とまぁ、インチキ入門書の謳い文句みたいな出だしであります。さる方(名前もお顔も存じ上げない方)からのお尋ねの答えであります。
自分自身、この歳になるまで書道や篆刻は、ほぼ独学我流でありました。60歳過ぎてからようやく念願の書道教室に週一で通うようになりましたが、そのわが師「藤原先生」は、学ぶための法帖のみを指定し、あとは好きなように書かせるという主義で、2時間のお稽古の間に、ほとんど口出しすることも無くワタシの字を見て数秒指導すれば御の字、という有様です。
資格はおろか級や段位にも全く興味も無く、認定制度も受験もしないので、いまだにただの書道好きなオジサンであります。
振り返ると、小学校低学年で1年ほど教室に通った覚えがありますが、以後60歳になるまでちゃんとお習字に取り組んだことはございません。自慢ではないけれど、小学校時代の通信簿には幾度か「字が粗雑である」と書かれ、小6の時には授業中、ワタシの書き取っているノートを取り上げて、クラスのみんなに「T君(ワタシ)のはこんなに汚い字で読めないノート」と嘲られたほどでした。
そんな軽いトラウマで中学校に上がったのですが、板書の字がうまい、と褒められることがありました。チョークで黒板に書くのはなかなか難しいのです。しかしやはり高校・大学卒業までも、さして字がうまくなりたいとも思わず、自分の字がどう見られるかにも無頓着でありました。勿論お稽古していないので上手な訳もありませんね。
そして、某金融機関に就職した「新入行員」に「ペン字通信講座」というのを課せられたのでした。ワタシはそれを無視していると、支店長に呼びつけられ、怒られました。なんで通信講座を提出しない?と聞くので、「自分の字の方が上手だから」と答えたら、支店長が顔を真っ赤にして激怒しましたね(笑)
ここまでが、さわりで、これからが上達する本番であります。
何故かその頃から「決起大会」の式次第やらポスターの墨書きを仰せつかることが増えたのです。周りの人に期待され任せられる、それが人間の向上・上達の秘訣1であります。頼まれた以上はうまく書かなければ、と努力工夫するようになります。
そして、心がけたのが上手な人・上手だと思う字に触れるようにし、それを真似て書く、でありました。
会社に入って5.6年経った頃には、ワタシの袖机には必ず筆ペンが2種類以上備えておりました。稟議書など書類はその頃まだ手書きであったのです。補足書を鉛筆で書いてコピーする、稟議書自体は訂正不可で、役員まで回付・決裁されることから、汚い字は書けないのです。先輩で、たいそう美しい稟議書を書いていた人が居たので真似しましたね。これが上達法の秘訣2と3。鉛筆でも何でもとにかく書くこと、そして上手な人の摸書をすること、でありました。数分でも手すきができると筆ペンでそこらのメモに書く、というのもやりました。
もう少し年数が経過して転勤して行った支店で、ものすごく下手な字を書く部下がいて、ワタシの最初の業務命令が、コイツの字をまともにしてやってくれ、でありました。30歳くらいの人間に今更ペン習字をやらせても仕方ないのです。その時に指導したのが、横書きならば下を揃えること、漢字を大きく平仮名を小さめに、という2点でありました。縦書きならば、中心線を守ってぐにゃぐにゃにならないようにするだけでだいぶマシになるのです。ペン字鉛筆書きが苦手なら、薄い定規を置いて下にはみ出ないように書くときれいに揃いますよね。これが上達する秘訣4であります
ここまでが、社会人としてまともな字を書く秘訣でありました。では、書道を志す人がどんな練習をすればいいのか、その答えであります。
ま、結論から言えば王道は無い、ひたすら書く、多書が上達の道としか申せません。書道については、それまで独学ながらも、そこそこの字は書けるというほぼ無学無習に近い自分が60歳から「一から学ぼう」というわけです。九成宮醴泉銘、楷書から始めるのです。そこで考えたのが、若い人が週一回教室で学んで来ているなら、ワタシはその7倍、つまり毎日2時間お稽古すれば どこかで追いつけるのではないか、でありました。そして教室の無い日も、自分の仕事場で午前中には一度稽古し、時間があれば午後もう一度筆を持つという事を心掛けました。
ヤフオクで山ほどの半紙を落札し、宅配便のお兄さんに訝られたと聞きました。一日30枚書けば年に11千枚消費する計算になりますね。用の無い日は稽古漬けの日々であったのです。また、ご飯を食べてお風呂に入った後も、気が向けば、自宅の机で筆ペンを使って手紙文や仮名書きもやりました。
次に考えたのが、石拓から印刷した「法帖」だけでなく、臨書本の摸書でありました。「聖教序」「書譜」等の法書が文字が切れていたり、原典の石碑文自体が摩耗毀損していて良さが分かりにくい、という感想を持ちました。そこで、日本の大家と言われる書道家さんによる臨書本を臨書しようと思い立ったのであります。日下部鳴鶴先生や中林梧竹先生の手による臨書本を片端から臨書したのです。 鳴鶴先生臨十七帖、呉竹臨書精選5巻などです。また、臨書の達人と言われた石田栖湖さんの「臨古選」も書きましたね。こうした日本を代表する書人が、中国の王羲之さんはじめ原点となる先人の書の解釈や書法を織り込んだ臨書ならば更に勉強になるだろうと思いました。
そんなことを続けるうちに、ひょんなことから「篆刻」という脇道に入り込むことになりました。書道に比べるとその人口は1/10以下となっているマイナーなジャンルであります。こちらも、師匠が居るで無し、今更大東文化大学あたりに入学して学ぶというわけにも参りませんね。これもやはりコツコツ毎日彫る、先達の美しい見事な印を「摸刻」するという日々であります。
そんなわけで、ワタシの書道は、字が粗雑であるとけなされた屈辱感をばねに、上手く書こうと意識を変え、そのうちまぐれで褒められることをきっかけに、向上心研究心が芽生え、書に打ち込むという半生でありました。経験から言えば、年季が入っていればいいと言うものではなく、短期間でも集中して没頭して只管書き込む、方が上達する可能性が高いです。
そしてもう一つ、良い字を書くのには金を惜しまないであります。半紙を大量に使えばお金がかかります。ましてや文房4宝と言われる「筆・紙・墨・硯」をないがしろにしてはなりません。手入れの行き届いた高級な羊毛筆や、手漉きの上質紙、手でゆっくり摺り下ろした古墨などを試し相性を確かめ、自分の手にあったものを見つければ、一段二段上の書が書けるようになります。自分への投資だと思って出来るだけここに精力をかけお金もかける、のが上達の秘訣でもあります。弘法大師さんは弟子に命じて、さんざん気に入った筆を探させて選んだそうであります。
蛇足ながら、時間も環境も経済面も備わってませんよ、と言う方は多かろうと思います。いいのです、今できるだけの事をすれば。
私の事とは目覚めない今の私ですが
在職中はとうとう逃げ切りまして報告書も言われるまま書き直し提出を催促されるまで書く事を拒否していた訳でして、今になり上手くには程遠いですが普通に書けるよう練習を始めてみようと思っております
僕の心を見透かされたようで・・頑張りましょう。
上手く無くとも丁寧に書く事を心がければいつかは・・きっと・・。
頂いていた事に気付かず、11ヶ月も放置してしまいました。
お詫び申し上げます。