エゼキエル21章
17節「泣き叫べ、人の子よ。剣がわが民に臨む。また、イスラエルのすべての君侯に臨む。彼らはわが民と共に 剣の前に投げ出される。それゆえ、お前は腿を打って悲しめ」(新共同訳)
1節「主の言葉がわたしに臨んだ」。小見出し「エルサレムに向けられる剣」
2節「人の子よ、顔をテマンに向け、ダロムに向かって言葉を注ぎ出し、ネゲブの野の森に向かって預言せよ」。「テマン」はエドム、「ダロム」は南の意味、「ネゲブ」はユダの南の荒れ野で、エルサレムに向かって預言すること。
3節「ネゲブの森に言いなさい。主の言葉を聞け。主なる神はこう言われる。わたしはお前に火をつける。火は、お前の中の青木も枯れ木も焼き尽くす。燃え盛る炎は消えず、地の面は南から北まで、ことごとく焦土と化す」。生きる物は皆、それは主がなされたことを認めることとなる。
5節「そのとき、わたしは言った。「ああ、主なる神よ、彼らはわたしについて、『彼はことわざを語る者にすぎないではないか』と言っています」と」。イスラエルが焦土と化す炎の預言を「ことわざ」(たとえ)として聞き流すこと。このたとえの内容が、7節以下になる。
口語訳、新改訳は3~6節が訳出されていない。
9節「わたしがお前たちの中から、正しい者も悪い者も切り捨てるために、わたしの剣は鞘を離れ、南から北まで、すべての生ける者に向かう」。剣の預言である。鞘から抜いた剣は二度と鞘に戻らないと告げる(10節)。エゼキエルは人々の前で腰をよろめかし苦しみ呻くという象徴行為をするよう主から言われる(11節)。13~22節は「剣の歌」である。神の裁きの激しさを詠う。
17節「泣き叫べ、人の子よ。剣がわが民に臨む。また、イスラエルのすべての君侯に臨む。彼らはわが民と共に 剣の前に投げ出される。それゆえ、お前は腿を打って悲しめ」。ここにも象徴行為がある。泣き叫び、腿を打って悲しむのを見て捕囚の民はエルサレム滅亡の有様を知るのである。「手を打ち鳴らして預言する」のは神の怒りの激しさを表わす(19節)。
24節「人の子よ、あなたはバビロンの王の剣が来るために、二つの道を用意せよ。二つの道を一つの国から延ばし、それぞれの町へ至る道が分かれる地点に標識を作り」。粘土板にアンモンの首都ラバとエルサレムに至る二つの道の分岐点を描く。ネブカデネザルはこれを見て占い、先ずエルサレムを破壊する(24~31節)。
32節「荒廃、荒廃、荒廃をわたしは都にもたらす。かつてこのようなことが起こったことはない。それは権威を身に帯びた者が到来するまでである。わたしは権威を彼に与える」。徹底的な裁きを示す。続いてアンモンが攻撃される(33~34節)。幻とはアンモン人はネブカドレツァルの攻撃はないと楽観的なことを言うこと。
35節「剣をもとの鞘に納めよ。お前が創造された場所、お前の出身地で、わたしはお前を裁く」。ネブカデネザルに向けた言葉。主は彼を剣として用いたが、彼も造られた物で、剣とともに火で焼かれ溶けて消える(36~37節)。
主イエスは「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」と言われた(マタイ福音書26章52節。
17節「泣き叫べ、人の子よ。剣がわが民に臨む。また、イスラエルのすべての君侯に臨む。彼らはわが民と共に 剣の前に投げ出される。それゆえ、お前は腿を打って悲しめ」(新共同訳)
1節「主の言葉がわたしに臨んだ」。小見出し「エルサレムに向けられる剣」
2節「人の子よ、顔をテマンに向け、ダロムに向かって言葉を注ぎ出し、ネゲブの野の森に向かって預言せよ」。「テマン」はエドム、「ダロム」は南の意味、「ネゲブ」はユダの南の荒れ野で、エルサレムに向かって預言すること。
3節「ネゲブの森に言いなさい。主の言葉を聞け。主なる神はこう言われる。わたしはお前に火をつける。火は、お前の中の青木も枯れ木も焼き尽くす。燃え盛る炎は消えず、地の面は南から北まで、ことごとく焦土と化す」。生きる物は皆、それは主がなされたことを認めることとなる。
5節「そのとき、わたしは言った。「ああ、主なる神よ、彼らはわたしについて、『彼はことわざを語る者にすぎないではないか』と言っています」と」。イスラエルが焦土と化す炎の預言を「ことわざ」(たとえ)として聞き流すこと。このたとえの内容が、7節以下になる。
口語訳、新改訳は3~6節が訳出されていない。
9節「わたしがお前たちの中から、正しい者も悪い者も切り捨てるために、わたしの剣は鞘を離れ、南から北まで、すべての生ける者に向かう」。剣の預言である。鞘から抜いた剣は二度と鞘に戻らないと告げる(10節)。エゼキエルは人々の前で腰をよろめかし苦しみ呻くという象徴行為をするよう主から言われる(11節)。13~22節は「剣の歌」である。神の裁きの激しさを詠う。
17節「泣き叫べ、人の子よ。剣がわが民に臨む。また、イスラエルのすべての君侯に臨む。彼らはわが民と共に 剣の前に投げ出される。それゆえ、お前は腿を打って悲しめ」。ここにも象徴行為がある。泣き叫び、腿を打って悲しむのを見て捕囚の民はエルサレム滅亡の有様を知るのである。「手を打ち鳴らして預言する」のは神の怒りの激しさを表わす(19節)。
24節「人の子よ、あなたはバビロンの王の剣が来るために、二つの道を用意せよ。二つの道を一つの国から延ばし、それぞれの町へ至る道が分かれる地点に標識を作り」。粘土板にアンモンの首都ラバとエルサレムに至る二つの道の分岐点を描く。ネブカデネザルはこれを見て占い、先ずエルサレムを破壊する(24~31節)。
32節「荒廃、荒廃、荒廃をわたしは都にもたらす。かつてこのようなことが起こったことはない。それは権威を身に帯びた者が到来するまでである。わたしは権威を彼に与える」。徹底的な裁きを示す。続いてアンモンが攻撃される(33~34節)。幻とはアンモン人はネブカドレツァルの攻撃はないと楽観的なことを言うこと。
35節「剣をもとの鞘に納めよ。お前が創造された場所、お前の出身地で、わたしはお前を裁く」。ネブカデネザルに向けた言葉。主は彼を剣として用いたが、彼も造られた物で、剣とともに火で焼かれ溶けて消える(36~37節)。
主イエスは「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」と言われた(マタイ福音書26章52節。