アルゼンチンはロス・カンタロスの滝とその下流に在るフリアス湖、ここが今回の一連の旅で最も水が透明で、美しかった。フリアス湖は透明感があり、かつ、光の反射で緑色の水が鮮やかに輝く。ロス・カンタロスの川は、巨大で平らな岩の上を水が滑るように流れ、岩にぶつかるところでは白くなり、きわめて清潔感がある。
同じくアルゼンチンのメンドウサからアコンカグアに向かう途中の川もガイドに飲んでみることを進められたほどの清流だった。概してアルゼンチンは日本の山のいたるところにある渓流と同じで清流だ。
他の国では川といえば濁流であった。ペルーのマチュピチュ遺跡に向かう山中の川は濁流であった。雨が降って、水量が増し、轟音を聾して荒れ狂い流れる濁流は不気味で恐ろしさに満ちている。巨大な岩をも流し去るのではと思える程の迫力で、ミルクコーヒー色の川は押し寄せ、去っていく。
アマゾン河は、今回の旅をパスしたが、やはりお汁粉色の雄大な流れだそうな。開高健が「オーパ!」のなかで、アマゾンの水は「お汁粉色」と表現していたので、使わせて頂く。
ベトナムのメコン河もカンボジアの川もお汁粉色でした。その中で大人も子供も水遊びをし、沐浴をする。
ガンジスも黄河もナイルも、文明を育んだほどの大河はすべて濁流だ。それにしても、清流と濁流、この表現は日本特有なのではないかとふと思いついた。清流と濁流では、清流にどうしても価値があり、濁流は劣るという価値判断が出来上がるが、お汁粉色の大河の周辺の人々は、濁っているとは考えていなさそうだ。
平気でその水を飲み、泳ぎ、水浴する。お汁粉色すなわち汚れているとは考えない。ガンジスに到っては水葬する聖なる河だ。となると、清流は価値があり、濁流は好まないというのは単なる偏見かもとも思えてくるのでした。