植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

ワタシの ヨコハマ

2023年02月23日 | 雑感
昨日は久しぶりに横浜へ行ってきました。かつてワタシが長く住み、職場もみなとみらいにある本社勤務など、ながらく過ごして最も親しんだ都会であります。大学もその在学中に住んでいた学生寮も「YOKOHAMA」それで、九州から出てきた田舎もんのワタシは、この町で働きたいと思ったのでありました。

あれからもう50年が経とうとしております。金沢文庫をスタートに、上永谷に移り、磯子には15年ほど済みました。仕事もその間10年ほどは川崎や東京方面で勤務もしましたが、それ以外のほとんどの期間は横浜市内で過ごしました。横浜駅周辺から石川町に至る最も横浜らしいエリアは、ワタシの庭みたいなものです(笑)。

しかしながら、定年退職後平塚に引っ込み、ほとんど市外へ出ることがなくなっていました。電車に乗って出かけるのは平均2か月に一度くらいであります。昨日は退職前に勤めていた子会社の仲間たちと久しぶりに飲む、約束が出来たのです。横浜に出向けば高島屋などのデパ地下で総菜やお菓子を買うのが何よりの楽しみです。会社を辞める数年前から必ず横浜駅周辺で晩御飯のお惣菜を買って帰るという贅沢をした時期があり、家内にはずいぶん有難がられたのです。

あまりに久しぶり、横浜から足が遠のいていたせいもあり「勘が狂って」おりました。横浜中華街で5時半集合の約束でしたが、早く家を出すぎて、高島屋で買い物をしてもなお1時間も余してしまいました。その横浜は、給料日前で寒い日にもかかわらず、想像以上に人出が多く驚きました。コロナ禍であちこちの繁華街の人出が錆びれ、円安で不況感が強まっています。しかし横浜は別格、お金持ちらしき年配の方々・ハイソな奥様・最新のファッションに身を包んだ若者のカップルなど凄い人出でした。中華街もやはり思った以上に多くの観光客で溢れ活況を呈しておりました。

お金はある所にはある、だから闇バイトの強盗事件が連続し、何度も何度も特殊詐欺の事件が起きるのも、どこかにお金が滞留しているからであります。ウチなどは屋敷が広いだけで、現金も預金もわずかしかなく、あるのは大量の印材くらいのものです。

それでも、よくよく横浜駅周辺のテナントやお店を観察すると、実は以前あった店が無くなり、他のテナントが入居したりシャッターが下りたまま、になっていました。横浜西口方面は超人気の人が集まるエリアで、出店希望は引きも切らないはずでした。ちょっと見ないうちに多くのショップが入れ替わっています。やはり、長くなった経済の低迷・少子高齢化と人口減・ウクライナ戦争・コロナ・円安と物価高などが、この大都市横浜の中心部のそこここに見え隠れしている風に感じました。

仲間7人が集まったお店は、十数年来の付き合いの「ペクさん」のお店ビストロ「はすドック」、韓国料理がメインのこじんまりした店です。仲間はみんな元気そうでしたが、それでも認知症の奥様がいたり、癌が見つかった、子供が結婚しないなどそれぞれに健康不安や悩みを抱えながら暮らしているようでありました。

帰りの駅は根岸線(京浜東北線)石川町、同じ大分県出身で長らく歌手をしている「山崎ハコ」さん、彼女も横浜にずっと住んでいて「ヨコハマ」の歌を唄っています。
「雨に濡れたダルマ船、いつまでたっても動かない。誰かが河に石投げた、寂しい目をしてポチャリ・・・・・雨降れ雨降れ わたしの横浜」

50年前の、18歳のワタシは幾度もこの石川町で乗り降りしたのを思い出しました。当時半年ほどお付き合いした女性がこの駅から、十数分ほど坂を上ったところにあるフェリス女学院の寮に住んでいました。ただ手をつないで歩くだけ、口づけもかわすことも無く夢の中の事のように消えていった淡い恋でした。彼女は、数年後新幹線の中で偶然再会し、広島在住の医師の卵と結婚するのだと教えてくれました。連絡先のメモをくれましたが、すぐに捨ててしまいました。彼女の事も時折思い出します。

それもこれも「ワタシのヨコハマ」なのであります。

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