ひきこもりのリアル 2
2019年8月16日朝日新聞朝刊
浜松市の男性(44)は、就職活動で30社ほど受けたが結果が出ず、「社会に入っていくこと自体が怖くなった」と振り返る。大学4年だった1997年は、山一証券が破綻した「就職氷河期」。秋には下宿から出られなくなり、卒業後は実家にこもった。
00年、突然、呼吸困難となった。病院での診断は「適応障害」。。
心の不安が体に表れたと指摘され、治療の結果、半年で就労を許可されるまでに快復した。だが翌年、正社員に採用された印刷会社は、1日15時間働く職場だった。4年耐えたが、30歳で再び実家にこもった。
その後、男性は、訪問支援に来た精神科医の新居昭紀さん(78)らに心を開き、介護職などを経験。いまは新居さんの診療所「ぴあクリニック」(同市)に併設され、ひきこもり当事者らが交流する「虹の家」で喫茶のアルバイトをしながら、本格就労をめざす。
「リーマン・ショックの翌年ごろから状態だった人が就労の相談に来るようになった。」と伊丹市雇用福祉事業団の高木哲次代表理事は話す。相談に来る人はかって50代以上の男性が大半で、仕事が見つかれば生活を立て直せた。00年以降は30~40代が増え、近年は女性も増加。軽作業をこなす中間的就労から始め、本格的な就労に移る人も多いという。
「今の日本社会では、競争主義になじめない人たちが落後者、破産者としか見られず、やり直しがきく仕組みがない」。立命館大の山本耕平教授(精神保健福祉論)はそう指摘する。山本教授は、和歌山市の社会福祉法人で食品加工や印刷、クリーニング、カフェ経営などの事業を通じた就労支援に携わっている。
早くから自治体などが想定してきたひきこもり状態の若年層への支援に比べると、社会に出てからつまずいた中高年層への支援が不十分だと感じているという。
「一人一人が抱えるしんどさを一緒に考え、次のステップを模索するようなオーダーメードの支援が求められている。」と話す。(江口悟)
自分を見つめて
この世界に生まれたことは、とても貴重な体験です。母の胎内から「オギャア」と産声を上げ、生まれた場所、どこかもわからず、選べず、環境の良しあしは神のみぞ知る、皆が同じスタートラインに立てるわけではありません。この世に生を授かるのは平等、育つ環境は不平等、始めから「平等」の二文字は「絵にかいた餅」なのです。しかし、生家が、金のあるなしにかかわらず、育ち盛りの生活環境がいい悪いは関係なしに、人それぞれが幸不幸の人生を歩み、異なる結果になります。『上善如水』四文字熟語が有名です。水は七変化です。川、海、湖、沼、水蒸気、氷に雨と雪、どんな姿にも変化できます。生きていく上で臨機応変に対応できる水のように日々、暮らすと精神衛生上とてもよいと思います。ただ、自分のポリシーはしっかり持ち、長所・短所を把握して自分を知ることから始めることです。