自分の家からご近所さんやお隣さんを指すとき、お向かいさん・お隣さんと呼べば当り障りが無くていいのです。しかし自分の家からみて、はす向かいや一つ向こうの家、並びの何軒目などと説明するのは煩わしいのも事実。名前と場所が一致するのが理想ながら、ワタシ自体が土地の者でないので、たとえ同じ班のご近所さん10数軒ですら、家内に説明をしてもらわないとピンとこない家が多いのです。
裏のおばさんは、うちから見て北側、玄関が南向き故に「ウラ」と呼ぶのは致し方ないところで、別に蔑視しているわけでも何でもないのです。おばさんは、昨年で92歳とお聞きしました。当家の先代の従兄弟だか、はとこさんの奥様で、小さな借家住まいであります。ご主人は背中に入れ墨をしょったヤクザ者に近い人だと聞かされましたが、30数年ほど前に他界されております。娘さん二人も嫁いで、ずっとお一人で暮らしています。きっぷのいい「おあねえさんタイプ」で、若い頃から働き者・しっかり者で通っていました。僅かな収入をコツコツ貯め、軍人恩給などでまとまった老後の資金までちゃんと準備できているので大したものなのです。
そんなおばさんは、年下の彼氏を作って「魚」を差し入れて貰ったり、怪しげな高周波のマッサージ機に入れこんだり、ご近所のアパートの金髪のお兄さんに小金を貸してみたり、貴金属の買い取り業者を家に入れたりなど、危ない橋を渡っているような様子でしたが、この数十年、表立って被害が出たとかひどい目に遭ったとは聞いておりません。
ワタシの家内やお向かいの親しくお付き合いをしているM家の奥方が、ずっと面倒を見るようになっています。なにかあれば駆けつけ、お惣菜を届け車でどこかに送ったりしております。おばちゃんの娘は遠方に居て、もはやほぼ絶縁状態、ほったらかしでご近所任せという具合なのです。
さて昨年、おばちゃんが入院するということになりました。肝臓に腫瘍が見つかり、手術するかどうかでとりあえず入院するとなって、ようやく娘さんたちがやってくるようになりました。しかし、話を聞けばどうやらおばちゃんには早くあの世に行って欲しい、おばちゃんの貯金だけが目当てという態度なのでした。
入院を前にして、ワタシの家内の手を握り「おめぇには長い事世話になったな」と栃木弁丸出しで別れの挨拶をしたらしく、さっぱりした性格の家内も涙をこぼしそうになったと言います。ところが、入院した翌日には戻って来て、「歳が歳で、手術も治療も出来ないんだってよ。やることないからけぇってきた。」だそうです(笑)
さしものおばちゃんも、数年前から「認知症」の症状が出始めていました。留守の間に人が立ち入った、何かなくなった、汚されたなどと騒ぎ数日おきに警察を呼ぶ騒ぎを起こし始めました。また、知り合いのお婆さんが「盗った」とわざわざその家に出向いて、箒だかハタキだかを持って追い回したそうです。以前何かあった時に備えて床下に2百万円埋めてあると近所の親しい人に言いふらしたそうですが、それも無くなったとか。うーむ、もし本当に床下に埋めたら取られても仕方ないか・・・
そうして、今度の水曜日に介護施設に入所することになりました。もはや火の始末や自分の身の回りの事も危なっかしいことになってきました。お金があるうちに最後は安心して日々を過ごせるだろうと思います。今度は、臨終となるまで入所する「No-Return」、借家の中も全部片づけ処分する様です。まもなく裏のおばちゃんとは二度と顔を合わせることがなくなるのです。
でも、これは明日の自分たちの姿とたいして変わらないのだ、と感じています。どんどん歳をとり、大きな病気に冒される、また年相応にボケてくるなどは他人事ではありません。
「子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの 」と申します。
裏のおばさんがワタシ達に「いいか、おめぇたちもいずれこうなるんだかんな」と身をもって示してくれているのです。
先日は、そのおばちゃんが栃木の実家から送って貰ったという「柚みそ」をくれました。

冷蔵庫の片付けが始まったのです。着替えなど、身の回りのものもきちんとまとめられて支度をしていたそうです。おばちゃんが、家内に世話になった感謝の気持ちでくれたお餞別かもしれません。家内の大好物で大層美味しくできた逸品でありました。柚の香りと田舎味噌の塩加減、中に蜂蜜やトウガラシなどが練り込まれているようで、今までに食べた中で一番おいしい、というのが家内の評でした。昨夜はこんにゃくと自家製大根を煮たものにこれをつけていただきました。

明後日、最後のお別れをすることになります。
しかし、わからんですなぁ。また2.3日したら、施設でトラブルを起こして戻ってくるかも。家の片づけは1,2週間は様子を見てからにしたら、と助言しましょう。
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