昨日に続いて「自治会」を語ろうと思います。
最も悩ましいこと、それが人事・人間関係でありました。
まだ、会長になって5か月であります。当町内はかなり前から2年交代制で、30人ほどの理事は二年ごとに全員入替いたします。以前横浜のマンションに住んでいた時の管理組合の理事は、同じ2年で順番に当番が回ってきましたが、半分のみ改選し、残りはもう1年任期があります。経験のある理事会役員が一遍にいなくなることで運営が滞ることを避けた賢明なやり方です。管理組合の理事長も1年交代でしたから負担が少なくて済みますし、理事会の私物化、会計の不正も防げるのです。
2年交代で総とっかえした場合、従前のやり方が分からなくなる、引継ぎがスムースに行われないことを懸念して、その前の執行部(会長・副会長など)が「相談役」として残る、という仕組みになっておりました。一見よくできたシステムですが、これが曲者なのです。新しい自治会長になったとき、いろいろ疑問に思ったりそれまでの自治会の問題点があっても、口にしにくいのです。
前の会長の前で今までのやり方は批判できず、相談役は今までのやり方を押し付けようとします。するとなにも改善が出来ません。本来相談役は1年任期であったのが中には5年以上という方もいらっしゃいます。
更に「自治会」理事とは違う系統の「委員」の存在です。民生委員、美化委員・育成会委員・ごみ減量委員など、2年任期はおろか終生委員のような人が多く参加しているのです。そうした人たちは、自分の役割を長年守ってきているので「実績と過去の記憶とプライド」を持っています。すると、自分たちの守備範囲は聖域化して誰にも触らせず、そのくせ、自分たちに直接かかわらい事案にも「住民」の立場で好き勝手に口出しするのです。(そうじゃない人も勿論いますが)
そうした方たちが、理事会に何年も同じ顔ぶれで出席しては、混ぜっ返す、新しい意見を批判するなど、運営上の妨げになっているのに気づきました。今までやってきたいいことを踏襲するのは当然ですが、もはや時代遅れの行事・悪習・特定の人たちだけの利権など改善すべき点も多いのです。新たにかかわる理事や役員が、今までと違う目で、外から得た知識や経験を生かす試みが組織に取って大変有用だと思うのです。組織の活性化ですね。
これに加えて、市を数十か所の地区に分けて、その地区の各町の自治会を束ねる「自治会連絡協議会」なるものが存在します。自治連などとも呼びます。こちらは、執行部(役員)と各自治会長で構成されるのですが、こちらはほとんどメンバーが長年変わりません。同じ会長が十年以上その席に座り、周りは全員自分の子分であります。その地区の会長は、あて職含め、さまざまな公職・役職を兼務しています。自治会長ですら音を上げるような煩雑な仕事なのに、その何倍も大変だろうと思います。
その仕事は多岐にわたり、市長はじめ、市の幹部や議員さんとも懇意になり大変な激務であろうと想像します。基本的には無報酬で誰しもやりたがらない自治連の会長職を長年同じ人が引き受けると言うのは、その、犠牲的な献身、功績、努力、知見すべてが高く評価されるべきでありましょう。
しかし。ワタシは思うのです。トップが一人座り続けることの組織に対するデメリットであります。どこかの政党のように、絶対的な総裁が居て、優秀な人材、上部に対して臆せず建設的な意見具申をする若手、批判的な集団、それらを遠ざけ押し黙らせることの弊害であります。更に、大きなお金や権限、特別な関係者などとの間で引き起こす、公金(準公金)の私物化、不透明な取引などが歴史的に繰り返されているのです。
比べるには規模は小さくても、交代制がない自治会長にもあてはまります。当町のように2年任期ならば、それは防げますが、十数年以上もの間、同じ人物が自治会長を続けているところが何か所もあるのです。聞いた話では、そうした自治会では会計報告すら行われないところもあるそうです。
さて、また続きは次回に譲りましょう。
日本人という農耕島民は何でもそのまま引き継ぐ事に美徳を持つ。
太平洋戦争と同じで一度男がやると決めたら、それが愚策であってもやる。
引き継ぐ度に少しずつ仕事を減らしていけば、後番はスッキリするのだが、自己否定が苦手な農耕島民はそれが出来ない。
記事にもしたんですが、私の田舎の隣組の世話の9割は無駄。でもその無駄をやりたがる好き者もいる。
小児性愛者やサイコパスと同じで、”自治会”という名の高齢病なんですよ。
コロナ渦でも風俗通いする(経路不明の)エロ親父が減らない様に・・・
それを偉いと言えばそれまでですが。
愚にもつかない拙文ですが感想頂き、感謝します。
自治会報、まだ続きます(笑)。