「無言館」と「信濃デッサン館」(3)

2019-10-24 | 旅行
窪島さんは実の父上の水上勉氏と1977に30数年ぶりに

再会されています。著書、「雁と雁の子」には衝撃的な

邂逅(かいこう)から、父、水上勉氏が亡くなられるまでの間の

普通の親子とは少し違う愛憎ある日々が綴られています。


そして再会の2年後に、それまでにこつこつと収集されていた

夭折された画家達の作品を一堂に集められて「信濃デッサン館」を

1979年6月に信州上田の前山に開館されています。

父上は息子さんに影響を受けられたのか、その後、故郷福井県の

若狭に「若州一滴文庫」を開館されています。

お二人の間には微妙なライバル意識もあったようです。

窪島さんは米国進出も考えられたようで、1981年にはニューヨーク

ウッドストックに日系画家野田英夫館を建設されていますが、

それについてはよく分かりません。野田英雄は30歳位で

夭折された日米を行き来した日系の画家だそうです。

1997年に無言館を設立されました。窪島さんの子供向きの絵本「約束」が

手元にありますがとても温かみのある絵本です。

 
そこにはご自分で描かれた挿絵と、無言館設立に

至られた経緯が、幼い頃からの体験を通して

わかり易く綴られていて、産経児童文化賞、菊池寛賞

信毎賞などの数々の賞を受賞されています。

読んでいるうちに、ドライアイの私ですが、ウエットアイになります。


 
時の流れや世代の移り変わり、上田駅からのアクセス、

ご自身の健康上の問題などで、「信濃デッサン館」収蔵の絵は

先を考えられて、昨年長野県に寄贈されたそうです。

この夏は来場者の多いシーズンだったせいか開館されていて、

数多くの素晴らし作品を見ることが出来ました。

上を見上げるとエキゾチックな天井画がありました。又

高く積み上げられた蔵書のある図書室など温かみのある設計で

私は大変素晴らしい建築物だと感心して気に入っています。

無言館だけ見て帰ってしまわれた方がおられるようですが

それは大変残念なことだと思います。そこまで

足を運ばれたなら、別館もセットで見ないと来た意味がない様に思いました。

今回の19号台風での長野、上田方面の水害の影響を懸念しています。

ユニークな2つの美術館の収集品が将来的に散逸しないことを願っています。

「無言館」と「信濃デッサン館」 (2)

2019-10-17 | 旅行

日に日に、東日本一帯を襲った台風19号の被害の全容が分かってきました。

悪夢であればと願うのですがこれは現実なのです。

被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。

そして、一日も早い日常生活への復帰を祈っています。

戦争で焦土と化した国土から見事立ち直った民ですから、

始まった公的私的の支援の元で復旧は早いと信じています。

応援しています。
 
さて、「無言館」の続きですが出口におられた窪島さんに

入場料をお支払いらいしましたら、「この券で信濃デッサン館にも

入れますからこの後、寄って見て下さい」と云われました。

その時、厚かましくも、「お写真撮らせて頂いてよろしいでしょうか?」

と伺うと、思いがけなく窪島さんはさっと立ち上がられて、

なんと一緒に写真に納まって下さいました。
 
立ち上がられると長身でスポーツ選手のような堂々たる

体格でいらして驚いてしまいました。

窪島さんは「信濃デッサン館」と「無言館」との創設者ですが

作家水上勉氏の実の親子であることが40数年前、公になっています。

長年の忍耐強い必死のルーツ探しが結実して、ご自身が35歳の頃、

遂に実の父親である水上勉氏を探し当てられて、

それが公になり、大きな話題になりました。

当時、水上勉氏は有名作家(直木賞)しとして、又文壇の三美男として

持て囃されていました。(他のお2人は丹羽文雄氏?と何方でしょう?)

先日英会話グループで水上勉氏の話をしましたら60代の方々の

殆どがご存じなくてgeneration gap を感じてしまいました。

著書「父への手紙」に実親との再会までの過程を書いておられます。

そこには幼い頃からの孤独と苦難の自分史が書かれています。

昭和16年生まれで戦後の荒廃した時代を生きぬいて来られた

窪島さんの半生記は同じ時代を生きてきた者として伴走者のような

感じで理解し易く読めました。一番強く心に残ったことは、

窪島さんが実親から受け継がれたエネルギッシュで非凡な

遺伝子(DNA)のなせる業のようなものです。

2歳の時に実親に手放され、靴修理職人の養父母の下で実子として

育てられたわけです。昔から、又あの時代、子供を養子に

出すことは珍しいことではありませんでした。

きっと「栴檀は双葉より芳し」の男児だったのでしょう。

養父母は貧しくはあったけど、実の息子として将来も見込んで

一生懸命育てられたようです。しかし、物心つく前から、

両親に外見や性格や考え方も違和感を覚えておられたようです。

因みに2歳の時の記憶をはっきり覚えている人は殆どいないと

思うのですが漠然とした環境の変化は残るのではないでしょうか?

私は3歳半頃に引っ越しをしたのですが、生まれ育った家の

間取りの半分位や庭や縁側からの眺めは憶えています。

地球規模の気候変動を思わせる雨台風19号の被害

2019-10-13 | 日記 
予報どおりの、今までに例のない恐ろしい台風19号、

広範囲に深刻な被害をもたらしている状況に地球規模の

気候変動をまざまざと感じざるを得ません。

今回は真剣に防災用品を用意して構えました。

つい1か月前に旅行をしたばかりの、美しい自然豊かな

信州の長野市、上田市周辺では千曲川の堤防が6か所も決壊して、

大規模な浸水被害が起きていることを今朝知りました。

家族で乗った上田電鉄の別所線の鉄橋の一部が土手側で

一部崩落して復旧の目途はたっていないとか心が痛みます。

新幹線車両基地も水浸しになっています。

一刻も早く状況が改善されることを祈るばかりです。

防災、減災に対する考え方が大きく変わる転換期に

入ってきたように思います

「無言館」と 「信濃デッサン館」(1)

2019-10-12 | 旅行
しなの鉄道で田中駅から上田駅まで乗りました。
(上田には真田氏の上田城址があります。)

そこから上田鉄道、別所線に乗り換えて、塩田町で降りました。
両方ともJRとは別の会社だそうですが、素敵な電車でした。
無人駅の塩田町駅前の中学校は立派で校庭では生徒が部活中、
校舎、南面の屋根は全面太陽光発電となっていました。
そこからシャトルバスで無言館まで乗り、見晴らしい里山の公園で下車、
緩やかな坂を少し上ると木漏れ日の先に無言館が迎えてくれました。
 
絵の好きな窪島誠一郎さんが、ある画家との出会いをきっかけに
第二次世界大戦で応召され志半ばで戦場に散った
未来ある画学生さん達の残した絵画や作品、イーゼルなどの
愛用品を収蔵、展示しています。
出征前に描き残した絵を遺族の方々からこつこつと個人で
収集された慰霊美術館です。ユニークな美術館です。
窪島さんは「絵は時間を描くんだよ、嫌いなものを絵には
描けないんだ。好きなもの、大切なものをえがくんだ。」と交流のある
高校の絵画展で語り掛けておられます。
好みの絵には長く留まりますので
ここの全部を鑑賞しようとするとかなり時間が掛かります。
入場料は入り口でなく出口で払うのですが
そこには窪島さんご自身がおられました。

9月中旬の信州旅行(ヴィラデストワイナリー&ガーデン)

2019-10-06 | 旅行
昨日、目にした某新聞の「ワインの里ランキング」に、
 
毎年訪ねている、「ヴィラデスト・ガーデンファーム・アンド・
 
ワイナリー」がランキング3位に入っていました。
 
 
早く9月の旅の記録をしないと忘れてしまうと焦りながら、
 
1か月遅れになってしまいました。
 
アルコールの飲めない私は日本でのサミットにも供されたという

「ワイン」にはあまり興味が湧かないのですが、
 
玉村豊男さんの多才さと、ヴィラデストからの絶景やガーデンに
 
惹きつけられて軽井沢の宿から毎年ここを訪れるようになりました。
 
子供の頃、(昭和22年頃から)毎日聴いていた連続ラジオ番組

菊田一夫作「鐘の鳴る丘」で描いていた緑の丘のイメージが

信州のこのあたりの風景に似ているようで親しみを感じています。

去年は霧が出て小雨も時々というお天気でしたので、雨だけが

心配でしたがお陰様で雲一つない晴天に恵まれ幸いでした。
 
 
私共夫婦に三女、それに二女と孫息子が飛び入りして5人連れで

ランチを予約して朝から訪れました。ランチはまあまあでした。

娘の見つけたケーキが絶品で、(旬のフルーツを卵たっぷりの生地と

ふわふわのクリームでサンドしたとある)来年は予約必須です。
 
 
連休で大忙しに厨房には、玉村夫人のお姿を発見、又楽しいブログを

書いていらしたその妹様もレジにいらしたのでお話が出来ました。

玉村氏はお元気にフランスに取材?旅行中でした。




  
私の一番の期待はガーデンで花々の撮影だったのですが、

今年は花数が例年になく少ないようで少しがっかりでした。

人手不足?ヤギ子は相変わらず元気でした。

午後は上田駅で乗り換えて無言館に向かいました。
 

「ワカタケル」(古事記、日本書紀)を読みながら、時々「ローマ人の物語」

2019-10-03 | 歴史、
2006年に初めてイタリア旅行に出かける前に夫の本棚にあった

塩野七生氏の「ローマ人の物語」全15巻に興味を持ち読み始めていました。


実は2005年6月に海外ツアー旅行を申し込み準備万端整えていた

ところ出発前日に、大腸に異変が起きてドタキャンする羽目になりました。

(夫と二人分でしたが確か半額返金してもらえました。)

そしてそのまま入院を7日間して、事なきを得て、

日本での入院で良かったと思っています。

塩野氏の「ローマ人の物語」は読み始めるとぐいぐい惹きつけられる

興味津々な本なのですが、私はいろいろあって、途中何年も

中断して、今だに恥かし乍ら12巻目を眠れぬ夜に時々読書中です。

それにしても、大まかにいって紀元前5世紀から紀元5世紀間の

ローマ帝国1千年の興亡史の物語は壮大なスケールで凄いものです。

世界史に疎い私にはいい歴史の勉強にもなっています。



そのローマ帝国が崩壊する頃、日本では大和朝廷が国土の統一を

進めていたという時系列に出遅れ感を感じますが、

ヒト、モノの交流の少なかった他国から離れた東方の島国ですから

そういう歴史を辿っていたのだなと感じています。

遠い海外への興味はあっても海外旅行は私には残念ながら無理。

若い方々には「百聞は一見に如かず」ですから行ける時に行かれて

広い世界を見て知って見聞を広めてほしいと思っています。