菊池寛さんの小説に「形」という珠玉の短編小説がありました。ワタシが高校生の頃に読んだ記憶があります。
「津の国の侍大将中村新兵衛は大層な槍の使い手で、敵方からしたら槍中村と言えばみんな震え上がったのです。彼のトレードマークは猩々緋の着物に唐冠纓金の兜 で、遠くから見てもはっきりとわかって、守る方は浮足立ったのです。ところが、主君に近い元服を迎えたばかりの若侍に頼まれ、自分の装束・鎧を貸し与えたのです。そして戦場に赴くと、若侍は赫々たる戦いぶりだったのに、二番槍を務めた中村新兵衛に対しては猛々しく襲い掛かりついには命を落とす。」といった話であります。
虚仮威し( こけおどし)という言葉があります。 愚か者(虚仮)脅かして自分が立派に見えるようにふるまう、あるいは、見せかけは立派だが中身がない時に使います。中国の書道に関連する道具「筆、墨、硯、紙 」を文房4宝と呼びます。これらの道具、とりわけ筆と硯にはこけおどし的なものが多数含まれます。よくこんなものを作って売るなぁ、と言う代物です。
以前3本セットの未使用狼毛筆を落札したことがあります。筆の専門家がわざわざ中国に行って、大変硬くて貴重な木を使って特注した、との触れ込みでありました。製筆店に見せたところ、ほとんどがナイロン製の毛に、正体不明の動物の毛を混ぜたものだというお答えで、即刻処分しました。書道の先生にも「唐筆は信用できませんよ。粗雑な穂・毛質を誤魔化すために「軸(筆管)」を、七宝や斑竹などで見かけを立派に見せる粗悪品が多いのよ。」と戒められました。ワタシの書庫に放置してある「端渓硯」などは半分以上が出自不明、あるいは練って作った人造石であります。どれも立派な塗のある木箱に収められ「端渓名硯」などと書かれている偽物であります。
ことほど左様に、中国の書道具は、ほとんどが粗悪な品、実際手にしてみると一目瞭然、コケオドシの品物が多いのです。彼らの考えは「偽物を作ってどこが悪い?騙される方が悪いんや」であります。その分、緻密に贋作を作ることは苦手というより手抜きが多いのです。聞けば、以前は中国の観光地の土産物屋さんが一番悪質のようです。今は、それにネット販売がとって代わっています。
さて、前置きはこの位にして、先日入手した斉白石先生印章であります。偽物ならば、道具立てを豪華にして本物と信じ込ませ、金持ちや素人に高く売りつけるというのが常道であろうと思います。冒頭の小説で、外観(鎧兜)で相手方が怯み敵を蹴散らしたのは、中身(武将)の強さだけでなくイメージで優位に立ったのでしょう。立派な共箱、布袋、鑑定の落款などが揃っていて、本物と信じ込ませる、というのはそうした悪徳商法の有力な手段とも言えます。
ただ、もしそれだけ凝った細工をするとしたら、斉白石先生の印は真正の物なら、それに見合った大変な価値がある証拠で、数万円しか儲からないのは商売として成り立ちません。箱は熟練の指物師による桐の古材を使い竹釘(木釘?)でかっちりと仕立てられていて、数百円の安物には見えません。絹織物の渋い布袋も然りであります。
一方で、ワタシが贋作の一味ならば、見た目が派手で美しい石材を使うだろうと思います。新田黄といわれる田黄石に見えるような石を磨き上げ、立派な紐と側款を施し、それらしく見せるだろうと思います。それがたとえ1.2万円の石だったとしても、それで本物と信じ込ませ、数十万円で売れれば安いものですよ。むしろ見た目で高そう、凄そうな印材ではないからこそ贋作ではなく本物であろうと思えるのです。
今回の印のように、表面にほとんど手を入れていない皮付きの自然石を印材に使えば「パッとせず」値打ちものに見えませんね。ワタシの見立てでは寿山の近郊で採取された水坑(川の中から見つかった)の自然石で「牛角凍」か、高山凍という種類の石ではないかと思います。いずれにしても田黄等の特級品に比べれば値段は劣るものの、産が少なく貴重品であることには変わり有りません。
ニセモノか本物か、その1点にかかる自己流鑑定は、最後のチェックポイントが「側款」であります。これはまた、「拓」を採取し、文字をある程度判読してからにいたしましょう。