日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

主の命じられたとおりに行動し

2012-02-14 | Weblog
 サムエル記下5章 

 25節「ダビデは主の命じられたとおりに行動し、ゲバからゲゼルに至るまで、ペリシテ人を討ち滅ぼした」(新共同訳)  

  1節「イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です」。イスラエルの諸部族がダビデの許に訪ねてきて、指導者としての就任を要請した。「イスラエルの進退の指揮をとっていた」は「~連れ出す、導き出す、出て行く」の意訳で口語訳「~率いて出入りされました」、新改訳「~動かしていた」のほうが適訳である。それは羊の群れを牧する指導者ということである。イスラエルの長老たち全員がダビデの許に来て、契約を結んで王位に就く油注ぎの儀式を行なった(2~3節)。契約ということは専制君主でないことを示す。彼の死後王位を継承したソロモンまで統一国家は続いたが、再び南北に分離することになってしまう。「油注ぎ」はユダの家の王の時(2章4節)とは別個であることを示している。かくして彼は三十歳で王となり、ユダの王七年を加えると40年間南北を統治したのである(5節)。
  6節「王とその兵はエルサレムに向かい、その地の住民のエブス人を攻めようとした。エブス人はダビデが町に入ることはできないと思い…「お前はここに入れまい。目の見えない者、足の不自由な者でも~」。地理的に相応しい町として、エブス人が都市国家の中心にしていたシオンの要害を選んだ。東西南に谷のある丘で難攻不落といわれていた。これを水汲みのために造られたトンネルから入って占領した(7~8節)。この水路は1867年に発見され、エルサレム旅行ではこの水路のトンネルを抜ける実体験が出来る。
  9節「ダビデはこの要害に住み、それをダビデの町と呼び、ミロから内部まで、周囲に城壁を築いた」。ダビデは次第に勢力を増し、万軍の神、主は彼と共におられたとある。ティルスの王ヒラムは使節を派遣し、レバノン杉、木工、石工を送り王宮を建てた。王権は揺るぎないものとなった(10~12節)。
  13~16節はエルサレムで生れたダビデの子供の記名
  17節「ペリシテ人は、ダビデが油を注がれてイスラエルの王になったことを聞いた。すべてのペリシテ人が、ダビデの命をねらって攻め上って来た」。ペリシテは以前のダビデでないことを耳に、彼の命をねらった。そして南北分断をはかって、レファイムの谷に陣を張り攻撃してきた。この時ダビデは主の託宣を求めその指示通り、実行して勝利を得た(18~19節)。更にバアル・ペツライムに攻め上り彼らを討ち滅ぼした。この場所がバアル・ペツライム(敗れ目の主)と呼ばれることになった(20~21節)
  22節「ペリシテ人は再び攻め上り、レファイムの谷に陣を広げた」。再び攻撃してきたぺリシテ軍に対して、主の託宣を求めて攻撃方法を示され、命じられた通り攻めて敵陣を討ち滅ぼすことが出来た(23~25節)。本章から示されるのは「ダビデは次第に勢力を増し、万軍の神、主は彼と共におられた」こと(10節)「主が彼をイスラエルの王として揺るぎないものとされ、主の民イスラエルのために彼の王権を高めてくださったことを悟った」(12節)である。

  これは「列王記上下」に記されている通り、ユダとイスラエル両国が王権制度を執っていく歴史で厳しく問われる試金石になる。
  

苦難からわたしの命を救われた主

2012-02-13 | Weblog
  サムエル記下4章
 
  9節「ダビデはベエロト人リモンの子レカブとその兄弟バアナに答えて言った。「あらゆる苦難からわたしの命を救われた主は生きておられる」(新共同訳)

  1節「アブネルがヘブロンで殺されたと聞いて、サウルの息子イシュ・ボシェトは力を落とし、全イスラエルはおびえた」。アブネルの死はイスラエルに大きな衝撃を与え、王は舵取りを失う危機的な状況になった。「力を落とす」は新改訳「気力を失った」、「おびえた」は口語訳「みなあわてた」となっている。サウルの息子のもとに二人の略奪隊の長がいた。名をバアナとレカブといった(2節)。4節に何故ヨナタンの息子メフィボシェトが出てくるか判らないが、足が不自由になった原因がここに述べられている。
  5 節「ベエロト人リモンの子レカブとバアナは、日盛りのころイシュ・ボシェトの家にやって来た。イシュ・ボシェトは昼寝をしていた」。レカブとその兄弟バアナは、小麦を受け取る振りをして家の中に入り、彼の下腹を突き刺して殺し、首をはねた。彼らはその首を携えてアラバへの道を夜通し歩き、ヘブロンのダビデのもとに、その首を持参した(6~7節)。彼らの魂胆は、これによってユダの王ダビデから殊勲として、取り立てて貰うことであった。二人は「主は、主君、王のために…報復されました」と告げた。自分たちの殺人行為を正当化し、主の聖意に置き換えた(8節)。
  ダビデはこの二人に、あらゆる苦難からわたしの命を救われた主は生きておられる。かつてサウルの死をわたしに告げた者が良い知らせをもたらしたと思っていたが、その者を捕らえ、ツィクラグで処刑した。それが彼の知らせへの報いだったと告げた。自分の家の寝床で休んでいた者を不意打ちで襲って殺した罪をお前たちに問わずにいられようかとも言って、従者を遣わし、二人を殺して両手両足を切り落とし、ヘブロンの池のほとりで木につるした。ダビデの反対勢力であった、サウル、アブネル、イシュ・ボシェトはそれぞれ非業の死を遂げたのであった。しかしその暗面が物語られる中で、ダビデは自らの手ではなく、「あらゆる苦難から命を救われた主」(8節)の導きを感じ取ったのかも知れない。
 
  キリスト者もまた、あらゆる苦難から命を救われる主を信頼して生きたいものである(フィリピ1章20節 「そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています」)。



王のすることは常に…目に良いと映った

2012-02-12 | Weblog
  サムエル記下3章 

  36節「兵士は皆これを知って、良いことと見なした。王のすることは常に、兵士全員の目に良いと映った」(新共同訳)

  1節「サウル王家とダビデ王家との戦いは長引いたが、ダビデはますます勢力を増し、サウルの家は次第に衰えていった」。へブロンで生れたダビデの息子の名が先ず記される。長男はアムノン、次男はキルアブ、三男アブサロム、四男アドニヤ、五男シェファトヤ、六男はイトレアムである。それぞれダビデの妻たちの息子である(2~5節)。本書ではアムノンとアブサロム(13~18章)が出てくる。
   6節「サウル王家とダビデ王家の戦いが続くうちに、サウル王家ではアブネルが実権を握るようになっていた」。サウルの王子イシュ・ボシェトは従兄弟アブネルに擁立されて王位についたが、実権はアブネルが持っていたようだ(2章8~10節、サムエル上14章50節see)。彼は王の側女との不品行をイシュ・ボシェトから咎められたことに、激しく反発して、これまでサウル王家のために忠実に仕えてきた、もしそうでなかったらあなたをダビデの手に渡すこともできただろうに。それを今、あの女のことでわたしを罪に問おうというのかと語った(7~8節)。
  10節「わたしは王権をサウルの家から移し、ダビデの王座をダンからベエル・シェバに至るイスラエルとユダの上に打ち立てる」。イシュ・ボシェトはもはや言い返す言葉がなかった。アブネルはダビデのもとに使者を送り、契約を結べば、あなたの味方になると伝えた。ダビデはこれを承知したが、サウルの娘ミカルを必ず連れて来るようにと要求した。そこでミカルをその夫パルティエルから取り上げてダビデに渡した(11~14節)。彼はイスラエルの長老たちの理解と協力を得て、先ずベニヤミンの人々とも直接話した後、二十人の部下を連れてへブロンのダビデのもとに着いた。ダビデは酒宴を催してアブネルとその部下をもてなした(15~20節)。
  21節「アブネルはダビデに言った。「わたしは…全イスラエルを主君である王のもとに集めましょう。…契約を結べば、あなたはお望みのままに治めることができます」。この話合いはダビデ統一王国の実現が開けるものであった。アブネルは平和のうちに出発した。そこへダビデの家臣を率いたヨアブが多くの戦利品を携えて略奪から帰って来た。ところが留守中にアブネルが来て平和交渉をして帰ったことを知り、なぜ送り出し、去らせたのですかとダビデに問うた(22~24節)。彼はアブネルが来たのは、王を欺いて動静を探り、すべて調べる為だったのだと言った。そしてダビデに知らせず、直ちに使いにアブネルの後を追わせて連れ戻した(25~26節)。
  27節「アブネルがヘブロンに戻ると、ヨアブは静かなところで話したいと言って城門の中に誘い込み、その場でアブネルの下腹を突いて殺し、弟アサエルの血に報いた」。ヨアブの本心は弟アサエルの復讐にあった(2章23節)。これは私怨によって国政を大きく変える出来事となった。ダビデはアブネルの死により、これが新しい王国においてわたしは潔白であり、ヨアブの上に神の呪いがくだることを預言する。そしてその死を悲しみヨアブとヨアブの率いる兵士全員に「衣服を裂き、粗布をまとい、悼み悲しんでアブネルの前を進め」と命じ、王は声をあげて泣き、へブロンで、丁重に葬った(28~32節)。またアブネルを悼む歌を詠んだ(33~34節)。そしてイスラエルの偉大な将軍が倒れたことをお前たちは悟らねばならないと告げている(38節)。しかし、ヨアブとその一族が、この後もダビデの王家に様々な波乱を起こすことをダビデは予知していた(39節)。


神は生きておられる

2012-02-11 | Weblog
 サムエル記下2章 

  27節「ヨアブは答えた。『神は生きておられる。もしお前がそう言い出さなかったなら、兵士は朝までその兄弟を追い続けたことだろう。』」(新共同訳)

  1節「その後ダビデは主に託宣を求めて言った。『どこかユダの町に上るべきでしょうか』。主は言われた。『上れ』。更にダビデは尋ねた。『どこへ上ればよいのでしょうか。』『ヘブロンへ』と主はお答えになった」。ダビデは二度の神託を受けて、ヘブロンに家族と共に移る。ユダの人々はそこに来てダビデに油を注ぎ、ユダの家の王にした(2~4節)。直ちに使者をギレアドのヤベシュの許に送り、「主君サウルに忠実を尽くした」ことを褒め、その働きに報いたいと告げ、一層勇敢に戦うようにと伝え、またユダの家がサウルの後継者としてダビデに油を注いで王についたと言った(5~7)。この挨拶は、対ペリシテ戦に敗れ逃走したイスラエルの人々と友好関係を結ぼうとしたのかも知れない。
  8節「サウルの軍の司令官、ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトを擁立してマハナイムに移り~」。しかし結果はその反対になり、サウルの司令官アブネルは、参戦しなかったイシュ・ボシェトを擁立しマハナイムでイスラエルの王にした。彼は四十歳で、二年間王位にあった。しかしユダの家はダビデに従い七年六ヵ月間、彼は王位にあった(9~11節)。アブネルはサウルとは父が兄弟で、従兄弟の関係であった(14章50~51節)。アブネルはイシュ・ポシェトの家臣と共にギブオンに向かい、一方ヨアブとダビデの家臣もギブオンの池で出会い、池のこちら側とあちら側で十二人の若者を立てて勝負をさせることになった(12~14節)。格闘技だろうが、しかし剣で脇腹を突き刺し、相討ちになってしまう(15~16節)。
  17節「その日、激しい戦いが続き、アブネルとイスラエルの兵がダビデの家臣に打ち負かされた」。その後両軍は激しい戦闘になり、ダビデの家臣に打ち負かされたイスラエル兵士は逃走する。ツェルヤの三人の息子、ヨアブ、アビシャイ、アサエルも戦いに加わり、逃げるアブネルをアサエルが追跡する(18~19節)。
  20節「アブネルは振り向いて言った。『お前はアサエルだな。』『そうだ』と彼は答えた」。アブネルは彼に右か左にそれて若者を捕まえたらどうかといったが、聞かないでアブネルを追って離れなかった。お前を打ち倒したら兄ヨアブに顔向けできないと言ったが、離れなかったので、アブネルはついにアサエルを槍で突き倒れて死んだ(21~23節)。彼は栄誉心からか、猪突猛進だったのだろう。
  24節「ヨアブとアビシャイはアブネルを追い続けた。夕暮れ時となって、彼らはギブオンの荒れ野に続くギアの入り口にあったアンマの丘に着いた」。ベニヤミン族はアブネルに合流し、一団となり、丘の上に留まった。アブネルはヨアブにこの無益な戦闘を止めにしようと提案し、ヨアブこれに同意し、角笛を吹いて追跡を止めることになった(25~26節)。この提案をヨアブは神の計らいだと言っている(27節)。アブネルとその兵はアラバを夜通し歩いてヨルダン川を渡り、更に午前中も歩いて、マハナイムに着いた(28~29節)。一方ヨアブも兵士の数を調べ家臣十九人とアサエルが欠けていることが判り、彼をベツレヘムに運んで葬り、夜通し歩いて明け方へブロンに帰った。この時ダビデの家臣はベニヤミン族とアブネルの兵三百六十人を打ち殺したという(30~32節)。
  同族同志の争いは、決してよい結果をもたらさない。アサエルをアブネルが殺したことは、尾を引くことになる。
 

戦いの器は失われた

2012-02-10 | Weblog
   サムエル記下1章 

 27節「ああ、勇士らは倒れた。戦いの器は失われた」(新共同訳)

  1節「サウルが死んだ後のことである。ダビデはアマレク人を討ってツィクラグに帰り、二日過ごした」。三日目にサウルの陣営から一人の男が、衣服は破れ、土をかぶった有り様でダビデの前にひれ伏し、イスラエルの陣営から来たと言った。戦地の状況を尋ねると、多くの兵士が逃げ出し、倒れて死に、またサウル王も王子ヨナタンも亡くなったと告げた(2~4節)。
  5節「ダビデは知らせをもたらしたこの若者に尋ねた。『二人の死をどうして知ったのか』」。彼はその時の様子を臨場感が溢れるようにサウルとの会話を伝えている。「とどめを刺してくれ、痙攣が起こったが死に切れない」というので傍に行って刺し王冠と腕輪を取って持参しましたと言った。31章ではサウルは自死しているが、アマレク人の通報は虚偽であり、彼はダビデとサウルの関係を誤解し、喜ばれると思い褒賞を求め通報して来たのである。まるで見てきたような嘘を言ったのである(6~10節)。これを聞いたダビデは衣を裂き、共にいた者もみなそれに倣って衣を裂いて悲しんだ。
  12節「彼らは、剣に倒れたサウルとその子ヨナタン、そして主の民とイスラエルの家を悼んで泣き、夕暮れまで断食した」。サウルの追跡からの逃避行の中で起きた出来事ではあるが、ダビデの心中は察して余りある出来事であった。知らせをもたらした男に、その出身を尋ねると寄留のアマレク人だと答えたので、たとえ殺害は虚言だったとしても、「主が油を注がれた」者の死が聖意に背く事柄であるかをダビデは周囲に伝えるために、従者に命じて彼を打ち殺した。同時に、ダビデの身の潔白を示す言葉でもある。これはサムエル記上24章11節にもあった。
  17~27節 哀悼の歌「弓」
  19節「イスラエルよ、「麗しき者」は お前の高い丘の上で刺し殺された。ああ、勇士らは倒れた」。この「弓」の歌と呼ばれる哀歌は、ダビデの繊細な愛情を表すすぐれた作品である。「ああ、勇士らは倒れた」と19、25、27節で三度繰り返された。「麗しき者」はサウルを指す。サウルの死がペリシテに知られるのは屈辱であること、サウルの盾が放置されている戦場の呪い(20~21)、そして戦場でのサウルとヨナタンの武器についての追想(22節)。
  23節「サウルとヨナタン、愛され喜ばれた二人 鷲よりも速く、獅子よりも雄々しかった。命ある時も死に臨んでも 二人が離れることはなかった」。実際には二人の間には確執があったが(20章30~34節)、わが子への思いは深く厚かったことを歌う。イスラエルの娘よ、サウルとヨナタンの死を悲しみ泣け(24~25節)。ヨナタンに呼び掛ける言葉(26節)。「女の愛にまさる愛」とあるが、生前に二人が深い愛の絆で結ばれていたのである(18章1節、20章17節)。
  27節「ああ、勇士らは倒れた。戦いの器は失われた」。哀歌の結語として示される。悲しみは慰めによってのみ癒される。第2コリント1章3節にこのようにある。「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。」

皆立って、夜通し歩き

2012-02-09 | Weblog
  サムエル記上31章 

   12節「戦士たちは皆立って、夜通し歩き、サウルとその息子たちの遺体をベト・シャンの城壁から取り下ろし、ヤベシュに持ち帰って火葬に付し」(新共同訳)

  1節「ペリシテ軍はイスラエルと戦い、イスラエル兵はペリシテ軍の前から逃げ去り、傷ついた兵士たちがギルボア山上で倒れた」。ペリシテ軍との対戦は29章にあった。イズレエル平原の戦闘で敗色が濃くなりギルボア山岳地に逃走し、そこで多くの兵士が倒れた。ヨナタンら王の息子らも戦死した。サウル王に対する攻撃も激しくなり、射手たちはサウルを見つけ、弓矢で深手を負わせた(2~3節)。サウルはペリシテになぶり殺されることを厭い、従卒に剣で刺すよう頼むが適わぬことを知り、自ら剣の上に倒れ命を絶つ。無念の死、勝敗は決した(4~6節)。
  7節「谷の向こう側と、ヨルダンの向こう側のイスラエル人は、イスラエル兵が逃げ、サウルとその息子たちが死んだのを見ると、町をことごとく捨てて逃げ去ったので、ペリシテ軍が来てそこにとどまった」。ペリシテ軍は死者の武具や所持していた諸々を剥ぎ取ろうとしてギルボア山上に来て見ると、サウロと三人の息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュア(2節see)が倒れていた。サウルの死による戦勝を全土に知らせ、偶像の神アシュトレト神殿にサウルの武器を納め、首はベト・シャンの城壁にさらしたとある(8~10節)。
  イスラエル建国の初代の王サウルの最期でサムエル記上が終わる。サムエル記下からダビデの時代が始まる。非業のサウルの最期に際し、花束を添える物語が、11~13節である。ペリシテの仕打ちを聞いたヤベシュの戦士たちは二十キロの夜道を歩き、ベト・シャン城壁からヤベシュにサウルの首を持ち帰り火葬にし、その骨を丁重に埋葬し七日間の喪に服した。彼らはサウルから受けた恩義を忘れることが出来なかったからだ(11章1~11節)。この時、アンモン人を撃退してサウルは王位を確実なものにしている。

  サウルの生涯はコヘレトの言葉11章1節あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう」という教訓ではなかろうか。

主によって力を奮い起こした

2012-02-08 | Weblog
  サムエル記上30章 

   6節「兵士は…ダビデを石で打ち殺そうと言い出したので、ダビデは苦しんだ。だが、ダビデはその神、主によって力を奮い起こした」(新共同訳)

  1節「三日目、ダビデとその兵がツィクラグに戻る前に、アマレク人がネゲブとツィクラグに侵入した。彼らはツィクラグを攻撃して、町に火をかけ~」。これはダビデと六百人の兵士がペリシテ軍の戦列に加わった留守中に起きた出来事である。三日後ツィクラグに帰ると、町は焼け落ち、妻子や留守をしていた者たちは皆捕虜として連れて行かれた(2~3節)。これを見てダビデと兵士らは泣き悲しみ、ついに は泣く力もなくなった。その囚われた人々の中にはダビデの妻二人もいた(4~5節)。
  6節「兵士は皆、息子、娘のことで悩み、ダビデを石で打ち殺そうと言い出したので、ダビデは苦しんだ。だが、ダビデはその神、主によって力を奮い起こした」。その責任をダビデにかぶせて殺そうとしたのである。この時ダビデは「主によって力を奮い起こした」とある。TEV・the Lord his God gave him courageである。悲しみと怒りで我を忘れるほどのダビデは、勇気を与えられ主の託宣をもとめた。「必ず追い着き、救出できる」との主の答えを聞いて確信を与えられ、アマレクの掠奪隊を追跡することになる(8節)。ダビデと同じ勇気を与えられた兵士らはペルソ川を渡るが、その中の二百人は疲れて川を渡れないで落伍した。身内の救出をあきらめるほど弱ったのか。しかし四百人はダビデと共に追跡を続けた(9~10節)。
  11節「兵士たちは野原で一人のエジプト人を見つけ、ダビデのもとに連れて来た。パンを与えて食べさせ、水を飲ませ~」。このエジプト人はアマレク軍の奴隷だった。三日三晩飲まず食わずで、三日前病気で捨てられていた。彼を殺さないという約束でダビデは彼を手引きにして略奪隊の居場所を知ることができた(12~15節)。彼の案内で、敵の陣地に来て見ると、戦勝の祝いにお祭り騒ぎで酔いしれていた。ダビデは夜襲で救出作戦を決行、捕虜になった家族や戦利品として奪われた物のすべて取り返すことができた(16~20節)。
  21節「やがて、疲労のためダビデに従うことができず、ベソル川にとどまっていた二百人の兵のもとに戻って来ると、彼らはダビデとダビデに従った兵士たちを迎えに出て来た。ダビデはこの兵士たちに近づくと、彼らの安否を尋ねた」。勝利したダビデと一行が帰途についたが、彼らの言動に注目させられる。先ず先に落伍した二百人に安否を尋ねている。次に妻子を受け渡した時、戦利品は渡すなと抗議する道理の判らない兵を彼は諭した。「兄弟たちよ、これは主が与えてくださったもの」「我々を守って下さったのは主、略奪隊を我々の手に渡したのも主である」と語った。そして勝利品はすべての者に平等に主から分け与えられると告げたのである(23~24節)。徹底した平等主義がイスラエルの慣例となったという(25節)。これは民数記31章25~27節に出てくる。
  26節「ダビデはツィクラグに帰ると、友人であるユダの長老たちに戦利品の中から贈り物をして、『これがあなたたちへの贈り物です。主の敵からの戦利品の一部です』と言った」。その送り先が、ベテル、ラモト・ネゲブ、ヤティル、アロエル、シフモト、エシュテモア、 ラカル、エラフメエル人の町々、カイン人の町々、ホルマ、ボル・アシャン、アタク、ヘブロン、ダビデがさまよい歩いた所と14ヵ所出ている(27~30節)
  危機に直面した時のダビデがどう対応したか。それは主なる神と向き合うことであった(6節、23節、26節)。キリスト者もまた同じではないか。

今は、平和に帰ってほしい

2012-02-07 | Weblog
 サムエル記上29章 

  7節「今は、平和に帰ってほしい。ペリシテの武将たちの好まないことをしてはならない」(新共同訳)。

  1節「 ペリシテ人は、その軍勢をすべてアフェクに集結させた。イスラエル軍は、イズレエルにある一つの泉の傍らに陣を敷いた」。ペリシテの武将ら(新改訳=領主)は百人隊、千人隊を率いて進み、ダビデと兵士らはアキシュ王としんがりで進んだ。ペリシテ軍の武将らは、ダビデの参戦に疑義を抱き、アキシュに尋ねたが、イスラエルの王サウルの僕であったダビデだ。彼はこの一、二年、わたしのもとに身を寄せていて、今日まで何の欠点も見い出せないと答えた(2~3節)。しかし彼らは納得しなかった。
   4節「だが、ペリシテの武将たちはいらだってアキシュに言った。「この男は帰らせるべきだ。彼をもともと配置した所に戻せ。我々と共に戦いに向かわせるな。戦いの最中に裏切られてはならない。この男が元の主人に再び迎え入れられるには、ここにいる兵士たちの首を差し出すだけで十分ではないか」。彼らは語り草になっていた『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』あの人物なので、裏切られると大変なことになると思ったのである。アキシュはダビデを呼び、事情を話しペリシテの武将らが好まないので、お前と一緒に来たお前の主君の部下も、明日の朝早く起きて、日が昇ったら出発しなさいと伝えた(5~7節)。この時のダビデの進退窮まる心情は無かった。しかし同族イスラエルと対戦する危機的な状況から逃れるという神の最善の道が開かれ、見えない御手が働いていたのである(10~11節)。
しかし同時に、もう一つの危機的状況があったことを後で知ることになる(30章)。

  よく引用される聖句だが、ヨハネ福音書13章7節わがなすことを、汝いまは知らず、後に悟るべし」(元訳聖書)。TEV "You do not understand now what I am doing, but you will understand later."

サムエルが死んだ

2012-02-06 | Weblog
 サムエル記上28章 

  3節「サムエルが死んだ。全イスラエルは彼を悼み、彼の町ラマに葬った。サウルは、既に国内から口寄せや魔術師を追放していた」(新共同訳) 

  1節「そのころ、ペリシテ人はイスラエルと戦うために軍を集結させた。アキシュはダビデに言った。「あなたもあなたの兵もわたしと一緒に戦陣に加わることを、よく承知していてもらいたい」。これまでダビデが対戦していた相手は直接イスラエルではなかった(27章8節see)。アキシュは彼がイスラエルに嫌われていると思い、一緒に戦陣に加わるよう要請したのである。これに応えアキシュの護衛の長に任じられた(2節)。そしてイズレエル平原の北部シュレムと南部ギルボアにペリシテとイスラエルの両軍が対峙した。この時、サムエルは死んでラマの町に葬られ、また既に国内から口寄せや魔術師を追放していたので、この対戦にサウルは恐れ、主に託宣を求めたが、夢によってもウリムによっても、また預言者によっても答えられなかった。彼は為す術も無く、変装してエン・ドルにいた霊媒女を訪ねた。女は身分を明かすと口寄せを追放した王に殺されるとして拒否するが、咎を負うことはないと約束し、死者の世界からサムエルを呼び起こすよう頼んだ(3~11節)。レビ記19:31、申命記18:10で口寄せ、魔術、占いは禁止されていた。サウルはそれを知っていたにも関わらず、自らの首を絞める過ちを犯すのである。
  12~19節 霊媒師によりサムエルとサウルとの会話
  霊媒師はサウル王の素状を知って、欺いたことを詰るが、その見たことを促がされてサウルに伝える(12節)。死者の中から呼び出されたサムエルがサウルに伝えたのは、何故わたしに尋ねるのか、あなたはアマレク人との対戦で主の憤りの業を遂行せず主の言葉を聞かなかったので、主はあなたを離れ去り、敵となられた(16節、15章35節)。あなたの手から王国を引裂き、ダビデに与える。イスラエルの軍隊をも、ペリシテ人の手に渡されるであろう。「明日、あなたとあなたの子らはわたしと共にいる」とは死者の世界からの預言で、サウルの死を指している。
  20節「サウルはたちまち地面に倒れ伏してしまった。また彼はこの日、何も食べていなかったため、力が尽きていたのである」。女は、今度はあなたがわたしの言葉を聞いて、食事を摂るようにと強く勧めた。しかし拒んだが、勧めに従い、地面から起き上がって、床の上に座って食事をしたが、サウルと家臣はその夜の内に立ち去った。主の声を聞かない者の愚かしい物語である。
  今一度サムエルから語られた15章23節反逆は占いの罪に、高慢は偶像礼拝に等しい。主の言葉を退けたあなたは王位から退けられる」が示される。

二度とダビデを追跡しなかった 

2012-02-05 | Weblog
 サムエル記上27章 

  4節「ダビデがガトに逃げたと聞いたサウルは、二度とダビデを追跡しなかった」(新共同訳)

  1節「ダビデは心に思った。『このままではいつかサウルの手にかかるにちがいない。ペリシテの地に逃れるほかはない。そうすればサウルは、イスラエル全域でわたしを捜すことを断念するだろう。こうしてわたしは彼の手から逃れることができる』」。イスラエル全域で捜すのを断念させる為にダビデは家族と兵士六百人を連れてガトのアキシュの許に逃れた(2節)。彼はイズレエルのアヒノアムとナバルの妻であったアビガイルの二人の妻を連れ、兵士らも家族と共に身を寄せた。このことを聞いたサウルは、二度とダビデを追跡しなかった(3~4節)。かつて一人狂人を振舞って訪ねた時とは情況が変わっている(21章11~16節)。彼はアキシュから厚意を得てツィクラグを与えられた。ペリシテとイスラエルの国境と思われる。ダビデがサウルに嫌われて逃亡していることを知っていたからであろう。滞在期間は一年と四カ月であった(5~7節)。彼はシュルからエジプトの地に至る地方のゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人を襲い、羊、牛、ろば、らくだ、衣類を奪い、男も女も生かしておかなかった。アキシュはダビデに「今日はどこを襲ったか」と尋ねると、彼は、ユダのネゲブであるとか、エラフメエル人のネゲブだ、カイン人のネゲブだと答え、偽りの報告をした(8~10節)。ここでは、ネゲブは固有名詞でなく乾燥地を指す。
  11節「ダビデは、男も女も生かしてガトに引いて来ることはなかった。「彼らが我々について、『ダビデがこうした』と通報しないようにと考えたからである」。ダビデがペリシテの地に住む間、これがダビデの策であった」。ここでも姑息な考え方をする。アキシュは彼の偽りを信じて、「彼は自分の民イスラエルにすっかり嫌われたから、いつまでもわたしの僕でいるだろう」と思っていたのである。主による命の保障を確信するダビデであるが、しかしアキシュの許におれば安全だという人間的恐れから取った言動に彼のもう一つの面が出ている。ダビデに対する評価の分かれるところだが、ヤコブ物語にあるヤコブと同じである。

  イエスの弟子ペトロも同じ人間的弱さがあった。この保身術は癒しがたい罪であり、不断に(日々に)これを主に明け渡さねばならない。「日々、自分の十字架を負って従う」とはこのことである(ルカ福音書9章23節)

あなたの命を大切にしたように

2012-02-04 | Weblog
  サムエル記上26章 

  24節「今日、わたしがあなたの命を大切にしたように、主もわたしの命を大切にされ、あらゆる苦難からわたしを救ってくださいますように」(新共同訳)

  1節「ジフ人がギブアに来てサウルに、「砂漠の手前、ハキラの丘にダビデが隠れている」と告げた」。このサウルとダビデの対戦は24章にあるエン・ゲディの時と似ている。サウルは精鋭三千を率い、ジフの荒れ野でダビデを探した。そしてハラキの丘で陣を敷いた。そこでダビデは斥候を出してサウルが来たことを確認し、陣を敷いている所に近づきサウルと軍の司令官ネルの子アブネルが寝ている場所を見つけた。サウルは幕屋の中で兵士らはその周辺に宿営していた(2~5節)。ダビデはアビシャイと夜に幕屋に近寄り、寝り込んでいるサウルの枕もとにあった槍を奪った。アブネルも兵士もその周りで眠っていた。アビシャイは槍の一突きで彼を刺し殺させてくださいと言ったがダビデはそれを制し、主が油を注がれた方に手をかければ罰を受けると言った。
  10節「更に言った。『主は生きておられる。主がサウルを打たれるだろう。時が来て死ぬか、戦に出て殺されるかだ』」。二人は槍と水差しを取り、立ち去った。これに誰も気づかなかった。ダビデは向こう側に渡り、サウルの陣営と遠く離れた山の頂に立った。ダビデはアブネルに向かって呼ばわり、イスラエルで他に比べられる者のないお前は、敵兵の一人がお前の主人である王を殺そうと忍び込んだのに、何故守れなかったのかと忠誠を責め、死に値すると非難した。そして槍と水差しを見せた(11~16節)。
  17節「サウルはダビデの声と気づいて、言った。『この声はわが子、ダビデではないか。』ダビデは答えた。『わが主君、王よ。わたしの声です』」。ダビデは続けた。「わが主君はなぜわたしを追跡なさるのですか。わたしが何をしたというのでしょう。わたしの手にどんな悪があるというのでしょうかと問い質した(18節)。もし王がわたしに対して憤られるように仕向けられたのが主であるなら、主が献げ物によってなだめられますように。もし、人間であるなら、主の御前に彼らが呪われますようにと語った(19節)。
  20節「どうか、わたしの血が主の御前を遠く離れた地で流されませんように。まことにイスラエルの王は、山でしゃこを追うかのように、蚤一匹をねらって出陣されたのです」。エン・ゲディの時にはダビデは「死んだ犬、一匹の蚤」と言っている(24章15節)。ここでは自分を「しゃこ」といった。「しゃこ」は「うずら」に似た鳥で直ぐには飛び立たず岩場に逃げ隠れし追って疲れたところを捕えるというのである。サウルは自分が命拾いをしたことを知り、ダビデに謝罪し「この日わたしは愚かであった。大きな過ちを犯した。わたしの命を尊んでくれたお前に二度と危害を加えない」と誓う(21節)。ダビデはこれに応えて、王の槍はここにあります。従者を一人よこし、これを運ばせてくださいと言い。そして主が油を注がれた方に手をかけることをわたしは望みませんと語った(22~23節)。
  24節「今日、わたしがあなたの命を大切にしたように、主もわたしの命を大切にされ、あらゆる苦難からわたしを救ってくださいますように」。これに対してサウルは、わが子ダビデよ、お前に祝福があるように、お前は活躍し必ず成功すると応え、ダビデとサウルはそれぞれ自分の場所に戻って行った。


あなたに平和、あなたの家に平和

2012-02-03 | Weblog
 サムエル記上25章

  6節「次のように言うがよい。『あなたに平和、あなたの家に平和、あなたのものすべてに平和がありますように』」(新共同訳)。

  1節「サムエルが死んだので、全イスラエルは集まり、彼を悼み、ラマにある彼の家に葬った。ダビデは立ってパランの荒れ野に下った」。サムエルの死がダビデの時代に起きたことを表わす。この後は死んだサムエルを口寄せの女にサウルが呼び出した記事が28章に出てくるだけである。尚も逃避行を続けるダビデは「パランの荒れ野」に下った。カルメルという地名の丘稜地帯が広がるのは「ハラン」ではなく「マオン」の荒れ野と考えられる(23章25節)。ここにナバルという羊三千匹、山羊千匹を持つ裕福な人がいて、カルメルにある仕事場で羊の毛を刈っていた。羊の毛を刈る時は祝日で、ダビデは10人の使者をナバルの許に送り「あなたに平和、あなたの家に平和、あなたのものすべてに平和がありますように」と挨拶をした(6節)。彼らに神から繁栄と安全が与えられるようにということである。そしてダビデの牧童たちの中にナバルの牧童たちもいたが警備役をしてきたので、厚意を示して下さいと願った(7~9節)。つまり働きの報酬を期待したのである。そこには相互依存関係がある。ところがナバルはそれを拒み、「ダビデとは何者だ。最近逃げ出す奴隷も多くなった」とダビデを辱める言葉で追い返したのである(10~11節)。
  12節「ダビデの従者は道を引き返して帰り着くと、言われたままをダビデに報告した」。ダビデはこの辱めに対して四百人の剣を帯びる兵士と荒れ野に出て行った。その時ナバルの従者の一人が妻アビガイルに夫の対応を伝えたので、彼女は急いでパン、ぶどう酒、料理された羊や干しぶどうなどの菓子をろばに積み、ダビデと出会い、地に伏して夫の非礼を詫び、贈り物を差し出した(13~23節)。アビガイルは聡明で美しく、ナバルは頑固で行状が悪かったことが名前から明らかにされている(3節)。ナバル「愚か者」とは本名ではなかろう。アビガイルは「わが父は喜び」の意味。この愚かは、忘恩と我欲により神の誠実に反することを指す。アビガイルはダビデに、主は必ずあなたのために確固とした家を興し、主の戦いを戦われる方であり、主が約束なさった幸いをすべて成就し、あなたをイスラエルの指導者としてお立てになると語った(24~30節)。そしていわれもなく血を流したり、御自分の手で復讐なさったことなどが、つまずきや、お心の責めとなりませんように。主があなたをお恵みになるときには、はしためを思い出してくださいと語った(31節)。ダビデは彼女を神が遣わした方と主を誉めた(32節)。
  33節「あなたの判断はたたえられ、あなたもたたえられよ。わたしが流血の罪を犯し、自分の手で復讐することを止めてくれた」。アビガイルがナバルのもとへ帰ってみると、宴会の最中だったので、翌朝まで事の大小を問わず何も話さなかった。ナバルの酔いがさめ妻の話を聞くと意識を無くし 十日ほどの後、主に打たれて死んだ。ダビデはアビガイルに人を遣わし、妻にしたいと申し入れた。すぐに立ち、急いでろばに乗り、彼女に仕える侍女を五人連れて、ダビデの使者の後に従った。アビガイルはダビデの妻となった。

  神の平和を改めて示される(ローマ15章33節)。  

わたしに善意を尽くしていた

2012-02-01 | Weblog
  サムエル記上24章 

  19節「お前はわたしに善意を尽くしていたことを今日示してくれた。主がわたしをお前の手に引き渡されたのに、お前はわたしを殺さなかった」(新共同訳)

  1節「ダビデはそこから上って行って、エン・ゲディの要害にとどまった」。エン・ゲディは死海の西岸、山羊が生息する洞窟が点々とある処で、六百人の兵士らはこの周辺に滞在していた。格好の要害であった。ダビデら一行がエン・ゲディにいるという情報を耳にしたサウルは三千人の兵を率いて追って来た。この執念は何であろう(2~3節)。 途中、羊の囲い場の辺りの洞窟で、サウルは用を足すために入った。その洞窟の暗闇にダビデと兵士らが潜んでいるのに気付かなかったとは何と不注意なことか。
  5節「ダビデの兵は言った。主があなたに、『わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。思いどおりにするがよい』と約束されたのは、この時のことです。ダビデは立って行き、サウルの上着の端をひそかに切り取った」。部下は今がチャンスだと告げ、ダビデは彼の上着の端を切り取った。これは命を奪うに等しい事である。この時のダビデの心境は複雑だったろう。何処までも命を狙って追跡する狂気の男、されど主が油を注いだ王。ダビデはこの行為を後悔している(6節)。兵士らを説得してサウルを逃がし、洞窟を出た時、ダビデは「わが主君、王よ」と後から声を掛けた。サウルが振り返ると、ダビデは顔を地に伏せ、「今日、主が洞窟であなたをわたしの手に渡されたことに気がついたでしょう。あなたの上着の端がわたしの手にあります。何故命を奪おうと追い回されるのですか」と言った。そしてわたしは死んだ犬、一匹の蚤と言った(7~15節)。
  16節「主が裁き手となって、わたしとあなたの間を裁き、わたしの訴えを弁護し、あなたの手からわたしを救ってくださいますように」。彼の真実な告白であり、主への願いである。命は神が保証していることを明らかにする。これを聞いたサウルは「わが子ダビデよ、これはお前の声か。」と言って声をあげて泣き、お前はわたしより正しい。お前はわたしに善意をもって対し、わたしはお前に悪意をもって対したと告げた(17~18節)。「わが主君、王よ」と呼んだダビデに対して「わが子ダビデよ」と呼び返している。またサウルの口から善意に対して悪意で接していたと懺悔している。ダビデは、善をもって悪に勝った。サウロは完敗である。
  21節「今わたしは悟った。お前は必ず王となり、イスラエル王国はお前の手によって確立される」。サウルは子孫を断つことなく、父の家から消え去ることのないようにと依頼し、互いに誓った。彼の言葉により、ダビデの王位継承が預言されることになる。しかしここには言外に嫡子ヨナタンの存在が示され、平和裏に問題解決を願うサウルの心情が伺える。ヨナタンについては、サムエル記下1~2章に出てくる。

  ローマ8章31節神が味方であるなら、だれがわたしたちに敵対できますか」が示される。