初春のお慶びを申し上げます。

2021-01-02 | 家族、孫達

皆様には良いお年をお迎えになったことと存じあげます。

新年に当たりまずは皆さまのご健康をお祈り申し上げます。

昨年暮からお断りもなくずっとご無沙汰してしまいフォロワーの

皆様には申し訳ございませんでした。

年相応の健康状態で日々を送っておりましたが、家庭内で想定外のことが起きて

しまいました。(人生は想定外の出来事の連続ですが。)

夫の急激な老化現象の進行があり、また調子を崩して検査中だった娘の一人が

このコロナ禍、ある病を告知されてショックでした。

最寄りのクリニックや近隣の病院を経て、幸いにして懇意にしている夫の

大学の後輩の同窓生の専門医の紹介で、心から信頼出来る先生にたどり着く

ことが出来ました。

この後は本人の意思に任せて必要とされることで支えていくしかないかと

漠然と思っております。

気持ちが落ち着かず、暫く又ご無沙汰することになるかと存じますが、

ご了解くださいます様お願い申し上げます。

 


娘のお部屋探しでヘトヘトに。

2020-08-04 | 家族、孫達

職場により近い1Kマンションで暮らしているアラフィフの

三女が、今の住いがあまり気に入らないので8月中に引っ越す

ことにして、契約更新を止めたと先月云ってきました。

コロナ禍で大変だけど早く新しい住処を探さねばと、私も少し

手伝おうとネットに彼女の希望条件入れて検索を始めました。

オンラインのお部屋探しは便利ですが大変目が疲れます。

次々に出てくる物件から一見良さそうな物件をピックアップして

連絡を取り合って、その近くの不動産屋さんにも頼んで、本人が

現地までいったり、内覧をしたりして見学をしてみたのですが。

写真や見取り図でいいと思って行ってみると、期待はづれのものが

多くて、一応まあまあだと思った物件も、方位に詳しい人に

聞くと、今年中は「五黄殺」という良くないに方角にあたる

という壁があり、つくづく住まい探しは一朝一夕には

出来ないものだと本人も私も実感しました。

挙句の果て、今住んでいるところが、駅徒歩3分で、少し古いけれど

広さもあり、便利でいいと見直してしまい引っ越しすることもないと

更新の停止をキャンセルにして住み続けると言い出しました。

灯台下暗しということか、幼い頃に幼稚園に通っていた通り

に面しているので馴染んでいるのかも知れません。それにしても、

未だにパソコンを開くと、AIが働いているのか全面の不動産広告が

入ってきてお部屋紹介の広告が目前にパチパチと迫ってきて止まりません。

暫くは続くことでしょう。お騒がせ三女の部屋探しは私にとっては

「大山鳴動して鼠一匹」という顛末でしたが、実は私、住まいに

関することは昔から嫌いじゃないので、結構楽しく学習しました。


孫娘達は就職氷河期に遭遇

2020-08-02 | 家族、孫達

お正月に会食をして以来、孫娘達は、我が家にあまり寄り付かなくなりました。

3月にB子が37度異常の熱を出してお腹を壊したことがありました。

休日診療所では「胃腸炎」という診断で一過性でしたが、

娘一家では万全の策を講じて、各人個室で食事をとらせらせて

事無きを得ていました。去年の夏に予約しておいた

袴を着ての卒業式も、大学院の入学式もなく、長い間

オンライン授業が続いていましたが、最近は週2回程

登校しているようです。6月頃から早々と再来年卒業生の

インターンシップの募集が始まり、エントリーシートを出していました。

B子は10月に2日間某社に行くことがきまったそうです。A子は公務員試験を

受けたそうです。1次は合格したそうですが、あまり気乗りしていないとか。

お父さんが国家公務員で待遇が良くないことを知っているからでしょうか?

「これからは女性が活躍しなければ」と背中をおしているのですが。


老いも若きもコロナで大変。

2020-03-19 | 家族、孫達
外出好きな夫でしたが、病院やゴルフ以外の予定が殆んどキャンセルになり、

テレビの前でウトウトすることが多くなってきました。

暖かい日には少し庭仕事もしていますが、すぐ疲れるようです。

買い物を兼ねて駅まで25分位片道ウォーキングに誘ったりしています。



まだお花はあまり楽しめません。最近夫婦共に老化が進んできた

ようですが、未だお互いに介護の必要がないのは有難いことです。
 
次女宅の長男のM君は3月初めから関西から一時帰京して


実家でテレワークで働いています。2週間の予定が月末まで

延びたそうで、アレルギーを気にする孫なので、世話焼きの娘は

気疲れして血圧が上がったと言っています。社員食堂も寮の

食堂も当分閉鎖になって不自由らしいです。


 
一方、この3月に卒業式を迎える予定だった大学4年生の

孫娘たちは卒業式も大学院の入学式も中止になり、夏前から

何度も足を運んで選んでいた袴衣装もキャンセルとなってしまいました。

長女はグアム旅行を申し込んでいたのですが、私も含めて周りに

反対されて断念、少しキャンセル料がかかったとか。

いつもは我が家に気軽に訪ねてきていましたが、このところ遠慮して

来ません。大変な卒論も終えて、大いに羽根を伸ばそうとしていた

折角の春休み、若い二人は欲求不満になっているようです。

正月休み、就職した孫M君も揃って歓談しました。

2020-01-09 | 家族、孫達


昨年4月に社会人になって就職した孫M君はいつも台風の目で
何かと落ち着きがなくお騒がせの男子です。
そのM君が今回すっかり配属先の和歌山の工場に馴染んで
落ち着いた様子を知り、夫と共に一安心しています。
幼い頃から近くで寄り添ってきましたが、その子の体質や体力、性格
にも依ると思うのですが男の子を育てるのは難しいなと病院通いの続く
娘の苦労を不憫に思いながら出来る範囲で手助けしてきたつもりです。
子育てに関して私は娘に頭が上がりません。そのM君ですが、
周りをはらはらドキドキさせているうちに中学、高校、そしてあまり
実験は得意ではなさそうなのに大学、大学院(応用化学)を出て
就職試験に臨みました。自分がアレルギー体質で苦労していることもあってか
職種は「化粧品関係?」に行きたいとか言われたときは一寸驚きました。
就職活動はなかなか思うようには行かなかったかと思います。

東京圏に拘らず、関西圏の会社もどんどん当たって
意気投合して内定を得ていた中堅の会社はありました。
関西は幼い頃から、夫のルーツでもある京都などに足しげく
旅行していたので違和感がなかったのでしょうか?
そして、解禁日6月1日に近いある日、高嶺の花だと思いながら
エントリーシートを出していた大手企業から連絡が入り面接を経て
内定を得ることができたのでした。そんな強運で入った会社なのに、
配属先が決まった頃から「辞めたい」とか口走り又、両親を心配させたり
していましたが、最近は食堂つきの独身寮で尊敬できる先輩にも恵まれ
「住めば都」とすっかり落ち着いてきたようです。
苦労をかけた両親にもお小遣いをあげてるとか?
これからも多分、お騒がせ孫のM君ですが、包み隠さずなんでも話し、
一応周りの意見も聞く耳をもっているのが取り得でしょうか。
私も時流を読んでいいアドバイスが出来るといいと思っています。

ブログタイトルを変更致しました。

2020-01-04 | 家族、孫達
年明けにブログのタイトルを「山あり谷あり平野あり」から

「明るく前向きに生きたい、八十路」に

変更致しました。ご連絡が遅くなって申し訳ありません。

これからも宜しくお願い致します。


 
昨日は二女一家が5人で来訪。毎年のことなので、私もウォーミングアップして、

下の娘に手伝ってもらいながら、合わせて9人分の賄を例年より少し

省略して頑張りました。歳のせいか疲れました。食べ盛りの大人を含む

9人の集まりでしたのであっと言う間に食され消化されていきました。


 

妹や弟達はついていました。

2019-05-27 | 家族、孫達

私が辛い思いで卒業した小学校の近くに1~2年後、なんと

大学の教育学部の付属小学校が出来たのでした。

3歳違いの妹やその下の弟達は近隣小学校優遇?があったのか無かったのか、

運よくそちらに通うこと出来ました。学校に対する不満も聞いたことがありません。

そして一応それなりのコースを歩んだようです。

しかし、付属小に入れなかった生徒達はどんな思いだったのでしょう。

どんな学校に通っても抜きん出た人は自分で人生を開いていくのでしょう。

教育格差というのもあり、教育にはやたらとお金がかかるようで、

昔以上に親や子供にとって難しい時代になってきているような気もします。

一方、学歴社会も見直され、若い方達の中には、自分の実力や才能を

自由に生かし、又それを受け入れて伸ばす社会になってきているようにも感じます。

それにしても、選挙権の「ある」「なし」の関係でしょうか、私達高齢者に較べて、

子供や子育て世代に対しては今迄あまりにも配慮が行き届いていなかった様に思えます。


妹と善福寺川沿いのお花見

2019-04-04 | 家族、孫達

中央線沿線に住む妹を誘ってお花見に行ってきました。

杉並区の善福寺川の尾崎橋近くにある下の弟の家は遠く

離れて住む私達姉妹の中間地点にあたります。

半世紀以上も前には、私達も一時住んでいた場所です。

昔と違って善福寺川沿いは遊歩道はじめきれいに整備されて

豊かな自然を楽しめる場所になっています。

4人姉弟の下の元公務員の弟は後期高齢者にあと数年で

なるのですが、ずっと独身で一人暮らしなので、年に2~3回私達姉妹は

立ち寄って弟宅で持ち寄りの食事会をするようにしています。

口煩い姉達が来ると無口で自閉症的な弟は閉口しているようです。

一寸した持病はあるようですが、ストレスもないようで

大病することもなく、それなりに自由に暮らしているようでした。

 

 


人生一寸先は闇、親知らず抜歯後の騒動

2019-03-10 | 家族、孫達

 昨日は腰痛回復途上の為、静養していいました。

孫のA子がTOEFLに備えて勉強をしに来ていました。

突然A子のスマホに孫K子から連絡があり「Mお兄ちゃんの歯の出血が止まらないので、

今お母さんは車で外出中でいないので、至急車でS総合病院に乗せていって」とのことでした。

突然のことで詳細が分からなかったのですが、A子と二人で、車を娘宅に着けると、

M君がビニール袋とタオルで口を押えながらK子と乗ってきました。

お父さんは連絡係で残りました。

大量の出血で驚きました。

冷静にと心して5分もかからない近くの総合病院に到着。後は大学生の孫達2人が付き添い

私は駐車場へ。そこで母親と会ってバトンタッチして帰りました。

結果的にその総合病院には口腔外科医がいなかったので、応急処置をしてもらって、

受け入れてくれる歯科医を探して近くのD歯科に転送となりました。

(かかったことがある歯科だそうです) 

親知らずの抜歯は当日(土曜)の午後1時半に口腔外科も標榜する近くの歯科で

手術をしてもらったのでした。その後、3時半頃に歯茎状の塊が剥がれて出血が止まらなく

なったので、その歯医者に連絡しても閉院していて梨の礫だったのでした。

本人も周りもかなり動転してしまったのでした。それで

近くの総合病院に急患で飛び込んだのでした。(救急車を呼ぶ選択肢もあったかも知れません。)

 

土曜午後も診療している親切なD歯科のお蔭でしっかりと止血して頂いて落ち着きました。

娘に云ったのです。「閉院前の土曜の午後に手術を請け負うお医者のお世話には絶対ならないで」と。

 その後、M君からは「家族の結束に感謝しています。」のメールを貰ってほっとしています。


3月3日の「雛祭りは」季節的に違和感があるのですが。

2019-03-03 | 家族、孫達

今日も未だ肌寒く、この時期の「雛祭り」について違和感があるのですが、

「桃の節句」は昔のまま旧暦の43を引き継いで祝う方が自然だと思っています。

今でも地方では4月3日に行っているところもあるようです。

実際、我が家の庭の桃の花は4月になると満開になります。

今現在は蕾もあまり膨らんでいない状態です。

 約1ヶ月先の4月3日は(旧暦3月3日)は桃の開花期にあたるため、「桃の節句」と呼ばれる

ようになりました。また、桃は不老長寿を与える植物とされており、百歳(ももとせ)まで

長生きできるよう、桃の節句には桃花酒を飲む風習もありました。 

 

男子の節句も旧暦を繰り上げていますが、それは6月という時期が梅雨でじめじめして

この時期は、昔から病気にかかりやすく、亡くなる人が多くてよくない季節だったから

という説があります。

「万年こよみ」  旧暦3月、旧暦5月のそれぞれ初めの巳の日と午の日が節句とされていた。

 繰り返しになりますが、3月初めの時期は未だ寒く雪も残ったりします。

それに雛祭りを祝う保育園、幼稚園児から小中高校生、大学生に至るまで入学試験や

期末試験の最中か合否疲れで気持が落ち着いていなかったりします。

お母親方もお雛様どころではない多忙な時期ではないでしょうか。私は体験上そう思っています。

働くお母親さんが多い現在はもっと大変でしょう。

桃の花と桜の花の時期は重なるようですが4月3日を「雛祭り節句」をイメージした祝日に

して頂いて、仮に「花の日」などとすれば子供達は春休み中に楽しく祝えそうです。

 

また、法律で成人年齢が下がり、18歳で成人式を迎えることになります。

大変な受験年齢とも重なり、成人式に晴着を着る機会も流動的になってきそうです。

春先の4月に、女子が花に囲まれて「きもの」を着る機会があってもいいのではないかと思います。

このような考え方は変人かマイノリティの意見と見做されるかも知れません。

それでもこういう考え方をしている者もいるということで書かせて頂きました。


孫の自立

2019-02-03 | 家族、孫達

24才になる男の孫M君が今春社会人になります。就活ではすったもんだがありましたが、最後に思いがけなく憧れの企業に内定を頂き、私は暫く半信半疑?でした。一般に理系の就活は楽だと言われたりしていますが、間口が狭くて、自分の専攻や希望と企業のニーズが一致するのは、なかなか微妙とか言っていました。

M君は生まれた時から、手のかかる子で、娘夫婦は振り回されて、育てるのが大変でした。今では180センチ以上でひょろりと背は高いのですが、小さい時から、アレルギー体質のせいか、好き嫌いが激しく、(自分で本能的に防御しているのかもしれません)又次から次に病院通いが続き、親も子も神経過敏になってしまったように思います。うちに来ても、ごまだれは「胡麻アレルギー」だからダメだとか青魚始めお魚は嫌いだとか、何でも美味しいと食べてくれる女の孫達と違って、大変面倒です。でもアレルギー反応って、成人してからでも、ある日突然出てくる人も多いそうですから侮れませんね。先日、アレルギーや腸内フローラの権威でいらっしゃる藤田紘一郎先生の本を渡しておきました。

 

M君はこれは母親似で間違いないのですが、昔からよく喋る子で、思っていること全てを

母親に話さないと気が済まないようで、問題の多かった中高時代など、

親は本人のことをよく分かっていたので、ある意味対処しやすかったともいっています。

自他ともに「マザコン」を認める彼ですが、先日、関西勤務の辞令が出て、

少し動揺していました。関西に行く学友も多く、両親やお爺さんとも話し合って

今ではすっかり落ち着きました。簡単に、帰ってこれない所で、

少し異なる文化や歴史に触れて切磋琢磨して自立してほしいと思っています。 


週末の我が家は6人家族。

2019-01-28 | 家族、孫達

週末になると大学生の 孫娘達一人又は二人から「今日勉強しに行ってもいいですか?」とラインで問い合わせがあります。余程のことがない限り、ウェルカムで迎えています。物心ついたころから、我が家のリビングで勉強していましたので、習慣化しているのです。 3時ごろ来て9時頃帰りますから、私は予め、夕食用にお買い得品の肉や魚は2パック5~6人分用意して地下の冷蔵庫で冷凍保存して備えています。好き嫌いせず全部平らげてくれます。

 彼女らの母親である私の娘が子育ての時期、体調がよくなくて、近くの賃貸に越してきて、実家に近くて、一人一部屋確保できる間取りを取り柄として、築35年位にして高い古家を買ったのですが、これが大変な代物でリホームしても焼け石に水状態の家なのでした。しかし娘は孫達が小学生の頃などに2回、過去の手術の後遺症らしい症状で入院したりしましたから、何かにつけて近くに住んでくれて良かったということにしています。

 

 孫娘達はお爺さんが横でテレビを見ても、家人が小声で喋っていても気にならないそうで集中力があります。 

 

 

 

 

 

 


甥夫婦が虎の子の息子を連れて上京しました。

2019-01-15 | 家族、孫達

甥のT君は義妹の3人息子の二男です。小さい時から食物アレルギーでしたので母親も本人も大変でした。
一番ひどかった2才の頃、包帯で手や足をぐるぐる巻きにされて痛々しかったことを憶えています。
成長して症状は軽くなっていましたが、中高生になっても、いくらか症状が残っていたようです。
そんなこともあって、医者の道に進む決心をしたようです。我家の近くの私立医大を出て、
リュウマチ専門医になって現在、奥様のNさんの地元で勤務しています。
そのT君夫妻、結婚しておよそ10年ぶりに40才過ぎて男の子に恵まれて、
今年も可愛いS君の成長ぶりを見せてくれました。今回は時間がなくて喫茶店で会いました。

 

新婚時代、我が家の近くに住んでいた頃から、いつもお正月には我家に顏を出してくれています。
実は息子のS君も1才になる前からアレルギー症状が酷くて、お嫁さんのNさんは食事づくりが大変だったのです。
私達も心配していましたが、今回、見た目は症状が消えて、普通の元気な3才児に成長していたので安心しました。
Nさんによるとまだ食べ物選びが大変なようです。我が家の孫息子M君は今春、社会人になりますが、
M君もアレルギー体質のところがあり、娘は苦労していましたのでNさんとは、話が通じるようです。



 


飯森泰次郎氏指揮のブラームスの交響曲、素晴らしいお年玉でした。

2019-01-12 | 家族、孫達

10日の木曜日に夫が「11日の金曜日の夜のシティのコンサート行けるよね。」とチラシを持ってきました。(月例コンサートを聴きに、夫は毎回いっています。)金曜の午後は予定があり、急だったので「寒いし夜は出かけたくないわ。」と言ったら、 「飯森さんだよ。ブラームスだよ。娘達は無理だから誰かに声をかけるよ。」とブツブツ言っていました。一息ついてふと考えました。今の大切さを考えないで、当たり前のように生きているけど、人間誰しもそうだけど、特に私達高齢者、明日何が起きてもおかしくない。今を「マイペースで深く考えないで行動していて、どちらが先に逝くか分からないけど、後で後悔しても仕方がない。」と、先ずはそういう訳で出不精を撤回してを出かけました。

当代人気指揮者の飯森泰次郎氏の指揮とあって、新春コンサートにはいつもより多くの聴衆が集まっていました。といっても8割方で、半分以上は中高年の方々の様に見受けられました。京王線初台駅で降りてオペラハウスに向かう際に通るこのモダンでかけることにしました。

ゆったりとした、回廊、建築物としても興味がわきます。(災害などの時には避難所にもなるのでしょうか?)

プログラムを手にしてどうして最初が「交響曲第3番」で「第1番」が最後なのかな?と思いましたが。それは聴いたら分かることでした。飯森さんはワーグナー作品の名指揮者としても有名ですが、今日のブラームスは勿論最高でした!蛇足ですが、ワーグナーとブラームスは何が原因か知りませんが敵対していたそうです。3番は円熟した50歳ごろに書かれた作品で、あまり派手さはないけどブラームスの英雄交響曲とコメントする人もいたそうです。しかし「響きの奥底に人生への複雑な思いが隠されていたとしてもおかしくはない」といわれ、、当時思いを寄せていた歌手との結婚の希望が実らなかった心情が刻まれていたのかもしれません。今回、ティンパニーが管楽器と弦楽器の奏でるハーモニーを奥底からしっかり纏めているように感じました。飯森さんの細かく指示を出されるカッコいい指揮ぶりに見とれました。

交響曲第1番は殆どの方はメロディを耳になされたことがある華麗で力強いブラームスの代表作の一つです。私の好きティンパニーが大活躍して、聴衆を魅了しました。42歳の時に交響曲として書き上げでいますが、20代の頃から構想をねっていたものを大成させたということのようです。第1楽章と第4楽章はとくにメロディも躍動感も雄大で素晴らしく、飯森さんの指揮により聴衆の心を虜にしてしまいました。やはりオーケストラは生で聴くのが最高ということを体感しました。20年来の構想ということですが、恩師の妻であった、クララシューマンは第1楽章は15年前に聴いたことがあると表明し、また第4楽章の一部はクララの誕生祝いに昔送った曲を転用したもので、この雄大さ、躍動感はブラームスの若く元気な頃からの蓄積によって誕生した力作である事を知って納得しました。ブラボー!と万来の拍手のなリ止まない、生きる喜びを与えられたコンサートでした。

時代の流れか、若者のコンサートと裏腹に、クラシックのコンサート、特に多くの団員を必要とする交響楽団の運営は大変なようです。

若手奏者によるプレ演奏の四重奏、早く来た方々が聴き入っていました。

 

 

 

 

 


今日から男声合唱団の練習が始まりました。

2019-01-08 | 家族、孫達

毎週火曜日、夫は所属する男声合唱団の練習に出かけます。今日はその前に リベラルアーツの読書会の初会合もあるそうで10時頃から出かけて行きました。私は、昼食、夕食は手抜きOKになるので、いつもにこにこして見送ります。フリーになって、久しぶりにリンゴのケーキを焼きましたが失敗でした。

夫のパートはバリトンです。普段からいい声ですが歌うと更にのびやかで良くなるので、思う存分歌える人はいいなといつも羨ましく思っています。学生時代からグリークラブに属していました。戦前、大連の小学校の6年間受け持ちの先生が、音楽の先生だったことも影響しているのかも知れません。若い頃から超多忙な時期を除いて混声合唱団に属していて、団員の方々とは家族ぐるみでお付き合いをしてきました。私も中学、高校がミッションスクールで、毎朝讃美歌をアルトのパートで歌っていましたので歌いたいのですが、意欲はあっても声が追いついて来なくてとっくに諦めてしまっています。

母校のグリークラブの東京支部が出来てからは、20年位、この男声合唱団で、2年おきの定期演奏会を目標に毎週シニアと現役の人々が一緒に練習に励んでいます。現在85歳で最長老なのですが、歌い続けられるのも耳が良いからなのです。私よりもずっと聞こえが良いのです。来年春の定期演奏会に出られるかどうかは微妙ですが、それを目標に励んでいるようです。下は昨年5月の定期演奏会の写真で、好きなカラーのネッカチーフを首に巻いて、気分は大学生の若者らしいです。                 

因みに各パートの練習は各人が自宅で行うのです。パソコンのメールで沢山の楽譜とメロディが送られてきまして、それを開くとピアノ伴奏が始まり譜面が出てきて自分のパート練習が出来るのです。初めて見た時はびっくりしました。