エゼキエル22章
30節「この地を滅ぼすことがないように、わたしは、わが前に石垣を築き、石垣の破れ口に立つ者を彼らの中から探し求めたが、見いだすことができなかった」(新共同訳)
1節「主の言葉がわたしに臨んだ」。小見出し「流血の町」。エルサレム陥落の預言である。
2節「人の子よ、あなたはこの流血の都を裁くのか。それならば、この都にそのすべての忌まわしいことを知らせよ」。エルサレムは暴力抗争による流血と偶像礼拝の町としてその罪は裁かれるという(3節)。
4節「流した血によってお前は罪を負い、造った偶像によって汚される。こうしてお前は自分の日を近づかせ、自分の年を来させる。それゆえ、わたしはお前を諸国民の嘲りの的とし、すべての国々の笑いものとする」。自分の日、自分の年とは審判の時であり、諸国民の嘲笑の的になる(5節)。イスラエルの君候(新改訳=君主)は暴力を振って血を流し、父母は疎んじられ、寄留人は虐げられ、孤児と寡婦は苦しむ(6~7節)。安息日を守らず汚した(8節)。9~16節には罪状が羅列される。権力争いと偶像礼拝、性的秩序の破壊、賄賂と不正な利益による隣人への抑圧である。
18節「人の子よ、イスラエルの家はわたしにとって金滓のようになった。彼らは炉の中で、みな銀、銅、錫、鉄、鉛などであった。ところが彼らは金滓となってしまった」。銀、銅、錫、鉄、鉛などを炉に投じて精錬したが、出てきたのは無価値な金滓である。イスラエルの民が、主なる神の期待を甚だしく裏切ったことの審判を指している。
24節「人の子よ、エルサレムに語りなさい。お前は憤りの日に、雨も降らず清められることもない土地だ」。エルサレム滅亡の日の状態を告げる。不毛の荒地は神の審判を表わす。それは「預言者の陰謀」(25節)、「祭司らの律法違反」(26節)、「高官たちの民に対する抑圧と強奪」(27節)である。彼らは『主なる神はこう言われる』と言って、抑圧を行い、強奪をした。貧しい者、乏しい者を苦しめ、神を冒涜している(28~29節)。
30節「この地を滅ぼすことがないように、わたしは、わが前に石垣を築き、石垣の破れ口に立つ者を彼らの中から探し求めたが、見いだすことができなかった」。エルサレムの絶望的な状況である。然し、この絶望的な状況の中で、主なる神のエルサレムに対する一縷の期待があったことを読み取ることができる。「破れ口に立つ者を彼らの中から探し求めた」ということ、また「イスラエルの家はわたしにとって金滓のようになった」ということである。特に後者の鉱石を溶鉱炉に投じて精錬するのは、輝かしい銀や金を求めているからである。精錬は民の苦難といえよう。
イスラエルは「宝の民」と呼ばれた(申命記7章6節、14章2節)。それだけに裏切りは激しいことになる。キリスト者に向けられた聖書を読むことにする。「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです」(ペトロ第一の手紙1章6~7節)。
30節「この地を滅ぼすことがないように、わたしは、わが前に石垣を築き、石垣の破れ口に立つ者を彼らの中から探し求めたが、見いだすことができなかった」(新共同訳)
1節「主の言葉がわたしに臨んだ」。小見出し「流血の町」。エルサレム陥落の預言である。
2節「人の子よ、あなたはこの流血の都を裁くのか。それならば、この都にそのすべての忌まわしいことを知らせよ」。エルサレムは暴力抗争による流血と偶像礼拝の町としてその罪は裁かれるという(3節)。
4節「流した血によってお前は罪を負い、造った偶像によって汚される。こうしてお前は自分の日を近づかせ、自分の年を来させる。それゆえ、わたしはお前を諸国民の嘲りの的とし、すべての国々の笑いものとする」。自分の日、自分の年とは審判の時であり、諸国民の嘲笑の的になる(5節)。イスラエルの君候(新改訳=君主)は暴力を振って血を流し、父母は疎んじられ、寄留人は虐げられ、孤児と寡婦は苦しむ(6~7節)。安息日を守らず汚した(8節)。9~16節には罪状が羅列される。権力争いと偶像礼拝、性的秩序の破壊、賄賂と不正な利益による隣人への抑圧である。
18節「人の子よ、イスラエルの家はわたしにとって金滓のようになった。彼らは炉の中で、みな銀、銅、錫、鉄、鉛などであった。ところが彼らは金滓となってしまった」。銀、銅、錫、鉄、鉛などを炉に投じて精錬したが、出てきたのは無価値な金滓である。イスラエルの民が、主なる神の期待を甚だしく裏切ったことの審判を指している。
24節「人の子よ、エルサレムに語りなさい。お前は憤りの日に、雨も降らず清められることもない土地だ」。エルサレム滅亡の日の状態を告げる。不毛の荒地は神の審判を表わす。それは「預言者の陰謀」(25節)、「祭司らの律法違反」(26節)、「高官たちの民に対する抑圧と強奪」(27節)である。彼らは『主なる神はこう言われる』と言って、抑圧を行い、強奪をした。貧しい者、乏しい者を苦しめ、神を冒涜している(28~29節)。
30節「この地を滅ぼすことがないように、わたしは、わが前に石垣を築き、石垣の破れ口に立つ者を彼らの中から探し求めたが、見いだすことができなかった」。エルサレムの絶望的な状況である。然し、この絶望的な状況の中で、主なる神のエルサレムに対する一縷の期待があったことを読み取ることができる。「破れ口に立つ者を彼らの中から探し求めた」ということ、また「イスラエルの家はわたしにとって金滓のようになった」ということである。特に後者の鉱石を溶鉱炉に投じて精錬するのは、輝かしい銀や金を求めているからである。精錬は民の苦難といえよう。
イスラエルは「宝の民」と呼ばれた(申命記7章6節、14章2節)。それだけに裏切りは激しいことになる。キリスト者に向けられた聖書を読むことにする。「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです」(ペトロ第一の手紙1章6~7節)。