日本人に生まれて

前期高齢者の仲間入りをしました。昭和、平成、令和を振り返りながら、日常の出来事を綴ります。

50代の居場所②

2019-12-22 09:43:00 | 仕事
  今日の言葉

  意志あるところに
    道は通ず      

序文

日常生活を過ごしていると、今のままでいいのか、そうでないとか迷います。「よその芝生はよく見える」、ないものねだりの子守歌、他人をみるとまぶしく、自身はみじめに感じることがあります。どのような状況に置かれてもこの気持ちは不変です。「ジェラシー」といいます。この嫉妬心を断ち切らなければいけません。そのためには、身の程を知ることから始まります。自分は自分、他人他人と割りきり、自分の身の丈をあげることにより、嫉妬言葉が無用になります。

終身雇用もレガシーになり、中間管理職の人たちも、それぞれ自己責任において進路を決めなければならない時代がやってきました。自分の意志を貫いて活躍されている女性の記事を紹介します。


女性のキャリア「答え」は外に

20人ほどの参加者で女性は一人だった
富士通グループ会社の部長だった西村美奈子さん(60)は、55歳の時に役職定年の対象者を集めた人事研修に参加した。部下がいなくなる役職定年後の待遇や生活設計などのアドバイスなどがあった。
男性社員のほとんどが「できるだけ会社にとどまりたい」と答えた。でも西村さんの思いは違った。
〈いつか会社を去る。その後をどう生きるかを今から考えるべきではないか〉
83年に総合職として富士通に入社。仕事は山あり、谷ありだが、楽しかった
富士通でエンジニアとして働いていた夫と家事を分担し、子育ても全力で取り組んだ。
40代後半から先行きに不安を覚えるようになった。人生で大きな比重を占めてきた仕事。いつか必ず、辞めるときかまくる。「これまで打ち込んできたものがゼロになってしまう」。そんな恐怖心があった。
会社では様々な仕事に挑戦してきたが、自分は人事のプロでもない。社外で通用する専門的なスキルがあると思えなかった。職場で相談できる相手はいなかった。10年悩んだ。
「答え」は会社の外にある気がした。
仕事で知り合った昭和女子大の坂東真理子理事長に、思い切って悩みや思いを打ち明けた。すると「うちで研究したらどうですか」と誘われた。56歳の時に会社の許可を得て、昭和女子大現代ビジネス研究所の研究員を兼務することとなった。
そこで知り合った自動車メーカー出身の研究員とともに女性のセカンドキャリアを研究した。サイトを作り、退職後も働く女性たちのインタビューなどを掲載した。
50歳で食品会社辞め、家族ルーツを調べる会社を立ち上げた人、電機メーカーで働いた後、「産休後コンサルタント」として独立した人。56歳の役職定年で退職し、パソコン教室を開いた人それぞれが自分らしい生き方を切り開いていた。
西村さんは57歳で富士通のグループ会社を早期退職した。昨年末、女性のセカンドキャリア研修かどを行う会社を立ち上げた。1986年に「男女雇用機会均等法」が施行されてから30年が過ぎた。総務省の調べによると、45~64歳の正規雇用で働く女性は423万人。後半生の生き方に悩む女性は少なくないはずだ。
研修の参加者はおもに50代の女性。「悩みを分かち合える仲間と知り合う機会になった」といった前向きな評価がほとんどで、西村さんは手応えを感じている。
ライフワークを探り当て、心の中の「モヤモヤ」は「ワクワク」に変わった。
西村さんは「みんな貴重な経験や高い能力がある。会社に残るにしても、辞めるにしても、社会に貢献し続けてもらうための応援をしたい」と話す。
    朝日新聞(古屋聡一)けいざい

結論

人間関係の構築の重要性を再認識しました。居場所①の男性は、会社の先輩、同僚、後輩の賛同を得て起業し、成功を収めました。今回の女性は、会社外の人脈のアドバイスで事業を立ち上げました。自分の能力を高めることと意識してよい人間関係をつくる必要性を感じました。




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