人間万事塞翁が馬

2021-11-25 | 交友関係

私共が上京した昭和30年代半ば頃は地方から東京に住居を求めて

転居することは今に比べれば簡単だったと思います。

山手線の外側の駅から少し離れた所でしたら,こじんまりとした建売の家は

300万円位で買えたのです。物価水準が今とはかなり違いましたが。

母は文京区弥生町育ちで府立第一高女に通っていました。(沢村貞子さんとは同級生でした。)

親戚や友人の多い東京の生活にいつも郷愁を感じていました。父がサラリーマンを止めているから

転勤の可能性もありません。それやこれやで(もしかしたら渡りに船と)子供と共に東京に

出ることを決めた様です。

なにより吉祥寺に住む母の妹の美しい叔母が親身になってなにかと世話をしてくれたのでした。

お茶の水出の叔母は私共にとって女神様のような存在でした。恩返しも出来ぬまま

見送ってしまいましたがいつも感謝の念を忘れていません。

そういう訳で叔母の住む近くの杉並区に家を求めて弟達と5人で上京しました。

(イメージです。)

Sさんも都庁の母方の叔父さんのお世話になったようです。まず弟さんの大学進学前後に

弟と2人で上京して自炊から始めて最終的にお母様も上京されたと聞いています。

お父様が北関東に単身赴任中だったのですが戻られなかったようです。

戦後間もなく父は大企業を辞めて今でいう起業をして個人事業でしたが

一応軌道に乗っていましたのでそのまま仕事を続けて最後は全部倉庫にして貸していました。

Sさんのところも私のところも父親たちは親として子供達に対する責任は果たしてくれたように

思います。男の子達は皆大学に行きましたし、親同士の葛藤はあったと思いますが

今思えば、それぞれの望む人生を選択をしてよかったのではないかという気がしています。

親子の縁は切れません。 我が家の娘達(孫)は父に懐いていました。

「人間万事塞翁が馬」ということわざがありますが、Sさんも私も上京したお陰で間もなく

良き伴侶に恵まれ、似たような郊外の分譲地で、それなりの生活を送ることが出来ました。

優しそうなご主人と親思いの娘さん息子さんに囲まれて彼女は幸せだったと思います。

それぞれの兄弟姉妹達も恙なく暮らしていることが今回お通夜に行って分かりました。

Sさんとは共に首都圏に住んで繋がっていることで安心し満足しきっていました。

子供の時の遊び相手の印象が先入観で染みついていて、大人になってからの遊び方がうまく

出来なかったことが少し残念です。一緒に楽しく過ごしてもっと多くの思い出を残したかった

ような気がします。


友去りて涙する日々

2021-11-22 | 交友関係

次のブログを書こうとしていた矢先、小学生の頃、初めて信頼出来る同年の友人として

意識をした幼馴染とも言えるSさんの訃報が仲間のWさんからた届いたのです。

Sさんとは1か月ほど前に電話で長話をしたばかりだったので強いショックを受けました。

少し前から認知症の傾向があり乳癌の転移があるけど今回は薬を飲むだけだと

聞いていて、変わりなく小康状態だと受け止めていました。

彼女とは小学校3年生~6年生まで家が至近距離だったこともあり仲良く頻繁によく遊びました。

穏やかで暖かい性格の彼女のことが大好きで、私の方からより積極的に遊びに誘っていたような

気がしています。

彼女も私も4人姉弟の長女でしたが5年生頃に彼女には妹が産まれてお母さんは一層忙しそうでした。

彼女の住んでいた市営住宅はとても狭く、逞しい感じのお父さんはいつもインドに出張していました。

彼女宅では弟さん達3人が賑やかなのでいつも広い庭のある我が家に来てもらって

(ブランコや鉄棒を父が造ってくれていました。特に頑丈なブランコはいつも愛用していました。)

他愛もなく日の暮れるまで遊んで私はいつも彼女の性格に癒されていたように 覚えています。

5年生の時とても明るく活発なWさんも仲間に入り今に続いています。

私が私立中学校に行くようになり彼女達とは別々になり2人と疎遠になった時期がありましたが、

断続的にお互いに連絡し合い変わらぬ友情で繋がっているつもりでした。

そのSさんと私は高校卒業前後、父親達の女性関係で家庭が混乱する運命に遭遇したのです。

そういうこともあって、私も彼女も短大を出てすぐに二十歳そこそこで上京していたのですが、

お互いに目の前の自分達のことで精一杯ながら連絡は絶やさず、共に20半ばで結婚して

3人の子育てをしながら転居を繰り返していたのでした。 Sさんは子育てをしながら、

ご主人と共に都庁で福祉関係の仕事を続けていたので 遠慮もあって偶にしか会えませんでした。

お互いに年賀状や電話で折々安否を確かめあう仲でした。コロナが落ち着いたら会いたいねと

話していた矢先、その日が突然来てしまい狼狽えてしまいました。

     (彼女は齢を重ねてから自然な銀髪がよく似合う典雅な老婦人になっていきました。)

遠い所でしたが通夜には万難を排して、彼女への最後の手紙を携えて出かけることが出来ました。

私が怠慢を続け彼女の晩年の支えになり切れてなかったような心残りを綴らずにはいられませんでした。

悲しみの中で70年ぶりに会えた弟さん達は後期高齢者の白髪の好々爺になっておられました。

昔に思いを馳せて暫しお話をすることが出来ました。つくづく人生は短いと感じました。

 


薬を飲むときは気を付けて。

2021-11-03 | 健康

毎日大仕事小仕事に追われ加齢で段取りも悪くなり、ブログに書きたい話題は沢山あるのですが

書き損じたりして遠ざかってしまっていました。毎日の仕事予定をこなせないまま時は速足で

過ぎていき先の短い私は焦りを憶えてしまいます。

寒さと共に血圧は高めになってきて、今迄飲んでいた降圧剤ダラート10mgでは上が150以上に

なったりしていますので毎年のことながら冬バージョンの20mgを処方されるようになりました。

葛根湯は喉や鼻の調子が悪く「風邪かな?」と思った時に早めに飲むと私の場合とてもよく効いて

元気になれます。一度葛根湯をいい加減な飲み方をして大失敗をして大変な目に遭いました。

 

 

 

 

 

 

 

上のように葛根湯の袋の上端を最後まで切り落とさないまま口を上に開けて飲んだのですが、

その上端が薬と共に切れてヒラヒラと口の中に薬と一緒に落ちて喉に引っかかってしまったのです。

喉に違和感があって鏡を見ると恐ろしいことには切れ端の一部が喉に引っかかっているのが見えました。

土曜日の12時過ぎでしたが近くの耳鼻科に駆け込みました。

先生が喉から少し見えている切れ端をうまくピンセットで掴んで息を合わせながら(私はほぼ泣きながら)

慎重に喉の奥から引き出して下さったのです。割ときつい性格の先生なのですが、神様のように思えました。

毎日薬を飲んでいるとマンネリになりうっかり事故になることがあるようです。

夫の知り合いのある方は誤って錠剤をプラごと飲みこんで、内視鏡で取り出す羽目になれたとか

迂闊な私の経験ですが薬を飲む際にはくれぐれも慌てずにお気を付けて下さい。