッド・ギーター  神に人の苦悩は理解できるのか

赤松明彦 人間の苦悩の果てに、 何かが変容する。岩波書店


マックス・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」

中国やイスラム圏に比べ経済的に遅れた地域だった西欧で、近代的資本主義が生まれたのはなぜか、という問いを通じて西洋と近代の本質に迫った。

カトリックに対抗して16世紀に出てきたプロテスタントの厳格な倫理的生活態度に、資本主義の精神の源泉がある。
 資本主義は強欲と結びつけられやすいが生活全体に禁欲を浸透させた思想資本主義の精神に繋がった。
カルヴァン派の予定説では、最後の審判のときにそれぞれは天国に入ることができるのか、それとも地獄に行くかが告げられる。

カルヴァン派の予定説では誰が救済され、地獄に行くかは神によって最初から決められており、人間のいかなる行為もその予定を変えられない。さらに自分がどちらに決定しているかを、人間は予め知ることはできない。

カルヴァン派の予定説が、人間の行動にかつてないほど大きな変化をもたらした。どんな論理が作用したのか。

ヴェーバーによれば、カルヴァン派の教義は、神がすでに誰が救われるかを予定していると教えています。しかし、その具体的なリストは人間には分からないため、救済の不確実性が生じます。

彼らは神の救いが確約されていないという不安の中で世俗の成功、すなわち努力と自己規律を通じてしか生きる術はないとした。

ヴェーバーはこの現象を「世界受容の倫理」と呼び、これが労働の価値観を変え、資本主義の精神を育てたとします。労働は聖職と見なされ、信者たちは個々人の努力と責任によって生きるしかないとした。

「こうすれば救われる」ではなく「救われる保証はないが努力と自己規律を通じてのみ救われる可能性があるよ」と。

それゆえ、救済の保証がない状況でも、人々は自分自身が救済に値すると示すため、また、神への信仰を体現するために、個人的な努力を続け、社会的倫理規範を守ろうとする。

神聖な義務と自己認識を至上の目的に置き換える。不安の中で救済の保証を求める人間への教えとして究極の真理とも思える。


親鸞やパスカルについても次に述べてみたい。

 

 


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