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まさおレポート

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「竜馬がゆく」と「カラマゾフの兄弟」金の施しに見る作家の視点

2018-11-15 | 小説 カラマーゾフの兄弟

司馬遼太郎とドストエフスキー、あまりに異なる作風だが作品中には互いに交信しあっているように感じられる一文があった。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」では竜馬は以蔵に辻斬りされるがその理由を尋ねると、老父が死んだために江戸から一人で急遽戻ってきたという。竜馬はそれを聞き、

「ぜんぶで五十両ある。おれは幸い、金に不自由のない家に育った。これは天の運だ。天運は人に返さねばならぬという。おれのほうはあとで国もとに頼みさえすればいくらなりとも送ってくれる。このうち半分をもっていけ。」

以蔵は固辞して受け取ろうとしないが辻斬りをやり直そうと言い出すと以蔵が金を受け取る。

以蔵が不快なのではなく、ああいう金の出しかたをした自分が愉快でなかった。(いい気なものだ)あれでは、まるで恵んでやったようなものではないか。こちらがああいう与えかたをすれば、以蔵でなくても、当然、犬が食物を恵まれたような態度をとるしかない。(金とは、むずかしいものだ)正直なところ、うまれてこのかた金に不自由したことのない竜馬にとって、これは強烈な経験だった。あれだけの金で大の男が犬のように平つくばるとは、はじめ考えてもいなかった。(1巻P60)

司馬遼太郎は「金とは、むずかしいものだ」と竜馬に自らの行為に不快感を覚えさせ反省をさせている。

 

「カラマゾフの兄弟」でドストエフスキーはアリョーシャが困窮するスネギリョフに金を施そうとして拒絶される場面を描く。

「もしわたくしがこの金を受け取りましたら卑屈な人間にならないでございましょうか?」「自分の名誉を金で売りません」米川正夫訳p124とスネギリョフは金を拒絶する。

以下はアリョーシャとリズの会話だがなんとよく似通っていることか。

「あたし達の考えの中に・・・あの不仕合せな人を見下げたようなところはないかしら・・・だって、あの人の心をまるで高い所から見おろすような工合いにして、いろいろ解剖したじゃなくって、え?

この場合、どうして見下げたような所なんかあり得るでしょう。僕ら自身あの人と同じような人間じゃありませんか。世間の人はみんなあの人と同じような人間じゃありませんか。ええ、僕等だってあの人と同じことです、決して優れたところはありません。よし仮りに優れたところがあるとしても、あの人の境遇に立ったら、あの人と同じようになってしまいます。・・・僕自身はいろんな点で、浅薄な心をもっていると思います。ところが、あの人の心は決して浅薄などころじゃない、かえってとても優しいところがあります・・・いいえ、リーズ、あの人を見下げるなんてことは少しもありません!実はね、リーズ、長老さまが一度こうおっしゃったことがあります、人間てものは子供のように、しじゅう気をつけて世話をしてやらなければならない。またある者にいたっては、病院に寝ている患者のように看護してやる必要があるって・・・」米川正夫訳p126

アリョーシャは自分の心にやましいところはないので反省はしない。しかし「あの人の境遇に立ったら、あの人と同じようになってしまいます。」と拒絶に共感を覚えている。


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