植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

顔をみればわかる

2021年07月15日 | 時事
 少し硬い出だしですが、日本人の精神と天皇制について触れておこうと思います。神代の時代からわが国の国民の精神的支柱であり、統治機関の中心にあったのが天皇制であり、太平洋戦争が終結するまで、天皇が日本の政治に大きく関わってきたのは周知であります。その時々の政権や支配者たちは争って天皇家の「朝廷」の意向を気にし、お墨付きを受けるのに腐心しました。征夷大将軍の称号を貰うことが実質の統治者となれたのです。

 明治になっても天皇主権のシステムは変わらず、内閣、とりわけ軍部がその天皇の意向を政治利用し、結果的になんども戦争に突き進んだのも事実であります。終戦後に、天皇の政治。戦争責任は不問となって新憲法が発布され、国民の象徴という位置づけになって現在に至ります。戦争裁判を仕切り、新憲法の草稿を作成したアメリカも、天皇が、長い歴史の中で日本人の生活や精神に深くかかわってきたことを理解して、特別な存在として戦後日本の礎を作ったのですね。

 もはや、昭和に天皇を「様」付けするような人は歳をとり鬼籍に入っています。今の若い人が天皇を敬うことが少なくなっているのも仕方がないことでしょう。一方で、特異な精神文化や日本人の精神の源・規範として天皇家のお考えや振舞いを大事に思うことも至極当たり前に受け入れています。災害があればすぐさま被災地を訪れ励まし、世界の国賓をもてなすのも天皇家ならではであります。各国のロイヤルファミリーや政治家も天皇への謁見を希望する様です。

 ではその精神性は何か。天皇・皇后は「国民に寄り添う」がキーワードで、国民の立場や気持ちになって優しく慎ましい言動をされています。出しゃばらず余計なことを言わず体を動かす、悩みを顔に出さないで常に微笑む、そういうふうに心がけているように見受けられます。それが、ワタシ達日本人の称賛されるべき特性でもあろうと感じます。

 そこで、出てきた宮内庁長官の「天皇は五輪開催を懸念していると拝察する」発言であります。政府関係者は、個人的な発言として無視しています。政府寄りの御用学者は「宮内庁長官の政治的な発言は越権行為」で怪しからん、との意見が出されております。誰が個人的にそんな発言をしますか?一役人が、一銭にもならない自分の立場が危うくなるような重大なことを言うはずも無いのです。この方の会見の様子を見た時、その内容の重大さを認識し相当な覚悟で臨んでいることが、こわばり緊張した顔で見て取れました。その後、なぜか会見の動画はほとんどネットには出ていません。

 これは天皇陛下が「国民の気持ちを受け止め、世界に対して五輪の名誉総裁という責任を重く感じ、政治的な配慮をしつつ、西村長官にその気持ちを託した。」と考えるべきで、実際そうに違いありません。もし内閣が、個人的な発言と思っているなら、直ちに「不穏当な越権行為的発言をした」として更迭するでしょう。それが出来ないのは、菅さんが事前の「内奏 」を通じて天皇の意思を知っているからです。

 こうした政府の態度は、日本人の心の支えや精神性の柱になってる天皇の気持ちを蔑ろにしたと感じた人が多くいるように思います。傲岸不遜な自民党は、ついに天皇までも小ばかにしていると思えるのです。
 同時に、中国マネーに籠絡されたぼったくり男爵は、下へも置かぬおもてなしのようです。ご本人は日本人への悪印象を払拭しようと思ったか、わざわざ「広島」訪問しました。それで「チャイニーズピープル」が一番であるとおっしゃったそうです。日本人を言い間違えたのですが、往々にしてある、心に思っている本音がつい口に出た、という典型であります。

 バッハという会長の顔をよく見ると、うわべの気さくな印象とは裏腹に強欲さと権謀術数に満ちた表情が見え隠れします。米国によくある陰謀・スパイ・政治映画に出て来る、悪役の上院議員や黒幕である政府組織の上層部のキャスティングにうってつけです。知らないうちに金の亡者は顔に出るのですよ。

 天皇は、皇后陛下を伴わないで開会式セレモニーに出席し、各競技の観戦には出向かないという意向を示しているそうです。生真面目で清廉な表情を崩さない方ですが、これでその胸の内を体現しようとしているのです。

 大事にしなければならない人は誰なのか、守るべき心は何なのか、自明であります。

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