まさおレポート

当ブログへようこそ。広範囲を記事にしていますので右欄のカテゴリー分類から入ると関連記事へのアクセスに便利です。 

映画「天地明察」とウク歴

2022-05-01 | バリ島 文化・風習・葬祭・ヒンドゥ・寺院・宮殿

映画「天地明察」はすがすがしい作品だ。江戸時代前期はがんじがらめの世の中だと想像しがちだがこうした知の世界に命を懸ける人たちが少なからずいたのだということに感動した。

囲碁棋士で天文暦学者の安井算哲(渋川春海)のそれまで採用されていた授時暦を日本と中国の経度差をもとに改め、貞享暦を作成し切腹覚悟で朝廷に願い出て日蝕を予想し、それを正確に当てる。

日本と中国の経度差に着目したのは凄い。

関孝和は不遇の偉大な算術家であるとは知っていたが、貞享暦の名誉にはあずかれなかったことを初めて知った。

日本の正式暦に採用されるまでの苦難の生涯を描く。


江戸時代、日本での天文学は暦を作成するためのもので安井算哲(渋川春海)は、江戸幕府初代の天文方に任じられた。「貞享暦」は、貞享2年(1685年)から施行となり、宝暦4年(1755年)までの70年間使用された。

江戸時代はじめまでの日本では、平安時代に唐(中国)から輸入された暦、宣明暦が800年以上も使い続けられていたが日食や月食などの「食」の予報が外れることがあった。

安井算哲(渋川春海)は、中国・元の授時暦の採用を幕府に提案したが延宝3年(1675)5月の日食で予報を失敗し宣明暦が当たった。

安井算哲(渋川春海)はイタリア出身のイエズス会士マテオ・リッチ(1552〜1610年)が作った「マテオ・リッチの世界図」をもとに日本と中国の経度差をいれて「大和暦」を作成し改暦提案した。しかし中国・明の「大統暦」を採用することになる。

そこで三度目の提案で「大統暦」と「大和暦」を実際の食の観測で比べることになった。「大和暦」の食予報が当たり貞享元年に新しい暦として採用された。

新しく「貞享暦」と名づけられ、貞享2年(1685)から施行された。安井算哲(渋川春海)は、この業績によって、幕府から新設の天文方に任命された。


岡田准一がすがすがしい男を演じていて、「エヴェレスト 神々の山嶺」まで続けてみてしまった。


バリ島ではいまでも西洋歴とは別に人々の生活の基準としてウク歴などが使われている。それがかつてのバリ人にどのように貢献していたかは理解不足だ。いずれ少し掘り下げてみたい。


この孝和という名でかつての同僚を思い出した。彼の父は関孝和を尊敬していてこの名をつけたという。よくこんな些細なことを思い出すものだとわれながら感心している。



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。