先日、書聖「王羲之」の書や蘭亭序の逸話などをちょこっと紹介しました。あらゆる書体をよくした王羲之、特にその行書は比類なく、今日の書法の原点となった世界最高といわれる名筆であります。
それで、原点回帰、蘭亭序のお手本(教書)を引っ張り出しました。蘭亭序の写本の中では「張金界奴本」というのがもっとも筆致が卓越しており、原本に近いと言われております。
3年近く前に、ワタシの師匠、藤原先生の指導のもと、張金界奴本を「全紙」(条幅の幅の倍の大きさ)に書き写す(臨書)をいたしました。28行324字を、一枚の紙に過不足なく書きます。細めの鼬(イタチ) 筆で縦横4,5センチほどの字を続けて書く、というお稽古です。2時間かけてがんばってせいぜい2枚というところ。
今回、とりあえず半紙に6文字ずつ大きく書いて練習しようと思ったのです。練習であり、久々に書くのですから、出来栄えはどうということもありません。それで、蘭亭序の歴史的・芸術的価値、来歴を思い浮かべつつ書くのですが、やはり、もやもや感が払拭できず、いまいち臨書に集中できません。ただでさえヘタなのに、雑念だらけのワタシなのです。いい字など書けるわけもありません。
何故、これが王羲之の代表作なのか。本当にこの書が、記録に残って伝承されているような経緯があったのか、と言う疑問が湧くのであります。ワタシは、かなりの天邪鬼で、偉い人の言う事・世の中で正しい、と言われるようなことを素直に信じないようにしております。先入観念や定説を盲信することが、文化・科学の妨げになったことは歴史は証明しているところです。宗教観、世界観、政治・お上の正当性、権威というものなどのうさん臭さ、を感じるからであります。
一昨日のブログで、蘭亭序が、王羲之が酔っ払って書いた序文の草稿であったこと、しらふで書き直ししても、草稿以上のものが書けず、1700年後の今日まで「率意」(人に見られることを意識しないあるがまま)の書として称賛されていることを書きました。
後世まで書聖と謳われる書道の達人が、自分がホストで開いた宴会・漢詩作会の記録書の序文を、未完成のまま断念するかぁ?単純な疑問です。下書きなしに気の赴くまま筆の走るままに書き記したという、そのありのままの字がいい、というのはなんとなく後付けの理屈に思えるのです。アナと雪の女王じゃあるまいし。
後に残る記録(公文書)として書いたのであれば、その草稿を清書し直すのが当然であります。現在残っているこの書の写しには、後で行間に挿入した「崇山」という文字もあれば、線を引き間違えた箇所、塗りつぶした字までも忠実に模写され刻字されています。草稿であることが明白なのです。素面であっても、心を無にし、率意の書をしたためることは容易ではなかろうかと想像するのです。
いわば、書き損じを、後世の人が理屈をつけて有難がるという風に見えなくも無いのです。例えば「之」という字が数十回出てくるのですが、すべて字体・書き方を変えているという風に解説されます。酔って興に乗って書いたのであれば、そこまで意識して変えて書いたとは思えません。
実際、みれば見るほどほれぼれするような筆致、字形であることはわかります。しかし、少なくとも、ど素人であるワタシが臨書していても、書の達人なら、他に書きようがあったのではと感じる文字もいくつかあるのです。
ここからはワタシの仮説であります。
「蘭亭序の正式な清書版は書かれた、しかし、関係者のだれかがこれを失敬したのではなかろうか。」ということが前提であります。草稿は従者や弟子の誰かに捨てるように命じたか、あるいは記念にとっておいたか。恐らく貴重品の紙なので後者だろうと思いますね。これを、入手した誰かが大事に保管していたのです。そして、正本はといえば、彼の没後、子孫に引き継がれたのち、盗難や売却で第三者に渡ったとみるべきでしょう。長い歳月の間に、焼失・破損して現存していないと想像できます。
公文書はあったが、無かったことにする。実は有ったが破棄するか改竄する、無かったので後で作る。あーこれはどこかできいたことがありますな。
もう一つの仮説は、蘭亭序そのものが、じつは王羲之さんの作ったミステリーの一つだということ。レオナルドダビンチが、いくつもの謎めいたメッセージをその作品の中に忍ばせていたというのが有力な学説になっています。 自書を後世に残すために編み出した技で、座興としてこういう書を書いたように見せて、実は計算しつくされた作品であったのかもしれません。
それから、300年後に皇帝になった太宗、これが恐らく蘭亭序や王羲之の、あるいは書道の未来を決定づけた張本人であろうと思います。太宗は、王さんの書に傾倒して、多くの真筆を蒐集したようであります。同時に、真書鑑定職務を唐代三大家の一人「褚遂良」に命じ、王さんの書芸を系統的に研究、その名を書聖たらしめたのです。
彼の偉大性を権威づけるために多くの故事・逸話を残させたのではなかろうかと推理いたします。蘭亭序の逸話は、草稿の出来があまりに素晴らしい「率意の書」として讃えるためにデッチあげられたのでは、と思えるのです。
赤穂浪士の討ち入りが、史実と異なり大幅に脚色されているのと似たり寄ったりです。
それにつけてもNHK、歴史がある伝統文化を守ると称して大相撲にしがみついております。大相撲などは、もはや伝統芸能でもなくただの興行です。二人の外国人横綱が、年中休業して給料をタダどりしています。歴史ミステリーといえば、邪馬台国や明智光秀ばかり。BBCが制作したノンフィクションや大昔のフィルムを回し再放送のドキュメンタリーを流しております。で、テレビ設置の届け出義務の法制化と受信料強化ばかりご執心であります。
たまには、こうした蘭亭序にまつわる謎とか、王羲之と書道などをじっくり取り上げるようなしぶい番組でも作ったらどうなんでしょう。品のある歴史ロマン・ミステリーに思えますがなぁ。あわせて書の魅力をアピールすれば、書道に興味を持つ人が増えるのではないでしょうか。
質が高く、文化・芸術の香りがする番組こそ、視聴率が取れなくても存在価値を評価され、よろこんで視聴料を払いたくなるのではないでしょうかね。
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