人間の脳は不思議な働きをするそうですな。
例えば目から入ってくる情報は、脳がすべてをそのまま投影して理解するわけではないそうです。一瞬で刻々と変わる視界からの情報は、背景から、近接しているものまでのすべてをいちいち解析せず、過去からの記憶を混ぜて適当に認識しているのだそうな。つまり、自分が見えていると思っている姿かたちは、実は実際のままではないのだということです。結果として、普段の生活で目にする光景のあらかたは、経験として記憶されずに自動消去していくのでしょう。覚えているのは恐らく印象的であった一コマ二コマのみを写真のように記録しているのではないでしょうか。
なんだか、わかるようなわからないような話ではありますが。
例えば自分の写真。写真は嘘をつかないということがよく言われます。実際、わが身が写った写真を見て、「うーわ、この爺(婆さん)が自分なの?」と自己否定し、あるいは自己嫌悪に陥ることは年配の方に共通の経験でしょう。鏡に映る自分の顔は、脳が勝手に都合よく加工・デフォルメしてくれます。若かりし頃の痩せて綺麗だったころの顔をベースにして、都合の悪い部分を過去(または理想像)のイメージで上書きするわけです。ところが、写真でみる自分は、リアルに見える鏡の顔ではなく、客観的な一人の人物の顔に他ならないからなのですね。
ワタシは、一日ほとんど鏡を見ません。髭剃りは週一回、髪も起きた時のままで寝ぐせも余り気になりませんから、櫛やブラシも使いませんな。歯磨きの時だけは口の中を確認しますが。
人間歳をとると、外見に頓着しなくなります。若いころ、年寄りを見るにつけ、歩き方・姿勢・髪をはじめ身なり全般が、老人のテイストになるのを訝しく思いました。自分は、あーなるのはは嫌だ、小ざっぱりとして若々しさのある爺さんになるんだとも。
ところが、実際に老境に達するようになると、足元がおぼつかなくなり、足を開いてそろそろ歩きを始めます。髪は細く薄く白髪となりますが、鼻毛や眉毛だけは無駄に伸び始めます。肌ツヤは悪くなり、いたるところがたるみますね。なにより、外見に気を使わず鏡をみなくなる分、身なりがいつも同じで、だらしなくても気づかなくなるのです。
当然加齢による劣化には抗えません。しかし、もう一つ重要なポイントは外見を気にしなくなる、ということですね。人と会う機会が減り、人からどう思われてもいいという心境になります。多くのお年寄りは美容や衣服に使う経済的余裕もなくなります。
ワタシの私見でありますが、色恋に興味も関係も無くなるのが、その根本にあるように思われます。若い時分は、普通は異性によく見られたい、好きな人が出来ちゃった、誰かの気をひきたいと思うと、自然に自分の外見を良くしようと努力します。ところが、歳をとって、下の方がお呼びで無くなると、もうどーでもいいやということになりますな。結婚するとご家庭の主婦が、とたんに太りだしたりするのにちょっと似ています。
そういうことで、もし、歳をとっても若々しくて素敵な老人でありたかったら、恋をするのが近道です。長年連れ添った配偶者がもしその対象であれば理想です。
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