RSウィルスってご存じですか?

2024-07-13 | 高齢期を生きる

数週間前に新聞のチラシに「さだまさし」さんがモデルになられたRSウィルスに

ついて喚起する広告が入っていました。又新しい感染症かな?と思って取り置き

しておいたのをこの度読んでみました。ご覧になられた方もいらっしゃると思います。

グラクソ・スミスクラインという会社の出しているこちらの↓ワクチンのチラシです。

これを読んでいるうちにこの間、、義妹のFさんが喉や上気道の苦しさを訴えていたのは

もしかしてRSウィルスだったのかな?と勝手に憶測したりしています。医師からはコロナではなくて、

入院生活の疲れが出たようだと言われて点滴や肺炎や肺炎予防の処置をして頂いたようです。

チラシに書いてあることを要約すると一口に言って肺炎になりやすい重い風邪ということでしょうか?

感染は春から初夏に継続して夏にピークがみられるそうで、RSウィルスは乳幼児が生後1才までに

約半数が、2才までにほぼ100%が初感染するとのことで驚きました。そして感染は繰りかえすとのこと。

RSウィルス乳幼児だけでなく成人、特に高齢者にも影響を及ぼしやすいとのことで、高齢者、

免疫機能が低下してい方方、基礎疾患がある方は重症化(肺炎など)しやすいとのことでした。

この間、介護施設で、3男のT君が一寸話していたのを思い出しました。

「長男のM君が毎週6ヶ月のRちゃんを連れて来て長いこと部屋で接触するので気になっている」とか。

Rちゃんはトルコ人のお母さんが働いているので日中は保育園に通っていて発達が早く元気で

もう1才児位の反応を示しますが、一寸空咳もしていましたので「もしや」と思ってしまったのです。

いまのところ特効薬のようなものはないようですが、ワクチンはありますよということなのでした。

RSウィルスの検査は肺炎で入院した人にのみ行われているようですので真相は藪の中です。

コロナの時もそうでしたが、可愛い赤ちゃんや孫たちですが、高齢者は抱き上げたり

頬ずりしたりするときは、こういうことも気に留めておかなければいけないなと私は学習したのでした。


朝38℃~39℃の発熱だったのですが、午後には面会することが出来ました。

2024-07-11 | 高齢期を生きる

新幹線に乗るのは数年ぶりのことでした。今回の目的はお見舞いなので、昼の1時過ぎに

佐久平の駅に着きました。小綺麗な新しい駅でしたが生憎、小雨模様でした。佐久平駅は

1980年代に北陸新幹線の新駅として小海線との交差地点に決まったように覚えています。

軽井沢に近く、文字通り一面の平野で雪深くもなく夏の湿気もさほどひどくないとかで

平成9年の開業から地域は発展を続けています。駅前には広い駐車場のあるスーパーの

イオンがありました。(写真はいずれもネットより拝借しました。)

駅に迎えに来てくれた3男のT君が「済みません、朝から38℃~39℃の熱が出ていたのですが、

今は大分下がりましたので。コロナではないのでが」とのことで余り体調が良くない状態の

ようでしたが、遠くから来た親族ということで面会はOKとのことでした。T君は1男3女の父です。

施設には東京から長男夫婦と6ヶ月になるRちゃんも来ていました。少し咳をしていました。

義妹のFさんは音大を出てピアノ教師をしていました。我が家の娘達も子さんの

教え子達です。発表会の最後には彼女が素敵なドレスで素晴らしい演奏を披露していました。

その彼女は熱は下がったものの、大変苦しんでいて会話もままならない状態でした。

喉と首の痛み、鼻詰まり、息苦しさなどを訴えていました。風邪を酷くした症状でした。

夫も「僕より9才も若いのだからしっかりして!」と手を握って励ましていました。

その彼女の枕元には見慣れたお人形の1体が座っていました。下の写真のお人形達の仲間です。

3体ともFさんに頂いた元気の出るお人形です。我が家ではリビングに置いています。

華やかな頃の面影はあるものの変わり果てた現状に涙が出ました。

いろいろ手を尽くしたようでしたが、視力を殆ど失っていることが気の毒で残念です。

同時に義弟の介護の方も並大抵のことではなかったのではないかと夫と労いました。

数日後、回復した彼女から連絡があって、先日の症状から脱却して体調は普通になって

最近はデイサービスにも車椅子で出かけられるようになったことを訊いてホッとしています。


長野の介護施設に入居している義妹夫婦の見舞いに行ってきました。

2024-07-07 | 高齢期を生きる

定年後、東京の建設会社から鳥取の大学に職を得て土地柄にとても馴染んで住んでいた

義妹夫婦が昨年秋に急遽、長野の三男坊家族達の住んでいる近くの有料老人ホームに入居したと

聞いて思いがけないことだったので驚きました。調布に自宅があるのですが、

広くて段差が多いので空家になっています。

義妹の視力が20年位前から衰えてきて一人歩きや家事も出来なくなり、老々介護になって、

義弟の方も介護などで行き詰まって倒れてしまい、担当の医師から3人の息子たちに

「このままでは危ない」と連絡が入ってのことでした。

3人がそれぞれの立場で相談した結果、3男家から近くの佐久平駅(北陸新幹線の軽井沢の次の駅です。)

周辺の住宅型有料老人ホームに入居したということなのです。

当日は雨降りでしたが、とてもいい環境のゆったりした施設でした。

そこで4月に調子の良くなかった義妹が腸閉塞になって手術になり予後が良くない状態

でしたので、私達夫婦と横浜に住む義弟と娘達も一緒に見舞いに行ったのでした。

施設内が広々としているのに驚きました。廊下も4m位幅がありました。

義弟の奥さんのMさんもアルツハイマーになって施設に入っていますが、義弟は駅近で

便利なところに住んでいるせいか、意外に元気に過ごしている様子が分かりました。

年齢を並べるとうちの夫が90才で私84才、義弟(次男)87才、その妻82才 

義妹81才、その夫82才なのです。私達夫婦より一番若い方の人からが寝たきりに近くなって

しまっているので、明日は我が身かと一寸暗くなってしまいました。

見舞ったその日は生憎義妹が朝から38~39℃の熱を出していたのでした。


我が家の終活(3)

2024-06-05 | 高齢期を生きる

ゴールデンウイーク後、久し振りにブログを書きかけていましたら、バックアップが不用意で

全部消えてしまいガックリしてしまいました。その後、親族や身の回りの優先事項が多発して

処理能力の遅い私はブログに手が付けられない状態が長く続きましたが、今やっと一息ついて

書く気力を取り戻しました

(母の日に娘達から送られたミニに洋蘭です。)

3月~4月に欠けて、又かなりの物を断捨離出来てして少しすっきりしてきました。

家具から衣類その他を全部とり出して空にした状態にしたので、連休中に家具の大移動を計画しました。

日頃修理などを頼んでいる地元の建築屋のSさんに家具移動、その他の小細工の見積もりを依頼したのです。

するとSさんからは「1人では無理なので2人工になり6万円位になる」と言われ、私がそれでは

「予算オーバーになる」というと、「うちのカミさんに手伝わせたら3万で済むけど」とのこと。

「奥さんで大丈夫かしら?」と聞くと「彼女は僕より大柄だし体力ありますから」ということ

だったのでその方向でお願いしました。

当日は明るいスポーツ系の大柄美人の奥さんの助けを得て2時間足らずでスムーズに

移動なとが出来ました。とても仲のいい夫婦でした。

(今年も立葵がこぼれ種で庭に大きく花を咲かせています。)

この際、娘2人とも話し合い彼女たちの部屋も巻き込みかなりの移動、断捨離と

室内の大編成が出来て皆大満足したと思います。娘達は室内整理にかなり無頓着で

この辺のことがいつも私のストレスの一つになっています。

(これでも大きな本箱がなくなって少しすっきりした6畳間です。)

話が逸れますが、整理癖などは生まれつき、つまり遺伝的性格によるものだと思っています。

私の父は几帳面で整理整頓好きで母は普通でした。私は気力体力があれば整理整頓します。

中学生の頃、毎夏京都の伯母(母の姉)の家に長逗留して大変お世話になったのですが、

その伯母は字の綺麗な人でしたが、全く整理整頓しない人だったことを私は強烈に覚えているのです。

夫は医学者でしたが山のように書類が積み上げられていました。

小説家や頭のいい方のお部屋の写真では凄く物や書籍が積み上げられているのを拝見します。

ベートーベンのお部屋もその類いだったそうで、生涯50回位引っ越しをしたそうですね。

兎に角、家具の断捨離と移動が済んで終活仕事の峠を越したような気がしています。


我が家の終活(断捨離)は道なかば。

2024-03-30 | 高齢期を生きる

昨年暮れからぼちぼち始めていた断捨離ですが、今年になっていろいろあって暫く頓挫しています。

先月数軒の不要品の引き取り業者さんを呼んで、ある程度引き取って貰いました。

他所で断わられた物でも引き取りますという業者、着物専門の業者、近くのリサイクル業者さんなど。

その結局大きな物、タンスや観音開きのガラス扉の本箱などはそれぞれ¥5000~¥8.000支払って

持っていってもらいました。自治体の粗大ゴミに出すと安いのですが、大きくて重いものは私ども

老家族では門の外まで運べないので仕方がありません。

先日近くの住宅展示場に立ち寄りましてが、最近のモデルハウスではクローゼットなどの

収納場所が予め設計に組み込まれていました。今は収納家具をあまり置かないようになっていて、

なるほどその方が引っ越しの際にも簡単で合理的な訳ですね。

これまでに古本などはこつこつと半分ほどに減らしました。夫が昔、メキシコに長期滞在した際に

購入して持ち帰ったコーヒーテーブルは使っていないので引き取って貰えないかと交渉したら、

元々安物だったようでしかもメキシコ製だど値段も付かないし粗大ごみで出すしかないと言われました。

それを聞いた夫はいつでも捨てられるのだから今は捨てないと言い出して、私も疲れも出て頓挫して

しまっています。こちらの大きな使い勝手の悪い、殆ど使っていないテーブルも場所取りなのですが

一生捨てないそうです。時々私が整理しますが、直ぐこの状態になります。

でもこうして生前整理をしていて感じることは、夫がかって一生懸命(家族のためにも)働いてきて

くれたことがよく分かり、今更ながら感謝の気持ちが湧いてきていることです。


今年は新年早々断捨離に取りかかっています。

2024-01-07 | 高齢期を生きる

昨年から始めて夏に一旦中断した断捨離暮れにに向けてけて再開していました。

何しろ40年間この地に定住して引越しがなく地下室含め180平米の室内にモノががたまりに

溜まっているのです。一番占拠率が高いのが夫関係のモノ。何10年も前の仕事関係の書類の山々

頂いたり買ったりして抱え込んだ本類(ただ今1/4減にして本箱と共にを地下に下ろして整理中)

そうして ブランド品を含む背広、コート類の数々、ゴルフウエア、式服,合唱式服などの

オンパレード(海外出張で見劣りしない服装でと私も一緒に張り込んで買ったものが多いのですが)

その他出張先で薦められて買ったり頂いたりしたらしい置物、飾り物の山、変なお面や好みの収集品、

今や見ただけで気が重くなってしまいます。

一部屋を空にしてリモデルする必要がありますので、出来るだけ毎日数時間費やしてそれぞれ

せめて1/3ぐらいまで減らそうとしています。

夫は終戦直後、中国の大連から家財道具の全てを放棄して、まさに着の身着のままで引き揚げ船で

家族5人命からがら帰国していますのでモノに執着して捨てることが出来ない習性を持っているようです。

2~3年前まで断捨離に反対していましたが、最近やっと任せてくれるようになったのでほっとして

私はやる気が出ています。取捨選択しながら頑張っています。夫も私もある程度好みのモノに囲まれて

生活することに快適さを感じるほうですので、今はやりのミニマリストならぬマキシマリストの傾向が

あるかもしれません。


静かな生活を願望する。

2023-11-03 | 高齢期を生きる

我が家には夫のほか六十近い長女が同居しています。平日は勤めにでているので夫婦二人の

静かな生活なのですが、週末には都内に住む三女も帰宅し、何やら騒々しい生活になります。

周りからは、賑やかで何かと手伝ってもらえて心強いでしょう等といわれたりするのですが、

家事音痴で私とは橇が合わない娘なので、八十代になってからは娘との同居疲れを感じます。

特に夫が要介護になり、老々介護になってからは、負担になり、血圧も上がり気味です。

昔、大手デパートに勤務していた頃は一人暮らしの経験もあるので自立を促すのですが、

今は契約社員であるせいか実行する気配があまりなくて先を考えると憂鬱になります。

一方近くに住む二女は何かと手伝ってくれることが多くなり頼りにしています。

その二女宅の孫達は三人とも就職して社会人になると同時に家を出て寮生活を始めています。

和歌山、静岡、東京でそれぞれ一人暮らしを始めて頑張って活躍しているようです。

五人家族から子達が巣立っていって、二人暮らしになり、二女は羽根を伸ばしているようです。

孫達が大挙して帰省してくると気疲れするようです。

(30年近く前のスナップ、向かって右から長女、二女、三女です)

三人の姦しい娘達がいろいろと進言やアドバイスをしてくるのですが、有難い反面、

意見の相違もあり、私はくたびれて夫と二人だけの静かな生活を願望してしまうのです。

 

 


高齢者の免許更新は大変でしたが、無事更新出来ました。

2022-08-22 | 高齢期を生きる

先日、3回目の高齢者免許更新を終えました。今年は道路交通法が5月に改定されたので

認知機能検査の予約をとるのが込み合っていて大変でした。運よく近くの自動車学校で検査と

高齢者講習を済ませることが出来ました。写真もいれて、費用は¥11.000程掛かりました。

実はそれ以前、昨年暮に区の広報を見て「警察の運転適性検査」の講座を申し込んで

2時間の講習を受けたのです。そこでは勿論、筆記試験があったのですが、いつも携帯している眼鏡の

つるが、ゆるんでいることに気が付かず、眼鏡を抑えながら、スピードを要する試験に臨む羽目に

なったのでした。成績は良いわけがなく、中位で「動作の速さにやや欠けて、、、」とか注意事項が沢山

書かれていました。本番でなくてよかった!と、特に今回は眼鏡のツルはしっかりと確認して2個持参しました。

認知テストで一番苦手なのが、4つ一組の絵のグループを確か5組見せられて、数分後にその絵の名称を

全部書き込む作業です。

私はグループごとになるべくイメージでストーリーを作るようにして記憶して思い出しています。

今回19個書けたつもりですが、生まれつき頭の回転が良くないので自信はありません。

3年前の認知検査では100円満点での点数が知らされたのですが(前回89点)今回は点数は知らされずに

結果通知に「認知症のおそれがある」基準には該当しませんでしたとのみ書かれていました。

両脇の視野検査だけはよかったのです。

高齢者の運転には批判が多くやめるべきだという意見は理解しています。が、高台に住み、夫の軽い介護もする私は

今、車を諦めることは出来ないのです。近所の歩いて10分もかからない地元のスーパーが結構盛況だったのに、

9月末で老朽化を理由に撤退、閉店になるという知らを受けました。

高齢者も多い地域なので、近所では動揺が広がってています。生鮮品も扱うドラッグストアの進出も

関係しているようです。

昨年、乗り換えた小型車ですが大変機能的で気に入っています。

安全装置も目一杯ついていて、奨励金等というものも半年後に頂いて、しっかりとサポートしてくれています。

以前に比べ、ガソリン代が1/3位で3年間車検なし、新車で保険料は高くなりましたが、とてもお利巧さんです。

苦手な駐車場での車庫入れもやり易く小型車専用駐車場も利用できて便利です。

只、たまにお墓詣りに高速道路を走るときは、少し怖いし緊張しています。

見た目、げらげら笑っているように明るいので「げらちゃん」とか「ゲラ子」とか呼んでいます。

親ばか?かも知れませんがとても可愛い車なのです。毎回しっかりと運転するように心がけてています。


都心に出かけることが多くなりましたが。

2021-10-17 | 高齢期を生きる

10月になって都心などに出かける機会が多くなってきましたが戸惑ったりしています。

先日は久しぶりに夫がオーケストラを聴きに出かけたのですが、都営新宿線を反対方向に乗車

してしまい、かなり遠くまで乗って気が付いた結果、「ティアラ江東」での開演時間に遅れて

しまいました。これは単に老化現象ということだけではない様にも思います。

慣れないところに行く時は乗換案内や駅探での下調べが必須だと痛感しています。

今や網の目の様に張りめぐらされている都内の地下鉄ですが、私も初めての路線に乗った時

何度か方向や路線を間違えた経験があります。最近は駅員さんが少なくて構内の表示をみて

乗り継ぎしていくわけですが、それが怪しくなってきたら一人外出は中止ということですね。

地下深く走っている地下鉄、何かあった時には高齢者には怖いような気もします。

大手町の見上げるビル群は凄いですね。いつも地図をコピーして目的地を探します。

大手町の会館で夫と待ち合わせをして、日本橋高島屋へのタクシーを拾って乗ったのですが

反対方向のタクシーだった為に大回りをする結果になって高い料金になってしまいました。

久しぶりの高島屋は余り混んでいませんでした。買い物は余りしませんでしたが、歩数は

沢山カウント出来ました。地下鉄口がすっかり様変わりしていて驚きました。三越方面に

向けて広い地下空間が出来上がっていました。ふと地震などの災害時にはここが

一時避難場所になるのかなと変な想像をしてしまいました。

新宿西口に出かけた時には西口正面のビル(明治安田生命ビル?)が消えていて驚きました。

多分高層ビルになるのかなと想像しています。小田急デパートも建て替えとか?

ひと休みしたい人や、夫の様に買い物嫌いな男性の為に休憩室のあるデパートは

有難いです。お茶のサービスもありました。

都心に出かけていくと、街のあちこちが刺激的にどんどん変わっていく様子が

感じられてます。帰宅するとぐったりします。


(続)向こう3軒両隣の世代交代

2021-04-04 | 高齢期を生きる

昨年6月にお向かいの奥様が90才でお亡くなりになったのですが、

その後はやもめのご長男が同居されて96才のお父様の介護されていました。

そのお父様は奥様に先立たれたショックが大きかったのでしょうか、

3か月位で体調を崩され介護施設に入ってしまわれたのでしたが、

実は大晦日に奥様の後を追われてご逝去されたのでした。

70代の息子さんは後の整理をされていましたが、先日挨拶に来られて

自分は湘南の息子達の近くのマンションに越すことになったので

退去して手放すことにしましたということでした。

兄妹二人でいらしたのですがこの周辺の方々は相続されたた両親の

家を売却して折半されるパターンが多いようです。

又我が家の左隣は続いて2軒空き家です。奥様方は96才前後になられて

いますが介護施設に入られてそれぞれ4年と10年ほどになられます。

斜向かいの長く空き地になっていた土地では建築が始まるようで

若いご夫婦が挨拶にこられました。この辺りは分譲後50年に

なりますが、これから新旧世代の入れ替わりが激しくなり

私共は益々古株になっていきます。


義妹は素晴らしい才能を持っていました。

2020-09-30 | 高齢期を生きる

 義妹の子さんは大学では数学科を専攻していました。家庭に入って

 

子育てが一段落ついた頃からはいろいろの趣味に打ち込んでいたようです。

 

彼女は仲良し3人姉妹の長女で団結が強くて義弟も含めて実家との付き合いが

 

多かったので、当方とはあまり付き合いはなかったのですが、一度一家で

 

ご馳走になったことがあってそのお料理はとても美味しく素晴らしいものでした。

 

姪達が今レシピを探してみても見つからないとか、

 

かなり天性の勘で作っていた部分があったようです。

 

姪の一人はそれを受け継いでいてかなりの腕前だそうです。

 

器用で頭もいい人でしたから西洋刺繍というのかフランス刺繍でも

 

才能を認められていたようで、プロ並みに打ち込んでいたようです。

 

 

大手デパートで開催される展示即売会では支部長や責任者として、活躍を

 

していました。展示会の開催直前は大変な忙しさだったように聞いています。

 

 

手の込んだ美しい作品を見て私は足元にも依りつけない才能を感じていました。

 

それがある時から、開催日に作品が仕上がらなくなってきたようで、刺繍が

 

出来なくなってきたとか、、、かなりのストレスがあったのではないかと思います。

 

義弟とも共通の趣味であるテニスサークルの方達と長くプレイを続けて

 

仲良く楽しんでいたのでした。姪達は長い間、お母さんの症状を見ていますので、

 

「お母さんは4~5才位の感じだったのが、~3才の感じになったようなのよ。」

 

と云っているそうですが、娘を通してしかよく分かりません。幸いなことに

 

悲壮感はないようです。脳内のメカニズムとか老化現象についてはは未だに

 

よく明されていないようで、この問題は明日は我が身のように思えています。 


70才頃から、「アリセプト」を飲んでいると聞いていたのですが、

2020-09-27 | 高齢期を生きる

夫の弟の妻M子さんが、10年ほど前の70才前後の頃から

「アリセプト」を飲んでいると聞いていて信じ難い思いでいました。

弟夫婦は揃って立派な学歴で(T大とT女子大)娘達二人も

すいすいと国立大を卒業して大企業に就職して順調でした。

 

それなりの親戚付き合いでしたが、義弟一家が定年近くに

地方から上京してからは、兄弟揃って合唱団に属していた関係で

お互いの演奏会でよく顔を合わせていましたが普通の感じでした。

三女が先方の長女Y子ちゃんと仲良く従妹同士で気があって

飲み友達の様な付き合いをしていました。

 

 

M子さんは少し徘徊癖があったようですが、8月のある日の明け方の

4時頃、マンションの1階にごみ出しに降りて、そのまま外に出て

しまい当て所もなく4キロも歩き続けて倒れてしまったそうで

通りがかりの方に発見され通報されていたのです。

 

同じころに義弟が徘徊で行方不明になったM子さんに気付き連絡を

入れていたので、身元がすぐ分かり、自宅近くの病院で

収容されたのでした。このショックもあってか、M子さんの状態は

一層悪くなり、自宅では介護が出来ない状況になってしまったのです。

(娘達二人は単身ですがそれぞれ別住いなのです。)

 

義弟の家族が必死で探した甲斐があって、割と近くのいい介護施設が

受け入れてくれることになり、M子さんはそちらでお世話になることになりました。意外と落ち着いて穏やかな状態らしく一家も私共もひと安心しています。