Kさんの孫育て(2)

2019-07-14 | 交友関係

Kさんとは孫同志が同じ年で(孫娘ですが)話が尽きません。今は娘達同志より母親同士の方が

親しく交流しています。Kさんの長女T子ちゃんは職場結婚して3人の子持ちです。うちのK子は相変わらずの独身。

サンフランシスコに駐在されて帰国されたT子ちゃんの新築の家に、旅行先からの帰りに母娘で伺いました。

その時の写真です。アメリカ生活の影響を大きく受けたTちゃん夫妻の素敵なリビングルーム。

向かって左がTちゃん、K子、右端が私。(12年前)

Tちゃんは駐在先のアメリカで男の子2人を出産されたのでその都度、Kさんは手伝いの為に一人で

渡米されていました。お子さんが小学校の低学年の頃に帰国、東京近県にマイホームを建てられたのですが、

長男のA君が学校に馴染めないと、会う度にKさんがこぼされていたので気になっていました。

幼い頃のA君と弟のB君と、その後、女の子Cさんが誕生。。A君はうちの孫娘と同年齢です。

Ⅰ学年にⅠクラスしかない学校で村八分的にいじめがエスカレートしていったのです。

受け持ちの先生はじめ、クラスの殆どの生徒達からも敵視され追い詰められた状態だった様です。

アメリカ式の教育を受けたA君が受け入れられなかっのでしょうか?

6年生になった時に遂にKさんと母親のT子ちゃんとA君は大きな決心をされたのでした。

6月に祖母Kさん宅にA君を引き取って、こちらの公立小学校に転校ということに踏み切られたのでした。

中学受験という名目ですから、すぐに塾にも行かせたそうです。定年後の夫婦二人の生活から、

突然6年生の受験生の親御さん役の生活になってしまったのです。そして遠慮のないA君の

お世話がその後10年続いたのですから、それはそれは大変だったことでしょう。

しかしその甲斐あって、翌年A君は男子御三家の一つに見事合格したのでした。

それはいいとして、中学、高校時代の難しい年齢の男の子を預かる苦労は大変なものでした。

そして迎えた大学受験、Kさんのご苦労が実ってA君は見事T大に現役合格したのでした。

Kさんが言われるのです。「あの時、同居と転校を引き受けていなかったら、Aは追い詰められて

最悪のことになっていたと思う」と。子供がそういう状況に追い込まれててしまった時には、転校とか、

  思い切って周りの環境を変えてあげることが一番の解決策ではないかと私も思っています。        


4人組の友Kさんは専業主婦でとても気が合う。(1)

2019-07-13 | 交友関係

体調不良の記事が間に入ってしまいましたが、社宅4人組でとてもお世話になって、気も合うKさんのことを

書かない訳には参りません。Kさんは私より3~4歳若く、妹と同じ年齢なのですが妹よりも

話が合って生活信条が近い感じがしています。お互いの娘同志、Kさんの長女T子ちゃんと

うちの三女K子は幼稚園の時から大の仲良しなのです。T子ちゃんがいつもリーダーシップを発揮していました。

Kさん宅にはSさんの坊や、お迎えに間に合わないうちのK子等が集まり保育園状態でいつもお世話になっていました。

狭い社宅でしたが構内には広い遊び場もありその点、恵まれていました。Kさんは又機械編みの名人でした。

我が家と時期を同じくして横浜にマイホームを建てられたKさんですが、その敷地には南側に広い法地が広がっています。

[法地(のりち)とは 面(のりめん)ともいい、実際に宅地として使用できない斜面部分を指すそうです。

 これ、自然の地形によるもののほか、傾斜地の造成に当たって、土崩れを防ぐために造られる場合があるとのこと。]

敷地が60坪位で法地は80坪~100坪で位でしょうか?働き者のKさん夫婦はこの法地を手作りで果樹庭園に

造成されているのです。ご主人は定年前だったと思うのですが、通信学習で庭づくりなどの専門的なことを

学ばれて資格も取られたようです。殆ど専門家に頼らずに、ご主人とKさんで楽しい果樹庭園が出来上がっています。

庭から果樹園に降りる階段です。

中腹からの風景 

IさんとKさん

何の実かわかりません。

下の方、ハーブも植えてありました。

 

働き者のKさんご夫妻の立派な作品です。お2人とも大病もなさららずにお元気です。

詳しくは ブログ「わがやの果樹庭園日記」をご覧ください。


いつも生き生きと前向きのIさにに魅せられています。

2019-06-28 | 交友関係

Iさんとは社宅ではすれ違いでしたが、この会のKさんの紹介でお付き合いが始まりました。

初対面で某美人女優さんにそっくりと感じました。でもその女優さんとは中身があまりにも大違いです。

美人で聡明で笑顔の絶えないそしてエネルギッシュな彼女とお話しをしていると、

いつも素敵なオーラを感じています。

大学を出られてから結婚までミッション系の女学院の英語の先生でした。

いつも感心するのですがIさんは仕事が早く整理整頓の名人です。

特に書類や写真などのファイリング能力?は素晴らしくお会いするたびに

短時間に整理されたファィルでわかり易く1年の経過を話して下さいます。

プレゼンテーションスキルってこれからの人にとって大事なことですね。

10年ほど前に軽井沢に集合した時の写真です。

 

そのIさんですが、お二人の息子さん達が小学校高学年の頃から、母校の先生の推薦で

学習院中等部で講師として英語の先生をされていたのでした。

秋篠宮さまのクラスも担当されたそうです。とても良くお出来になられたそうです。

その後も講師としてずっと無理のない範囲で多くの私大で教えていらっしゃいました。

大きなエネルギーとT大出の優しいご主人の理解と応援があってのことでしょう。

彼女は知力、体力に優れていらっしゃるけど、いわゆる先生タイプではなく、

茶目っ気も大いにある方なのです。今も多くのグループとのお付き合いもありお忙しそうですが

よくスケジュール管理されていて、私共とは家族も巻き込んだ主婦同志として本音で語り合っています。

私の知らない世界のお話にも花を咲かせたり、いつも啓発されて楽しく元気を戴いています。

元気な頃のSさん(右端)

 

 


Sさんの思い出

2019-06-22 | 交友関係

 4人の仲間の一番年長さんだったSさんは昨年の正月早々に天に召されてしまいした。

前年の秋に八王子のSさん夫妻との連絡が途絶えてしまい、Iさんがあらゆる手を尽くして調べて

下さった結果、千葉のご長男夫妻の広いお宅で終末期を向かえていらっしゃることが分かったのでした。

ご長男が電話での会話に異変を感じ、病院に連れていかれて診察を受けた時はもう手遅れで手術の出来ない

大腸がんだったとのこと。賢かったSさんがなぜ?実はご主人が認知症だと聞いていましたが、

最後の会の頃には彼女にも異変を感じていました。お嫁さんに「今月一杯持つかどうかわからない」と

言われて3人で1日かけて千葉の先までお見舞いに行ってきました。

Sさんは小柄ながらがっしりした体つきで先生が天職のような方でした。

若い頃から度量が広く性格が大らかで安定していてその知力、体力はずば抜けていました。

下のお子さんが年中組の頃に同じ学園の高校の講師となられて間もなく中高の教師になられ

定年後もベテラン講師としてお仕事を続けていらしたように覚えています。

郊外に家を建てられてからは勤務地まで1時間以上かかる通勤でしたが、ものともせず、

夜間の大学院で更に学ばれていたように覚えています。修学旅行とかホームステイなどの引率、

世界史か地理の先生でしたから海外によくでかけられ、中国からの留学生を自宅に受け入れて

いらしたこともありました。いつも私の何倍も精力的に動いていらしたのですが睡眠時間は

いつも3~4時間で十分だとのことで私も効率の良い体質になりたいと試みたりしたのですが無理でした。

テニスは大学時代からご主人と共通の趣味で最後の頃までクラブに入ってプレイされていたように思います。

80歳近くでしたが、力の限り活躍された人生だったと思います。

会うたびに、その活発な意欲と情熱そして私の5~6倍ある体力に圧倒されて元気を戴いていました。

天国では少しゆっくりされて私達を見守ってほしいです。


KKRホテル東京の上階でママ友ランチ

2019-06-16 | 交友関係

昔、都内の社宅に住んでいた頃、下の子の幼稚園時代のママ友とは助けられたり

助けたりの仲でした。子供が成長してそれぞれが社宅を出て別々の所に越していきましたが

その後、気の合う4人が年に1回、持ち回りで自宅でランチ会を開いて20数年になります。

4人のうちの2人、(SさんとIさん)はそれぞれ男児2人が幼稚園の頃からSさんは高校の教師、

Iさんは中高大等の英語の講師を続けこられました。専業主婦はKさんと私という構成でした。

年に1度の活動報告、現況報告会なので歯切れのよいスーパーレディ2人にリードして頂き

毎回、家族や孫の写真も持ち寄り活発で啓発されることの多いそれは楽しいく刺激的な集まりでした。

最近は年も取ってきたので自宅での手料理からレストラン等での外食が多くなっていました。

今年は皇居の近くの気象庁の斜向かいのkkrホテル東京の12階で集まり写真を撮ることも

忘れてお喋りしたのでした。ランチは¥2000~3000でお手頃価格なのです。

只、今年からSさんの参加がなくなり淋しくなってしまいました。

 

 

 


私自身は同窓会になどに縁遠い。

2019-05-26 | 交友関係

私は同窓会に行く機会は少ないです。特に小学校のクラス会は

開かれたことありません。隣のクラスは和気あいあいと続いていたそうですが。

開けるわけがないと思います。6年生の時のクラスは学級崩壊していたからです。

九州N市の郊外にあった小学校では2年生~5年生まではそれなりの先生方で

特に音楽の先生には啓発されるところが多くありました。

ところが6年生の時の担任(女教師)の授業放棄による学級崩壊は酷くて

この時期を思い返しても失ったものは大きく、今も私には大きな心の傷として残っています。

この時の担任は宮崎の中学教師との結婚を控えていた評判の美人でしたが、授業に熱意なく、

授業時間になっても、いくら待って教室に現れないことが日常でした。

何の指示も出さずに3時間クラスを放置したこともありました。思い出して

書くのも辛いのですが自習することもなく学級は崩壊していました。

校長他、上の先生からの注意もなかったようです。敗戦後の混乱した時期のことですが

今思うと許せないことだと思います。親に転校を申し出たと思うのですが実現しませんでした。

その後私は私立中学に行きクラスの友人とは交流がなかったのですが、後年女友達数人と会ったのです。

その時、聞いたのは騒がしかった男子生徒達も中学に入り熱血先生の指導の下で真面目に頑張り

それぞれ国公立大等を出てその先生を慕って同窓会を開いていたとのことでした。

先生の当たりはずれというと語弊がありますが、今も昔も親にも子にもそれは

気懸りなことだと思います。良くも悪しくもその後の人生に影響を及ぼすものと思います。


大連の小学校の同窓会、盛会でした。

2019-05-23 | 交友関係

今週月曜日、銀座「らん月」で大連下藤小学校の同窓会が開かれました。

夫と(私)もう一方ご夫妻が幹事役でした。らん月のサービスも良く

遠来の参加者にも大変喜ばれ男女共に童心に帰って和気あいあいと

病気克服や健康報告で、この年になると健康第一と話し合っていました。

北は札幌、福島から南は大分、福岡、名古屋からの参加がありました。

皆様、大連で終戦を迎え、着の身着のままで命からがらの引き揚げで

終戦後ゼロからの出発で今日に至られた方達なので気骨がある方々ばかりです。

ご自分で会社をスタートアップされていまだ現役という方もおられました。

お2人、最近脳梗塞に襲われた方がおられましたが、お2人共あまり

後遺症がなくお話が少しゆっくりしている程度でした。

85~6歳になっても小学校の同窓会をずっと続けて

旧交を温められるということは、幸せなことだと思いました。

当時の大連ではしっかりとした教育がなされていたのだと感心しています。

出来れば来年も再会したいということで夫も又幹事役引き受けました。

 

 


連休を控えて右往左往してしまいました。

2019-04-28 | 交友関係

 


 一昨日は郵便局の窓口も28日から閉まるそうなので急ぎカナダの

親友マリアンヌへの誕生日プレゼントと慣れない英文で書いた手紙も添えて

郵便局にぎりぎりで持ち込みました。

彼女の誕生日は5月13日ですが連休明けの7日に出したら

混雑するでしょうし間に合わないかも知れないからです。

それに5月末には娘夫婦の家の近くの家に引っ越し予定なのです。


彼女、60代頃からアレルギーのせいかベジタリアンになって

嗜好が変わってコーヒーも紅茶も合わなくなり日本茶が癒されると

好んで飲んでいるので、茶葉がメインなのです。

新茶が出てくるまで待てなくて、予め買い集めた各地の茶葉を

フィナンシェやクッキー等と一緒にパッキングしました。

彼女器用でラッピングの名人ですが、私はセンスがなく不器用で真似が出来ません。

英会話や医院廻り、買い物もあり時間の余裕がない中、苦労して完成した

パッキングの写真急いでいたので撮り忘れてしまいました。

(彼女と彼女の今住んでいるコンドーの写真をアップしました。)

ハンブルグ生まれのドイツ系の人ですからキレイ好きで英語はゆっくり話します。 

ITはやらないしあまり筆まめではないのでのでいつも電話でトーク、 

長電話は私にとって実践英会話レッスンの時間です。

(コンドーの小道)

(リビングはクラシック調)

今回は小荷物の輸送過程がパソコンで追跡できる航空便のEMSで送りました。

以前、クリスマス時に2割方安いSAL便で送ったら何処かに紛れ込んで

到着までに2か月近く掛かるというトラブルがありました。

(どこに目があるのかわからないやんちゃな愛犬ココ君)

 

私は身体のあちこちに不具合があり何軒も病院通いしていますので連休前に

それぞれのお薬が切れない様に処方箋を頂いて回ったので応えました。 


三度目の結婚、今度こそ幸せに。

2018-12-25 | 交友関係

カナダでのママ友、マリアンの一人娘、クリスティーンが1年ほどの交際期間を経て7月に結婚した。

お二人の写真と家族紹介の写真を貰っている。 最初の結婚は音信不通の頃で、知らなかったが、

二度目の時はは5~6年前のことだったので、よく憶えている。残念ながら2年少しで終わってしまった。

しかし、最初から何となく二人は合っていないのではないかと、 私は少し不安視していたので 

驚かなかった。 その後、父親が80代半ばで長い闘病生活の末、亡くなり  母一人子一人となり 

もう結婚はしないと言っていたのだが。いつも前向きの彼女は思いがけず 、

一寸お父さん似のジムと出会って、ウマが合ってあつあつだとお母さんから聞かされていた。

ジムは2~3才年上で50代半ば同志だそう。彼も離婚経験があり、成人した娘さんと息さんあり

だがとても相性が良いようで郊外に家も買って幸せそうな雰囲気だ。            

 こんどこそお幸せに!

     


ディズニーランドのある舞浜に行って友人に会ってきました。

2018-10-27 | 交友関係

 

 北九州に住んでいる友人のYさんが舞浜の娘さんの家に上京してくると

いうことで久し振りに会いにいきました。私達は50年来の友人です。

半世紀前に彼女達一家は移住目的で、私共は夫の海外出向で

カナダのトロント市に住んでいました。ある時、 

共通の知人であるカナダ二世のO様宅でお互いを紹介されたのでした。

Yさんとは一つ違いの年齢で、二人ずつの幼い娘達も1~2歳違いで、

性格も似たところがあり互いに「テキトー」な所がありウマが合って

すぐ親しい間柄になりました。

そして又、私たちは同じ頃に第3子を儲けて、間もなく私共は帰国し、暫く

音信が途絶えていました。数年後、彼女から連絡が入り、その後、ご主人の

事業の方がうまくいかなくなり、カナダ移住を諦めて、全部引き払って

日本に戻ってこられたとのこと。

しかし、もう落ち着いているとの連絡が入りました。元々明るく前向きの

方でしたが、娘、息子さん達はイジメに遭ったりいろいろと大変な

ご苦労を体験されたようです。しかし結果的にそれをバネに乗り越えられて

実に立派に成長されています。

ご夫妻も今はゆうゆう自適の生活です。ご長女は大学の准教授の

傍ら日加親善の役もこなされ、いい伴侶に恵まれご家庭と仕事を

両立されています。次女の方も3人の子育てを

しながら国際弁護士としてアメリカで活躍中とのこと。

お父さんの夢を彼女達が叶えたようにも思えます。

艱難汝を珠にす」という言葉が浮かびました。