韓国ドラマを見ていると、スーパーに出て来る日本語で意味を知ることになりますが、ちょっと違和感を感じるのが、名前に役職をつける習慣であります。必ずといっていいほどチェ会長とか、ホン部長など名前に役職をつけているようです。日本人だと、会社の中でもさん付けで呼び合ったりして、わりあいフラットな会話が多いのですが、韓国社会というのは階級・上位関係・長幼の序が重んじられるがゆえに、学歴や肩書が非常に重要視されるようです。
現役の時はまぁ人並みに出世し、ワタシを副部長や部長などと呼ぶ人もいましたが、定年を過ぎてきれいに肩書は失せてしまいました。形式的には家内と一緒に作った会社の「専務」となっておりますが、家内しかその事実は知りません。名刺交換した銀行の担当者が敬称をつけるくらいです。一個の人間に戻ったら肩書も社会的地位もなんも関係なし、気楽なものでありました。
仕事を離れて、毎朝会社に行っていた時のストレスが雲散霧消いたしました。この世の中で、誰も自分に命令・指示するものが居ない、ワタシが誰かに気を使ったり毎日やらなければならないことが何一つ無い、それがなんとも晴れ晴れとした気分にさせてくれました。
園芸から書道を5年間みっちり続け、篆刻に打ち込んではおりますが、何の資格も段位も(興味も)無いので、当然ながら履歴書に書けるような特記事項はありません。そもそも、普段家内くらいしか人と会わずコロナのせいですっかり出不精にもなりましたから、そこらをうろうろするお爺さんであり、無役の年金生活者となんら変わりない気楽な日常であったのです。
ところが、ひょんなことから自治会長を引き受けることになって、事あるごとに「会長」と呼ばれるようになりました。これがそう呼ばれるたびに「違和感」を感じるのであります。人の上に立つような褒められた人間でもなく、人様のお世話をするだけの時間的ゆとりも無いのに、がらにもない役を務めるようになってしまいました。
偉くなりたい、人から目上に扱われたいなどと思ったこともありません。役職や肩書など邪魔なだけなのですが、実際は会長としてなすべき事項が多くて体よく小間使いになっているように思えます。地域に役立つことをいたしたい、と思っていたのですが、こうこき使われたら現役の時と変わりないじゃないか。自治会長を束ねる親分、自治連会長は公職を20くらい引き受けて10年以上経つそうです。こういう人は奇特な方でもありますが、「会長」と呼ばれることに喜びを感じられるタイプなんだろうと思いますな。
「会長」と呼ばれるたびにびくっといたします。あー嫌だ、ちっとも偉くないのに、責任が重くあちこちからお呼びがかかり引っ張りまわされている気分であります。任期満了まで1年9か月の道のりは厳しいのでありますが、これも功徳、これも修行、どこかの総理大臣みたいに投げ出さずになんとか頑張って全う致したいと思います。
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