植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

伯夷の樹 以暴易暴

2022年09月01日 | 篆刻
本を読む機会はめっきり減りましたが、書道・篆刻全般にわたる実用に供する古い本だけは多数集めていて、必要に応じてほぼ毎日何かしらを読む事になります。一番多いのは篆刻文字を集字するための「字典」です。

最近の愛読書の一つに「石印材」という本があります。これは昭和42年に発行されているハードカバーで、山内秀夫さんという方が出していますが、ネットで調べてもこの方の著書はこれだけなので、恐らく高名な篆刻家や研究者ではなく、印材を愛好してやまない好事家・「愛印者」で趣味が高じて本を出したといった所だろうと思います。

中身の1/4はカラーの図版で、恐らく同好の友人所蔵かご本人のコレクションを写したものでしょう。また、残りの半分は文献や寄稿文なので、山内さんの書かれた篆刻印の知識や説明に費やした頁・行数は全体の1/4程度なのでした。
入手した石の種類を調べるのにはもってこいの本ではありますが、半世紀前のS42に書かれたにしては古色蒼然とした旧字体の活字が多用され、言い回し・単語も難解にして死語となったような表現で綴られております。ワタシが、中学校に上がったくらいの時代で、こんな難読難字の文章が一般的だったとは思えません。

寄稿文の題は「迷石寄語」「石痴の弁」と、下品な言い方では「石キチガイ」達が集まって出版した様子であり、いっぱしの「愛印者」のワタシとしてもある意味、バイブルのような本であります。

そこでちょっと面白い文献がありました。毛奇齢という学者さんが著した「後観石録」という記録です。これは300年ほど前に、高兆という印材に造詣が深く卓越した知見を持った学者さんが著した「観石録」という評文の二番煎じ・「パクリ」であります。
この先生はたいして手持ちのお金もなく、それほど石を好むほどでも無いのに、愛玩するに相応しい美しい石を産出した福建州の寿山周辺に分け入り、田黄石などの妙石を求めて四苦八苦し、49個の石を集めたという自慢話です。
その一節に「伯夷の樹」という言葉が出てきます。

有力者に頼んで譲ってもらう予定だった石を、かすめ取った人がこっそり値引きすると言って、売りに来たのです。その時この先生は、「これは、伯夷の樹ではなく、ただの一翫物(ただの愛玩品)なので有力者が持てて無力なものが得られないというのは見ていられない」と言って盗品と知りつつ安く買い取ったのです。

はい、とても厚かましくて自分に都合のいい解釈であります。この先生は大層自尊・自大の傾向が強く、他人に対する文句や・謗り咎めるといった言動によって敵が多かったようです。

伯夷の樹の話はだいたいこんなあらすじであります。
「中国、殷の時代にあった小国の王様の息子に伯夷・仲馮・ 叔斉という兄弟がいた。王は三男叔斉に跡を継がそうとしたので、長兄の伯夷が他国へ逃れ、叔斉は、自分も兄をさしおいて王にはなれないと後を追った。兄弟は善政をしているという「周」の文王を頼り辿り着いたものの、文王がすでに死んでいて、その息子が武王となり、殷の国へ攻め入ろうとするところであった。その周の王に、先王が亡くなった途端に、主国の殷へ戦を仕掛けるのは孝でもなければ仁でもない、と諫めますが、聞き入れず、結局殷は周に滅ぼされる。伯夷たちは周にとどまったが、不忠の国家である周の食べ物は食べられないと山にこもり、蕨・薇(ぜんまい)だけを口にするうち餓死した。」

暴を以て暴に易う(かう)その非を知らずと絶句となった漢詩に詠んだそうです。暴力を暴力で排除しようとしても結局は同じことで、仁に悖(もと)ることが分かってない、と。
それで、伯夷・叔斉は高潔な聖人・隠者として後世に伝えられることになったのです。この逸話は、高校生の頃に学んだような気もしますが、ほとんどは忘れていて、ちょっとネットで確認して調べた結果であります。


北海道では、タラバガニや毛ガニが入ってこないと言います。ロシアに拿捕される危険があるので操業区域が限られており、ロシアからの輸入も途絶えたのであります。

ロシアでサハリン2の共同開発をしていた日本の商社が、新会社へ移行した後も出資に応じて事業継続をすることになったと伝えられました。ウクライナ侵攻の非難をして、経済制裁に加わった日本に対し、北方4島周辺での示威行為などと同じく、サハリン2の権益をはく奪するぞと脅しをかけてきたのに屈服したのであります。簡単に言えば、今までの投資金がチャラになり、天然ガスの供給が閉ざされるのが嫌なら、ロシア主導の事業に追加で金を出して、言うとおりにしろということであります。国家間では、往々にしてこうした現実的で矛盾した決断を迫られるのですね。

ワタシは、営々として中国の産になる篆刻用の印材を求め、蒐集しております。元は中国の山・川・田甫などに埋まっていた石で、数百年前から人の手に渡るようになりました。高潔の聖人ならば、ロシアのガスや原油も、ロシアを後押しする中国の石などは死んでも使わない、ということになるかもしれません。

ワタシは、蟹は我慢して食べないようにしております。そもそも値段が高騰して買えない(笑)。
毛奇齢先生に倣い、これまでの通り中国の石は「一翫物」としてヤフオクでお安く入手し愛玩し、有効に活用させていただきます。本日、次に彫るのは、当然ながら「以暴易暴 」であります。


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