あの頃は競馬がイキイキしていました。
競馬が動いていました。
個性派がたくさん存在していた最後の世代かもしれません。
単に昔を美化しているだけなのかもしれません。
私も年を取りました。
マヤノトップガンやマーベラスサンデー、サクラローレルと覇を競った天皇賞、エアグルーヴの究極の仕上げに僅かに負けた天皇賞。
一頭だけ馬が違って見えた朝日杯…。
大切な時期を骨折で棒に振ってしまったにも関わらず、復帰したらそのポテンシャルの高さを改めて示した本物の強さを持った実力馬でした。
あの勝利には陣営の維持を見ましたね。
昨年私はブレイクランアウトに天皇賞に行けと言っていました。
3歳馬が天皇賞に挑戦するなんて無謀だとか言われていましたし、実際私も無理だと思っていました。
今でこそ普通にありえるその道筋は彼が作ってくれたようなもの…。
彼は競馬史に光り輝く名馬だったと思います。
歴史を切り開いた青いシャドーロールのハンサムガイ…。
安らかに眠って欲しいですね。
競馬が動いていました。
個性派がたくさん存在していた最後の世代かもしれません。
単に昔を美化しているだけなのかもしれません。
私も年を取りました。
マヤノトップガンやマーベラスサンデー、サクラローレルと覇を競った天皇賞、エアグルーヴの究極の仕上げに僅かに負けた天皇賞。
一頭だけ馬が違って見えた朝日杯…。
大切な時期を骨折で棒に振ってしまったにも関わらず、復帰したらそのポテンシャルの高さを改めて示した本物の強さを持った実力馬でした。
あの勝利には陣営の維持を見ましたね。
昨年私はブレイクランアウトに天皇賞に行けと言っていました。
3歳馬が天皇賞に挑戦するなんて無謀だとか言われていましたし、実際私も無理だと思っていました。
今でこそ普通にありえるその道筋は彼が作ってくれたようなもの…。
彼は競馬史に光り輝く名馬だったと思います。
歴史を切り開いた青いシャドーロールのハンサムガイ…。
安らかに眠って欲しいですね。
あの天皇賞秋は忘れません。お疲れ様でした。
安らかに…
バブルガムフェローも逝ってしまったのですね。
三歳の天皇賞の時は私は中学生でした。
指定席で初めて見たレースでその日は特別に感じましたね!
まだ馬券も覚えたてで、大外のローレルから買いました。今なら間違いなく軸にしないでしょう。
馬券云々よりただ単に競馬場に行く事が楽しくて、青春の一頭でした(笑)
今は、今で、一口を始め競馬熱も戻ってきましたがやっぱり何かが違いますね。
ちなみにJCはバブルが強いと思って軸にしたら外れました(笑)
あのレースは私の心の中で生き続けるでしょう!
今までお疲れ様でした。
今となっては3歳馬が天皇賞に出走するのは当たり前のようになりましたが、ジェニュインが2着に入り、その翌年のバブルの優勝で路線として確立されました。
まぁ、もちろん菊花賞や春の天皇賞に価値観を持っている方からすれば、菊花賞や春の天皇賞をスキップする傾向に大きく舵を切ってしまったということになるのでしょうが、そういう意味でも近代競馬のターニングポイントになる馬の1頭なのは確かだと思います。
SS産駒の一流馬が亡くなることが最近多くなっており、本当に残念です。
朝日杯を勝った馬がラジオ日経を勝った馬より格が低いなんて事はありえません。
私は朝日杯の勝ち馬が大好きです。
そもそも中山1600でやっているからおかしいのであって、いい加減中山コースも見直す時期にきていると思います。
あの時のサクラローレルは完全に脚を余していたし、あれ以降小島太調教師と横山典弘騎手は絶縁状態に入ったんでしたっけ?
あっ!でも、その年の有馬はサクラローレルでしたね。
私は府中2000でしたからマーベラスサンデーでした。
トップガンもローレルも2000では短いと思いましたもん。
それにしても当時中学生とは…。
私と10くらい年が違うと言うことですよ(笑)
ダートに偏ったのは不思議でした。
スピードよりもパワーが際立っていたということでしょうか?
そうでしたね!
ジェニュインがいましたね。大好きなジェニュインを忘れていました。
あの好馬体はフジキセキと共に記憶に残ります。
バブルガムフェローは藤澤厩舎、岡部幸雄の教育のもと飄々とレースを勝っていきました。
とにかくレースがうまい優等生タイプの馬でしたね。
どこまで強くなるのかと楽しみにしていた矢先の骨折。
あの骨折が無かったら種牡馬人生も変わっていた競争成績だったかと思います。
サンデー後継はたくさんいますが、案外どの馬も寿命が短いので今後心配です。生命力は案外と弱いのかもしれませんね。
ノーザンダンサー系よりも確実に短いですよね。