サムエル記下7章
13節「この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える」(新共同訳)
1節「王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった」。ダビデは、ティルスの王ヒラムから贈られたレバノン杉で王宮を建てたが(5章11節)、神の箱を運び込んだ天幕を見て、預言者ナタンに神殿建築の相談をした。王は自らの裁定で建築することをしなかった(2節)。ナタンは心にある事は何でも実行なさるとよいと伝えたが、その夜主はナタンに告げた言葉が5~16節にある。要約すると次のようになる。
5~7節 エジプトから導き出した日から今日までイスラエルと共に歩み、その間どの部族にもレバノン杉の家を建てないのかと言ったことはない。
8~10節 わたしはあなたを牧場の群の指導者とし、どこに行こうと共にいて敵を撃ち不正を行う者に圧迫されない。
11~14節 あなたの家を興し、あなたの子孫に跡を継がせ、王国を揺るぎないものとする。…わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。
15~16節 わたしは慈しみを彼から取り去らない。あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。
18~29節は、ダビデの応答の祈りである。ここで「この者がわたしの名のために家を建てる」(11節)とはソロモンによって神殿建設がなされると解釈するが、10節までの聖意と矛盾する。これは神殿建設ではない。これは王の王位継承を示し、信仰共同体による王国の建設が告げられているのである。また「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」(14節)は「ダビデ契約」と呼ばれ、メシア預言として受けとめられ、メシアを「ダビデの子」(マタイ福音書21章9節)と呼んでいる。
彼は神殿の前に座して祈っている。この中で繰り返されるのは「わたしの家」「僕の家」18、19、25、26、29節であり、真実なる「御言葉」の実現である(19、21、25、28、29節)。
先の12、13節はエルサレム神殿崩壊後、その意味が一層明確になり、やがてダビデの子孫からメシアが来るという預言の言葉になる。
エゼキエル37章24~28節には、「僕ダビデは永遠の支配者となり、…平和の契約を結ぶ」と預言されている。
13節「この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える」(新共同訳)
1節「王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった」。ダビデは、ティルスの王ヒラムから贈られたレバノン杉で王宮を建てたが(5章11節)、神の箱を運び込んだ天幕を見て、預言者ナタンに神殿建築の相談をした。王は自らの裁定で建築することをしなかった(2節)。ナタンは心にある事は何でも実行なさるとよいと伝えたが、その夜主はナタンに告げた言葉が5~16節にある。要約すると次のようになる。
5~7節 エジプトから導き出した日から今日までイスラエルと共に歩み、その間どの部族にもレバノン杉の家を建てないのかと言ったことはない。
8~10節 わたしはあなたを牧場の群の指導者とし、どこに行こうと共にいて敵を撃ち不正を行う者に圧迫されない。
11~14節 あなたの家を興し、あなたの子孫に跡を継がせ、王国を揺るぎないものとする。…わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。
15~16節 わたしは慈しみを彼から取り去らない。あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。
18~29節は、ダビデの応答の祈りである。ここで「この者がわたしの名のために家を建てる」(11節)とはソロモンによって神殿建設がなされると解釈するが、10節までの聖意と矛盾する。これは神殿建設ではない。これは王の王位継承を示し、信仰共同体による王国の建設が告げられているのである。また「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」(14節)は「ダビデ契約」と呼ばれ、メシア預言として受けとめられ、メシアを「ダビデの子」(マタイ福音書21章9節)と呼んでいる。
彼は神殿の前に座して祈っている。この中で繰り返されるのは「わたしの家」「僕の家」18、19、25、26、29節であり、真実なる「御言葉」の実現である(19、21、25、28、29節)。
先の12、13節はエルサレム神殿崩壊後、その意味が一層明確になり、やがてダビデの子孫からメシアが来るという預言の言葉になる。
エゼキエル37章24~28節には、「僕ダビデは永遠の支配者となり、…平和の契約を結ぶ」と預言されている。