植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

書の道はヘビー

2020年08月16日 | 書道
今月は書道教室が夏休み中ですが、ワタシには休みなどありません。「毎日書く」が日課であります。
 猛暑の中で、日中草取りやらガーデニングをしていると一時間もすれば汗まみれ、喉がカラカラになります。これだけテレビや警報で「熱中症に厳重警戒」と言われているのに、もし倒れたり具合が悪くなったりしたら「おバカ」と言われるのが落ちです。また、高熱でも出そうものなら「すわ、コロナか!」と大きな騒動になるのは目に見えています。なによりも体調管理が重要なのであります。暑いさなかは、嫌でも冷房が効いた部屋で、冷たいサイダーを飲み、ヘタなブログを書き、ツムツムやって、メダカの赤ちゃんの世話をし、書道に励む、しかありません。

 現在、条幅(半切)の作品作り(2行14文字)に邁進中なのですが、どうにも思うようにはいきません。これまでは、手本を見て、それを真似て書けばよかったので沢山書いているうちにどうにか様になってくるのですが、自分で書体・漢詩などの文字を自由に考えて、半切の紙に書くという作業は、思った以上に難しいのです。
 何が正しい(理にかなった)字で、何がいい書なのかが全く手探りなのです。試行錯誤しておりますが、間違った書き方・字形のままでいくら稽古してもいい書はかけないのが道理でありますな。
 
 形や大きさが揃うとか字の太さを統一するのは、小中学生の習字や中国書道になります。それでは駄目なんです。藤原先生には「行儀がいい字はいけませんよ」と指導されております。ワタシが目指すのは、「幽玄な世界で、枯淡の味わいがある洗練された芸術性・精神性に根差す書」みたいなやつ(笑)であります。ちょっと意味が分かりませんか。

これが、額に入れて飾りたいほど「下手」な見本であります。


 右側が有名な書家先生の条幅作品を模倣(臨書)したもの、左がこの3か月間、四苦八苦して書いてる書(杜甫 漫成一首)です。同じワタシが書いた二行詩14文字なのに、どう見ても右の臨書の方が洗練されカッコいいのです。
 
 同じ文字を数百枚書いています。本人は、いいと思って書いても、出来たものはちっともピンときません。自分ながら不出来なのです。恐らく、どこかが足りない(いくつも)ので質の高い書と比べるとはるかに稚拙なのです。
 
 現段階で上達のカギは、一つには「条幅技法の研究」という30年前の古書を読み返し、そこに掲載された見本の作品集をよーく見直すということであります。更にいい墨と紙を使うこと、そして決め手は「筆」であります。今までは1万円程度の鼬筆や兼豪筆を使っていました。これを一本3~5万円する「細微光鋒」という羊毛筆に変えてみようと思います。しかも筆の穂先が長い長鋒筆にします。元来今取り組んでいる行草書に向いた筆は羊毛筆なのです。
 ヤフオクで集めた古い筆が山ほどあります。数十年前には大変高価な高級筆を非常に安く手に入れました。「墨吐龍」「幽玄斎」などの知る人ぞ知る超高級品までありますよ。ゴルフでは、スコアは金で買うものだといいます。今時クラブの性能は格段に飛躍しています。飛ばして、正確なショットをするには最先端のクラブを使うのが手っ取り早いのです。それと一緒で、いい書を書くには金をかけていい道具を使うのがコツでもあります。

 カスレや滲みを上手に使い、大小・太細をバランスよく織り交ぜた字を書かなければうまい書とはなりません。何をどう変えればカッコいい字になるのか、悩みは、そこそこに深いのです。

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生きてる人間に比べたらお化けも幽霊も怖くない

2020年08月15日 | コロナ
暦の上ではもう秋なのですね。今は残暑ということになりましょうか。
 
昔から、夏には怪談話が風物詩で、ゾクッとして肝を冷やすなどの納涼策だったというのですが、うーんそれはどうでしょうか。ワタシの家内が言うには
「お化けも幽霊も、生きている人間に比べたら少しも怖くない」のだそうです。
「何が怖いって、米びつにコメが無いのが一番怖い」とも言いますな。

 怖いと思っていたら「正体見たり枯れ尾花」などとも申します。猛烈な残暑ではありますが、すすきの季節までは、もう1,2か月の辛抱であります。

 辛抱と言えば、世の中の人たち、長いコロナ自粛に辛抱堪らず、旅行や観光、カラオケ、酒盛りとタガが緩んできたせいもあって、感染者数は右肩上がりです。自民党・政府の議員などは、重症者が少ないとか、病院のベッドが余裕があるからまだ大丈夫、とか抜かしていましたが、案の定ここにきて死者・重症者がじわじわと増えてきました。感染者がこれだけ増えればタイムラグがあって、同じ比率で重症者が増えるのは当たりまえです。しかも、すでに、入院できずに自宅待機(調整中)の感染者が大勢いるのです。

 当初から、コロナ対策で最も重要なPCR検査が、ほとんど実施されないため、医療関係者・マスコミなどが挙ってその拡充・民間委託・一般病院等での実施を叫んできました。これが出来ないことにもっともらしい様々な理屈をならべていたのが自民党の武見という政治家です。麻生さんなどとも縁戚関係がある上級国民のようですが、その風貌はワタシに言わせるといかにも怪しげ、胡散臭い人相をしております。

(私見でありますが、人間の顔の相は、後天的だと思います。不細工な顔をみて、親をうらめなどと言いますが、人間、二十歳を過ぎたらだんだん、自分の内面が顔に現れます。人相が悪いのは生まれつきでは無く、自分の過去の行い・考え方・生活すべてが投影されているで、自分の顔はしわの一本まで自分で責任をもつべきなのではないかと思います。)
  
 この御仁は、検査数の増加を、政府はやろうとしているのになかなか環境が整わないとか医療現場の負担が大きな負担とか言っていました。
そうしたら、最近急に「民間でPCR検査をビジネス化している、法外な料金をとっている。検査の信頼性が無い、ケシカラン」などと情報発信したそうであります。
 ははーん、正体を見つけましたよ。ついに馬脚を現しました。
 何故、PCR検査を保健所と国立感染症研究所の管理・一元化しようとしたか。それは、法外な料金が取れるおいしいビジネスを民間に取られたくなかったのでありますな。マスクでも消毒液でもすべて商品、ビジネスですよ。その証拠にマスク不足の時に価格が高騰しました。みんなコロナを商売にしたのです。料金が3,4万円と高すぎると言ったらしいですが、自費でやれば3万円以上というのはとっくに言われていたことであります。今まで独占的にやっていたな検査を、民間に持って行かれると「うまみ」がなくなるのです。

 国会も議員さんも夏休み、政府与党は、いつ解散すれば選挙の票を減らさずに済むか、ヘタって来た安倍さんの後継を誰にするかしか興味は無いようであります。野党に至っては、ミニミニ野党に成り下がっているのを更に「分党」するとか、合流後の党名をどうするとか、みみっちい話になっているようです。コップの中の嵐ならぬおちょこの中の嵐でしょうか。やんぬるかな。

 コロナ蔓延は、世界的歴史的な大災難・国難であります。過去に例が無いほど多くの人命と生活が脅かされているというのに、それでもなお私腹を肥やし、利権にしがみつこうとする人種がこの世の中を動かしているのです。

おっと、ゾクッと来ました。クーラーのせいか?
生きている人間のほうがワタシャ怖い、その通りでありますな。 
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だるま(めだか)さんが転んだ

2020年08月14日 | 動物
依然としてメダカフィーバー(激熱)中のワタシであります。

 ヤフオクでお取り寄せのブランドメダカ第一集団は、すでに2か月経過し、屋上に置いた個別の小プール5個の中で順調に育っています。すでに、大人用の餌を食べ、外観もいろいろ特徴が現れてきました。
 3週目に入った第二集団は、まだ目が離せない稚魚でありますが、昨日から成魚用の餌を少し与えています。いわば離乳食でしょうか。いつまでも、べビーメダカ用の粉末の餌だと成長が遅く、水質が悪化しやすいのです。普通の餌に寄ってきてがっつくようになれば、もう一安心です。

 メダカの稚魚は、ある時期から急に大きく育ちます。これはひとえに「生餌」によるものだとみています。つまり、早く大きく育ってくると、周りの小さな赤ちゃんメダカを捕食するのです。同じような時期に生まれたメダカでも個体差が大きくなるので、抜きんでて成長した稚魚は掬って他に移すようにします。そうしないと、赤ちゃんメダカがどんどん減るのです。

第三集団(MIXメダカ)は、ブランドメダカ勢ぞろい作戦の最終章で950円で落札しましたが、すでに1週間ちょっとでほぼすべてが孵化したようです。
黒いのから透き通っているもの、細長いのや寸足らずの子まで一杯いますが、ちょろちょろと泳ぎ回るので正確な数は数えられません。少なくとも45匹は居ますが。52個のうち、3,4個は孵化しなかったようです。また、誕生直後から全くその場を動かなかったオロチ系の仔は、一日で死んでしまいました。弱い個体はいずれ淘汰される、それが自然の掟であります。

 本当は、「最終章」のつもりだったのですが、孵化が順調で、どんなメダカに生長するかのワクワク感が楽しくて、番外編で、つい「ミックスメダカの有精卵50個+α」を1250円で落札してしまいました。前回の出品者と違っていて、品種とのダブりがほとんど無かったのです。中身は「ハワイアンマリンブルー・シャンパンゴールド、ひれ長カブキ・ダイヤモンドダスト」等々、あぁ胸が躍りますね。

 ところで、第一集団で何匹かが「ダルマ系」であったことをこのブログで書きました。ダルマ系は、そもそもが奇形で誕生したので、体が弱く繁殖も難しいのです。ずんぐりとした体型で、愛嬌があって人気も高いのですが、ひれが短いので泳ぎが苦手、稚魚の段階でも大きなメダカに食べられ、餌をとりにくいため数が増えません。

 うちには、既に数千匹のメダカに増えましたが、純然としたダルマ体型は10匹足らずです。
 
そして、生後2か月のダルマちゃん2匹が、お腹を上にする様になりました。泳いでもぐるぐると回転してしまいます。だるまさんが転んだ、そのまんまなのです。動かないので「死んだか?」と思うのですが、そうなってから1週間以上経っても、とりあえず生きています。

「転覆病」と呼ぶそうです。水面の餌しかとれずに、空気を吸い過ぎるとか、お腹にガスが溜まるとかいろいろ原因はありますが、早い話が、食いすぎと肥満で身動きしずらくなったのです。短いひれで、寸詰まりの胴に内臓を詰め込んで膨らんでいるので運動不足でもあります。図体が大きいわりに、ひれがちょっとなので、すぐにバランスを崩してひっくり返るのですね。

 これには、きちんと直す薬や療法は無いのです。出来ることと言えば、隔離して「絶食」させお腹をへこます、太り過ぎを改善するぐらいです。あとは自然に体力をつけるために塩浴させました。これで1週間ほど様子を見たいと思います。

 いずれにせよ、ダルマメダカだけは、虚弱で繁殖力が劣るので、メダカの飼育家は、ダルマだけを別扱いで育てるようです。メダカは、一般的に3年が寿命と言われます。石の上にも三年、達磨大師さんは9年壁に向かって座禅したそうです。ダルマメダカも、別プールで大事に管理して3年生かしてあげよう、と思いを強くしております。

 屋上は軽く40℃に達します。激暑であります。赤ちゃんから成魚まで、数千匹のメダカたちの命が、このワタシにかかっています。一日何回かは散水して、気化熱で温度を下げ、20個ほどのプールにはすこしずつ水道水を足します。それぞれ8割程度の遮光をして、メダカたちが煮魚にならぬよう汗だくで世話をいたします。
 
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お盆前に・・臨死体験かな?

2020年08月13日 | 雑感
昨夜は今月に入って初めて雨が降ったようです。と言ってもお湿り程度で、大地が潤うほどのこともなく、蒸し暑い朝です。暑くなる前にお墓掃除に行ってまいりました。今日はお盆の入り、日ごろ不信心、無信教のワタシにとっては、いささか居心地の悪い時期でもあります。早い話罰当たりなのであります。

 思えば父親は、年中「南無阿弥陀仏」を唱え、母方は神主の家系で神道でしたが、家の中には仏壇も神棚もなく、先祖のお墓も遠くの郡部にありました。幼いころから、神事・仏事にはほとんど縁がない家庭に育ったのです。

 先日親戚のお葬式があったことはこのブログで触れました。高野山を本山とする地元の名刹で行われました。コロナの影響で、参列者が増えないように葬儀社さんから要請されるようです。通夜の後の直会も、省略でした。お坊さん以外は全員マスク着用、椅子も離して配置されていました。初七日は、告別式当日に済ませますが、こちらもお酒は無く幕ノ内弁当でした。通夜告別式を通じて、アルコール類を口にしなかったのは初めてでした。

 もう、かれこれ20年ほど前から「家族葬」という言葉を聞くようになりました。盛大な葬儀は段々減ってきました。現役時代は、各職場に訃報のFAXが流れ、知り合いの方のご不幸には通夜に駆け付けるのが習わしでしたが、いつの頃からか、その件数がめっきり減り、しかも家族葬、香典辞退の文句が添えられることが増えました。
 会社関連・友人・地縁者に告知することが減って、地味に身内で葬儀を済ますというのが当たり前になってきたように思えます。

 平成の時代になって、冠婚葬祭すべてが徐々に簡素になりました。地味婚という言葉も浸透しました。これは、そういう世相というより、日本人全体が貧しくなったからだと思います。見栄を張ることが無意味になって来たのです。うわずみの上級国民やら商売上手な経営者などは、存じませんが、ワタシ達には分相応で、虚勢を張らないのが良いのだと気づかされたのかもしれませんね。

 そこで、告別式のお経であります。朝から猛暑、窓を開け放しているせいもあって、読経の声が子守唄のようでもあり心地よく、ふわふわうとうととした心持でありました。
 故人の戒名は「文鏡院」という院号がつけられていました。川端康成さん「文鏡院殿孤山康成大居士」と同じであります。こちらの和尚さんと、生前に深い親交があり、故人がジャーナリストであったことから、あえて付けていただいたのだそうです。
 
 それで、お経の中で「戒名」を読み上げ、次に「俗名」を読む段になりました。その時、あろうことか、ワタシの名前が読み上げられたのであります。暑さで頭が朦朧としているなかで、故人の名前としてワタシの名前が聞こえた刹那、一瞬、「幽体離脱」という言葉が頭をよぎりました。これは、自分自身の葬式で、ワタシの魂がまだ傍にあって、葬儀を眺めているのではないか、と。

 吃驚です。故人の従兄とは姓が同じで、名前が漢字一字、和尚さんが何故ワタシの名を呼んだかは謎であります。経文に書いた名前を間違えたか、供花にワタシの名前があったことに気をとられたか・・・
 いずれにせよ、参列者の多くはワタシの事を知っているので、気づかれたようでした。ワタシはというと、どちらかと言えば悪い気はしませんでした。臨死体験というべきでしょうか。生前葬をタダでやってもらった、あるいは一度死んだことになって生まれ変われたとしたら、これからの人生長生きできるかな、と思いました。

 焼き場から戻ってきて、同時に「初七日の供養」も済ませました。お経と焼香の後、お上人から短い説法を聞いて帰ろうとする矢先、またしても和尚さんの口からワタシの名前呼ばれました。

 これは、間違えたわけではなく、ちょっとワタシに用があったのです。書道の稽古を続けているワタシに、塔婆やお札の文字を書いてくれないかとの相談でした。和尚さんも御高齢でお忙しいので、小さな文字を沢山書くのもなかなかシンドイご様子でした。

 勿論、お引き受けいたしました。書道の練習になるのは当然ですし、罰当たりな人生を送ったワタシが、いくらかでも功徳を積むことが出来ればこれに優るものはありません。
「南無大師遍照金剛」 書道の祖、三筆の一人として名高い空海(弘法大師)への帰依を唱えるありがたい経文であります。

「世の為人の為に尽くさしめ給へと恐み恐みも白す」
亡き祖父がいつも口にしていた祝詞、自分もその意味を考える歳回りになりました。

 
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絶対植えてはならないか 不吉な植物 お盆に迎えに来ないで 

2020年08月12日 | 植物
よく屋敷内に植えてはいけないと言われる植物があります。どちらかというと俗説・迷信めいた植物が多いのです。

 例えば椿、藤、枇杷、ザクロ、紫陽花、百日紅、などでしょうか。これらは、ほとんどが縁起を気にして敬遠されることが多いのですが、植物たちにしてみたらいい迷惑ですね。例えば椿が首が落ちるように落花する、藤は首が締まる、百日紅は、下に落ちる・滑るなどの他愛もないような理屈です。ザクロは果実の割れ目が血のように赤く切り傷に見えるとか。
 
 とはいえ、枇杷などは高木となり繁茂して屋敷が陰になる、イチジクは根が伸び盛り上がって家の基礎を持ち上げるなどの害があるので植えないようにしたのだという説もあります。藤つるは、木にからまり相手の木を枯らしてしまいます。椿にはチャドクガが発生するので、植えないように戒めたのかもしれませんね

 縁起が悪い代表の植物は「ヒガンバナ(彼岸花)」洋名リコリスです。別名でも毒花・幽霊花・地獄花・死人花など印象の悪いものが多いのです。日本だけでも千種類以上の呼び名があって、日本人の生活や暮らしになじんだ植物でもあるのです。

 なぜこんな不吉として忌み嫌われるかという理由にはいくつかの説があります。花がいきなり咲いたあと、しばらくして葉が出るという通常から逆の生態が不気味だという説。茎や球根にリコリンという毒素があり、子供達が誤って触ったり口に入れるのを避けるため。小動物が掘り返さないよう土葬のお墓に植えた風習があったこと、等がありますね。お彼岸の頃に咲く、梵語のmanjusaka から「曼珠沙華」とも呼ばれること、遠めに真っ赤な花が群生するさまから、仏教的な印象が強いせいもあるでしょうか。

 ワタシは、土からすっくりと立って赤い花をつけるこの植物が好きで、近種のネリネ(ダイヤモンドリリー)とともにいくつも育てております。

これは昨年の9月の開花でありました。
今年はなんとひと月も早く8月1日に咲いていました。
下のは、花色から見て「園芸品種」、一般の原種ヒガンバナとはちょっと異なるのかもしれませんね。

 それで、この時期もう一つ不吉な花「高砂百合」。5年半前に、突然マイガーデンに姿を現しました。渦巻のように長細い葉がびっしり生えて、白い蕾をつけました。ワタシが植えたものではありませんが、雑草とは違うのでそのまま抜かずにおいていたのです。園芸の師匠である家内から「高砂百合」と教わりました。調べてみると典型的な帰化植物で、主に種が風に飛ばされて広がり、球根で増えて数年群生し、いつのまにか居なくなるという生態です。そんな目で見ると、道端から一般家庭の庭先のあちこちで生えています。毎年お盆のころに決まって咲くのです。

 その高砂百合が咲いた朝、ちょうど5年前、お盆の入りの日でした。義母が亡くなりました。義母はこの花が咲いたこの敷地内で数十年働いていました。家内に雑草と同じと聞いていたので、開花を待ってその日に抜いたのを思い出しました。
 そして、それから5年経ち、また高砂百合がその近くに咲きました。(例年より少し早い8月9日の朝です)

 すると、その日の朝、隣地に住む家内の従兄が亡くなったという報らせが飛び込んできました。享年70歳で、突然の出来事です。昨日みんなで彼を送ってきました。
 お盆の時期に計ったように咲くこの白い花は、ワタシにとって「死招花」とも言うべき不吉な花と思えてなりません。この植物になんの責はありませんが。

 これからは、二度とマイガーデンには生えさせないつもりであります。それが、お門違いで、迷信であろうとも。
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